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コードで「社会とつながる」ということ~26歳で再就職した元ニートの『skillstock』開発記【前編】

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東京・恵比寿で初めて会った時の帰り道。仕事終わりの取材オファーだったこともあり、「ラーメンでも食べて帰りませんか?」と誘う。こちらが「お代、出しますよ」と言った瞬間、恐縮しながらうれしそうな笑顔を見せたのが、とても印象的だった。

 

「ほんの1カ月前まで、ほぼニートだったので。当然お金はないし、都内を移動する電車代すら払うのがキツい状態でした」

 

現在の竹原さんが開発業務に当たっている、

現在の竹原さんが開発業務に当たっている、"和製ビジュアルブックマーク"の『Clipie

そう話す竹原正起さん(@kitaindia)は現在、エンジニアやクリエーターが共同生活を営む『ギークハウス新丸子』から恵比寿に通い、ファッションに特化したソーシャルブックマークサービス『Clipie』や『Livlis』などの人気サービスを手掛けるkamadoで働いている。

 

それまでの仕事は、レジ打ちのアルバイトだった。大学卒業と同時に入社した岡山県の地元焼肉チェーンを辞めてからは、店舗改装の派遣スタッフや治験モニター、データ入力といった短期バイトを転々としながら糊口を凌いできた。

 

ニート生活を送っていた竹原さんの人生を変えるきっかけとなった、ボランティアつなぎサービス『skillstock』

ニート生活を送っていた竹原さんの人生を変えるきっかけとなった、ボランティアつなぎサービス『skillstock

そんな竹原さんが、なぜ、人気スタートアップのエンジニア職に就けたのか。転機となったのは、2011年の秋からボランティアつなぎサービス『skillstock』の開発プロジェクトへ参加したことだった。

 

ほぼ全員がプロボノ(仕事上の専門知識を持つ人が知識や経験を活かして行うボランティア)だったこのプロジェクトで、プログラミングを通じて社会とのつながりを見いだすようになっていった竹原さんは、RubyやRailsの知識を磨き、kamadoで働くチャンスを得るまでになっていく。

 

そんな竹原さんにとって、「働く」ことの意味はどのように変化していったのか。まずはその半生を振り返ってみよう。

 

プロフィール

株式会社kamado
竹原正起さん(26歳)

1986年岡山県生まれ。倉敷芸術科学大学を卒業後、地元の焼肉チェーンに入社するも1年半で退社。半年にわたって東南アジアやインドを旅しながらカレー研究に明け暮れる。帰国後の2011年4月、上京してギークハウス武蔵小杉に入居(現在はギークハウス新丸子に転居)。自ら主催したカレーパーティーで知り合ったあるWebプロデューサーから『skillstock』プロジェクトに誘われ、開発に携わる。2012年7月より現職

幼少期にプログラミングにハマるも、「孤独」を感じてやめることに

「飽きっぽいのは父親譲りかも知れません」

 

竹原さんの実家には、父親が趣味で集めたダーツや漁船、カヤックなどの道具類が、使われることなく眠っている。

 

竹原親子にとって唯一の例外はコンピュータだ。岡山県の産業・農業機器メーカーでSEをしていた父は、当時人気の高かったPC-8800やPC-9800シリーズ、さらに漢字Talk時代のMacintoshなどを買い集めては、公私にわたって使い続けていた。竹原さんが4歳のころに、プログラミングの手ほどきをしたのも父親だった。

 

父親の仕事の影響で、幼稚園に入る前からコンピュータに触れていた竹原さんだったが......

父親の仕事の影響で、幼稚園に入る年ごろからコンピュータに触れていた竹原さんだったが......

「父は英才教育だって言っていますけど(笑)、実際のところはどうだったんでしょうね」

 

竹原さんの記憶は定かでないが、その後中学生になるまでの間、ずっとプログラミングに熱中したのは確かだ。

 

「父親のやってることを見て興味を持ったのが最初。そこからだんだん面白さが分かってくると、自分でも『マイコンBASICマガジン』を買って、投稿されているプログラムを打ち込んでみたり、それを自分なりにアレンジしたりするようになりました。最初に覚えた言語は、N88-BASICとかVisual Basicでしたね」

 

だが、父親以外に共通の趣味を持つ者が身近にいない環境は、思春期に差し掛かった竹原少年のプログラミング熱を冷ましてしまう。週末、ネットミーティングに参加して同年代の仲間を見つけようと試みたが、労力のわりに思うようなつながりは得られなかった。

 

それで、中学校卒業と同時に、プログラミングの世界とは縁を切ってしまう。次に心を惹きつけられたのはアート、そして料理の世界だった。

 

「ものをつくること自体は好きでしたから、今度はアナログの世界に行こうと。それで大学は地元の芸大を志望することにしたんです。専攻は油絵でした」

 

家族からは芸大進学に反対されながら、何とか押し切って入学を果たしたが、ここで改めて「父親譲りの性分」が出てしまう。

 

「自分が描いた絵を使って、誰かほかのメンバーがプログラミングすればゲームができるんじゃないか」と思いゲームサークルに入ったものの、長続きせず半年で退部。油絵も、一時は引きこもって描く日々を送った後、飽きてやめてしまう。

 

自身が美味いと思うインドカレーのレシピを公開するブログ『かんたん本格インドカレー』を運営するほどのカレー好き

自身が美味いと思うインドカレーのレシピを公開するブログ『かんたん本格インドカレー』を運営するほどのカレー好き

そんなさなかに出会ったのが、インドカレーだ。

 

「ある時、自分でも作ってみようと思って試したら、意外とイケたんです。それからすっかりハマってしまい、卒業旅行の目的地もインド。カレー修業に行きたかったんですよ」

 

卒業後の進路を飲食チェーンに決めたのは、「いずれカレー屋を開業したい」と考えたため。就職先はインド料理でもカレー専門店でもなく、焼肉店だったが、「いずれインド料理の業態開発ができるかもしれない」と思って働き始めた。

 

とはいえ、現実はそれほど甘いものではなかった。

 

岡山発インド経由、ギークハウス武蔵小杉行き

キッチンやホール業務はもちろん、アルバイトの面倒や食材の発注、仕込みまで一通りこなすことを命じられた竹原さんは、ほどなくして副店長に昇進。夢への階段を1歩上ったかのように見えたが、それが逆に苦痛になっていった。

 

「辞めた理由を正直に話すと、休みもほとんどない上、長時間の重労働にほとほと疲れてしまったからでした。本当は喜ぶべきなんでしょうけど、土日のピークタイムに予約が10件も入るともう恐ろしくて。これが何年も続くのかと思うと、耐えられませんでした」

 

いろんなことが長続きしない自分に嫌気がさし、進むべき道を知るために選んだのは、再びインドに行くことだった。

 

「あっちに行って自分を変えたかったっていうこともあります。でも、やっぱりカレーを極めたいと思ったんですよね。それで貯金をはたき、東南アジア経由でインドに入りました。あっちこっちでいろんなカレーを食べ歩きながら、6カ月ほど向こうに滞在していました」

 

現地で新しいカレーを食すたび、写真を撮り、感想やレシピを記す。バックパッカーとして苦労する面も多々あったが、それ以上に、好きなことだけに集中できる日々が幸せだった。

 

しかし、楽しい旅もいつか終わる。

 

「向こうにいた時、たまたまphaさんの存在を知って『ネオニート』とか『働かない生き方』に興味を持つようになっていたんです。それで短期バイトで貯めたお金と、旅行資金の残りを元手に岡山を出ようと。目指したのは、できたばかりのギークハウス武蔵小杉でした」

(次ページに続く)

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カレーづくりが生んだ、ボランティアとの不思議な縁

From ギークハウス武蔵小杉ホームページ 竹原さんが岡山から「初上京」した際に住んでいた、ギークハウス武蔵小杉の外観

From ギークハウス武蔵小杉ホームページ 

竹原さんが岡山から「初上京」した際に住んでいた、ギークハウス武蔵小杉の外観

『ギークハウス』とは、pha氏が提唱したネット文化に縁の深いエンジニアやクリエーターが集うシェアハウスのこと。ここなら敷金や礼金、保証人も不要で、わずかな資金で住居が確保できる。月々の支払いが4万5000円で済むというのも、蓄えを長持ちさせる意味で好都合だった。

 

「プログラミングをしなくなって10年ぐらい経っていましたが、ギークっぽいマインドは自分の性にも合うと思っていました。それで応募したんです」

 

もし肌に合わないようなら、すぐに出ればいい。そんな考えで入居してみると、ギークハウスの環境は竹原さんにとって想像以上に居心地が良いものだった。

 

そこで「将来的にやってみたい」と思っていたカレーの無店舗販売を念頭に、入居者相手に1杯300円で販売してみたり、ギークハウスに関係のある人たちを集めカレーパーティーを開くなどして、さまざまな人たちと交流を深めていった。

 

竹原さんをプログラミングの世界に引き戻した『skillstock』プロジェクトに誘ったのも、そのパーティー参加者の一人だったという。

 

「そのころちょうど、『カレーをテーマに何かWebサービスが作れるかも』みたいなことを考え出して、少しずつRuby on Railsの勉強も始めたんですね。その話をたまたまカレーパーティーに来ていたNTTレゾナントの方に話したら、もしヒマだったら開発に参加してみない、と」

 

このふとしたきっかけが、竹原さんにとって「モラトリアムの終わりの始まり」になるとは、思ってもいなかった。

 

大手IT企業の会議室から始まった、プログラマーとしての再覚醒

『skillstock』開発チームの集合写真。左端にいるのが竹原さん。そのほか、後述する藤代裕之氏(写真中央)や高橋義典氏(右から3番目)の姿も

『skillstock』開発チームの集合写真。左端にいるのが竹原さん。そのほか、後述するチームリーダーの藤代裕之氏(写真中央)や、開発面で竹原さんの師匠となった高橋義典氏(右から3番目)の姿も

 

『skillstock』とは、震災発生の直後、一気に盛り上がったボランティアへの関心を維持・発展させるべく立ち上げられたプロジェクトだ。

 

先の大震災から1年を迎える2012年3月11までにローンチすることを目指し、「できること、好きなことを通して、楽しみながらボランティア活動をする」流れを日本に生み出すために企画・開発された。

 

当時、レジ打ちのバイトを辞めたばかりで時間を持て余していた竹原さんは、「どうせヒマだし、何か面白そうだったから」と、誘われるがままキックオフミーティングに参加。2011年10月に都内の大手IT企業で開かれたこのミーティングで、後に恩人となる3人の人物と出会う。

 

高橋氏と同様、『skillstock』開発で竹原さんに大きな影響を与えた澤村正樹氏

高橋氏と同様、『skillstock』開発で竹原さんに大きな影響を与えた澤村正樹氏

その3人とは、震災直後に『助けあいジャパン ボランティア情報ステーション(現・ボランティアインフォ)』の旗振り役を務め、後に『skillstock』の立ち上げにも尽力する藤代裕之氏(NTTレゾナント)と、開発担当の澤村正樹氏(NTTレゾナント)、高橋義典氏(Yahoo! JAPAN)だ。

 

「それまで大企業の会議室なんて一度も入ったことがなかったので、足がガクガク震えちゃったのを覚えています」(竹原さん)

 

名だたる大企業で働きながらプロボノで集う大人たちの中に、ほとんど職業経験のない若者がポツンと身を置く。萎縮してしまうのも無理はない。ただ、藤代氏はそんな竹原さんを、「経歴的に面白そうなヤツ」と見ていたという。

 

澤村氏、高橋氏も、「自らMacを持ち込んでWi-Fiにつなぐ姿を見ていて、何とかなるだろうと感じていた」(澤村氏)、「おとなしいけど、分からない業界用語ははっきり質問したり、自分の意見もストレートに発言していたのが印象的だった」(高橋氏)と明かす。

 

そして、全員が気にしていたのが、ボランティアという「強制力の働かないコミュニティー」へのコミットメントという点だ。

 

「実は今までも、(藤代氏らが手掛けてきた各種ボランティアサイトの)開発にかかわりたいというエンジニアはたくさんいました。でも、自分がやりたいことを優先する人が多くて、うまくジョインできないことが多かったんですよ。それで、『竹原さんはどうだろう。良い仲間になってくれるといいんだけど』と心配していました」(藤代氏)

 

だが、藤代氏の思いは良い形でくつがえされる。竹原さんは、週に1回行われるミーティングに努めて参加するようになっていき、徐々に発言も増えていった。

 

そんな姿を見てか、キックオフから3カ月ほどしたある日のミーティング終わりに、開発の中心メンバーである高橋氏が竹原さんを呼び止めた。

 

「自分が『skillstock』α版のコードを書くから、これから竹原さんはそれを見てキャッチアップして」

 

その場で「はい」と返事はしたものの、実際にRuby on Railsで書かれたコードを見てみると、何をどうしたらいいのかまるで分からない。

 

「なので、しばらくは完全に"教えて君"状態。まるで戦力になっていませんでした」(竹原さん)

 

自身はそんなジレンマを抱えていたそうだが、それでも何とか食らいついてくる竹原さんの姿に、周囲の人たちはエンジニアとしての可能性を見出していた。

 

「竹原さんに開発を任せる部分を増やしてもいいかなと思うようになり始めたのは、このころからです」(藤代氏)

 

2012年10月に行われた『skillstock』プロジェクトのキックオフミーティングからおよそ4カ月。ローンチ予定を1カ月後に控えた2012年2月ごろから、高橋氏や澤村氏が作り上げたα版をβ版に格上げするための開発が本格化し始める。そのサポートを任されたのだ。

 

竹原さんにとって、『skillstock』開発は特別な志やボランティアへの思いがあって始めたわけではない。それでも、眠っていたギーク魂に火が付き、いつのまにか開発にのめり込むようになっていた。

 

そんな竹原さんに、『skillstock』開発チームはさらに大きなミッションを託すことになる。その過程で、初めて「プロフェッショナルなエンジニア」の矜持のようなものを学んでいく。

[後編に続く]

 

>> 『skillstock』開発の苦労やkamado就職の経緯については8/6(月)公開の後編にて

 

取材・文/武田敏則(グレタケ


コードで「社会とつながる」ということ~26歳で再就職した元ニートの『skillstock』開発記【後編】

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プロフィール

株式会社kamado
竹原正起さん(26歳)

1986年岡山県生まれ。倉敷芸術科学大学を卒業後、地元の焼肉チェーンに入社するも1年半で退社。半年にわたって東南アジアやインドを旅しながらカレー研究に明け暮れる。帰国後の2011年4月、上京してギークハウス武蔵小杉に入居(現在はギークハウス新丸子に転居)。自ら主催したカレーパーティーで知り合ったあるWebプロデューサーから『skillstock』プロジェクトに誘われ、開発に携わる。2012年7月より現職

 

>> 竹原さんの幼少期からニート生活~ボランティア参加までの話は「前編」にて

 

ニート生活を送っていた竹原さんの人生を変えるきっかけとなった、ボランティアつなぎサービス『skillstock』

ニート生活を送っていた竹原さんの人生を変えるきっかけとなった、ボランティアつなぎサービス『skillstock

ボランティアつなぎサービスの『skillstock』開発で、プロボノ参加するYahoo! JapanやNTTレゾナントのエンジニアと共にコーディングに臨むことになった竹原正起さん。

 

「本格的なプログラミングは、中学卒業以来ほとんどしてこなかったので、実は『僕にできるだろうか』と及び腰になっていました」

 

当時の思いをこう吐露したのも、プログラミングが単なる趣味の域を出なかった竹原さんの過去を考えれば当然だ。

 

ただ、それでもコードの世界への関心が失われていたわけではなかったのは、これまでの経歴を見れば明らかである。

 

もし、本当にプログラミングと決別したかったなら、大学時のゲームサークルへの参加も、上京してギークハウスに居を定めるようなことも、なかったはずだからだ。

 

疑問が生じるのは、にもかかわらずなぜ、これまで一度もプログラミングを職業にしようとしなかったのか。話を聞き進めると、竹原さんの胸中には「開発業務」に対するある種の恐れがあったからと察せられる。

 

「エンジニアの世界では、『デスマ』とか『社畜』とか、よく言われるじゃないですか。だから、プログラミングを仕事にすると、何だか疲弊しそうだよなぁと勝手に思い込んでいました」

 

そのイメージが、『skillstock』プロジェクトを通じて大きく変わった。「業務」以上の意義あるものとしてプログラミングに取り組む人たちを、目の当たりにしたからだ。

 

顔を突き合わせての緊急ミーティングで学んだプロの流儀

「最初はRuby on Railsの知識もプログラミング能力も追いつかなくて、期日までに仕上げる約束をしていた機能を実装できないことが何度か続いたんですね」

 

今思うと、できない、分からないことを早めに報告すべきだったと反省するが、開発業務の経験が皆無だったためどう伝えればいいかさえ分からず、「抱え込むだけ抱え込んで何もできていない状態」(竹原さん)から抜け出せずにいたという。

 

竹原さんが共に開発した『skillstock』チーム。ほとんどがプロボノで参加する社会人や学生だ

竹原さんが共に開発した『skillstock』チーム。ほとんどがプロボノで参加する社会人や学生だ

そんな状態を見かねた『skillstock』開発陣のYahoo! Japan高橋義典氏とNTTレゾナント澤村正樹氏は、ある日、彼を都内のコワーキングスペースに呼び出した。

 

「skillstockの開発は皆ボランティアで行っているので、そもそも期日や内容をコミットするような指示を出すのは難しいのです。でも、『この仕事をやり遂げれば経験になって次につながる』という話をみんなですることで、問題をチームで解決していく進め方を肌で感じ取ってほしかったんですね」(高橋氏)

 

その日は、顔を突き合わせて何が遅延の理由なのかを洗い出し、彼が抱えるタスクと現状の課題を整理。

 

「プログラミングの知識はWebや書籍でも得られますが、仕事の進め方や技術をどう組み合わせてサービスを具現化していくかは、実務経験を通じてしか分からないじゃないですか」(澤村氏)

 

その「実務」に当たる部分を、高橋氏と澤村氏は『skillstock』で疑似体験してほしかったのだという。

 

「実際に使ってくれるユーザーがどういう行動をするかと想像して、やることに優先順位を付けたりチームのメンバーに意見をぶつけたりするよう心掛けることができれば、どこに行っても重宝されるエンジニアになれると思っていました」(澤村氏)

 

こうして、大先輩2人による厳しくも温かい指導を受けたことで、竹原さんは本気モードに入っていく。そのあとの数日間は、ギークハウスに籠もって徹夜で開発。分からないことがあるとすぐに澤村氏や高橋氏にFacebookでメッセージを飛ばし、教えてもらったり指示を仰いだりしながら、何とか任された機能開発をやり遂げたのだ。

 

Webサービスを、初めて「チームで開発」することでプログラミングの楽しさを思い出した竹原さん

Webサービスを、初めて「チームで開発」することでプログラミングの楽しさを思い出した竹原さん

そんな「職業エンジニアとほとんど変わらない毎日」(竹原さん)の甲斐あって、『skillstock』は何とかα版からβ版への格上げを終える。当初の目標通り、今年の3月11日を目前にローンチにこぎつけた。

 

これが、竹原さんに大きな自信を与えると同時に、チームでWeb開発を行う楽しさも覚え始める。

 

「高橋さんや澤村さんと開発を続けていくうち、とにかくプロのエンジニアってスゴい人たちなんだなって思いました。ボランティアだからって手を抜かず、使命感を持って開発する人がいるんだってことにも、『skillstock』にかかわらなければ気が付かなかったと思います」(竹原さん)

 

「技術面は僕や澤村さんから、サービス内容は(チームリーダーの)藤代(裕之)さんからと、各分野のプロから厳しい指摘を受けて大変だったと思います。『skillstock』の開発は、彼がアルバイトで経験してきたような仕事のやり方とは違っていたでしょうし、ボランティアという部分でも戸惑うことが多かったでしょう。にもかかわらず、われわれの励ましにちゃんと応えてくれた。それがとてもうれしかったですね」(高橋氏)

 

「プロ」への最終関門として、機能開発ほぼすべてを任される

竹原さんが主導して開発することを任された、『skillstock』の「プロジェクトページ

竹原さんが主導して開発することを任された、『skillstock』の「プロジェクトページ


この経験を経て、竹原さんはエンジニアとして生きていくことを希望するようになった。持てる開発スキルを出し惜しむことなく、本気でプロボノ活動に取り組む大人たちに感化された結果だ。

 

そんな矢先、竹原さんは藤代氏からある打診を受ける。

 

ネクストフェーズとして取り組むことにしていた、「プロジェクトページ(ボランティアを求める各種団体の紹介ページ)」開発を、竹原さんが主導して行ってほしいというものだった。

 

このオファーを出した背景を、藤代氏はこう打ち明ける。

 

「当初の『skillstock』では、スキル登録はできたものの、ボランティア情報のフィードはまだ手つかずの状態。そこで、この機能開発を竹原さんに任せてみようかと考えました。人が成長するためには経験が必要です。ローンチから1カ月くらい経ったころ、改めて彼に声を掛けてみたんです」(藤代氏)

 

まだまだ自分の技術力に自信のなかった竹原さんは、この依頼を受けるべきかどうか、数日悩んだという。しかし、『skillstock』ローンチの達成感を経験し、エンジニアとして生きていく腹決めをしかけていた竹原さんに、断るという選択肢はなかった。

 

「まだこのころは、技術的につまずくたび、一人で抱え込んで動けなくなってしまうクセが直っていませんでしたが。ある時も、高橋さんから『先週からGitHubのコミットが途絶えてますけど大丈夫ですか?』って聞かれて、『ヤバい、またやってしまった』と......」(竹原さん)

(次ページに続く)

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「とにかくやり切れ。それが『竹原さんの実績』になるんだ」

竹原さんの成長に多大な影響を及ぼした、NTTレゾナント藤代裕之氏

竹原さんの成長に多大な影響を及ぼした、NTTレゾナントの藤代裕之氏

そのころから、週に1度のミーティングでの報告だけでなく、今日やったこと、明日やるべきこと、プログラミングで分からなくて苦労しているところを、毎日高橋氏宛てにメールで書き送るのが義務になった。技術ノウハウだけでなく、仕事の進め方の基本も、高橋氏に教えられた格好だ。

 

「最初は毎日報告メールを送るのは大変だと思いましたけど、やってみたらそれで気持ちがずいぶん楽になったんです。仕事ってこうやって進めていけばいいのかと、初めて理解できた気がしました」(竹原さん)

 

このやりとりを重ねるうち、技術に対する欲も出てきた竹原さんは、『skillstock』の新機能開発を行うかたわら、Railsの勉強会に参加したり、エンジニアとして自分を採用してくれる会社を探すようになっていた。

 

が、求人サイトでエンジニアを募集している会社に片っ端から応募しても、なかなかうまくいかない。やっとの思いで面接にこぎつけても、実務経験のなさを理由に断られてばかりいた。

 

「ほぼ毎回、『skillstock』での開発のことを話していたのですが、『それは仕事じゃないですよね』って念を押されるばかりで......」(竹原さん)

 

何度目かの面接でとうとう心が折れそうになった時、竹原さんは『skillstock』開発中に藤代氏から言われ続けてきたアドバイスを思い出していた。

 

「とにかく最後までやり切ることが大事だ。それが竹原さんの実績になるんだから」

 

その言葉を信じ、アクションを止めなかった竹原さんに、やっと幸運が訪れる。

 

kamado就職の決め手は、「覚悟とカレーの腕前」

そのきっかけは、『ギークハウス』のことを知った時と同様、Twitterを介して訪れた。

 

かつて竹原さんが開いたカレーパーティーに参加してくれた人のつぶやきに、気になるURLが貼ってあるのを目にしたのだ。

 

《RailsとGitHubが使える学生インターン募集》

 

そのリンクを見るやいなや、竹原さんはダメもとでDMを送る。

 

「学生じゃないですが両方使えます。僕じゃダメですか?って」(竹原さん)

 

竹原さんと会った時の第一印象を語る、kamado代表取締役社長の川崎裕一氏

竹原さんと会った時の第一印象を語る、kamado代表取締役社長の川崎裕一氏

その相手こそ、現在彼が勤めるkamadoのエンジニアである齊藤正浩氏だった。後に面接したkamado代表取締役社長の川崎裕一氏は、竹原さんの第一印象をこう述懐する。

 

「物静かで朴訥としていた印象ですが、話を聞くと油絵専攻で焼肉店勤務経験があって、インドへのカレー修業に行ったこともあるというユニークなところに興味を持ちました。それに、ギークハウスに同居するギークたちと交流するうち、幼かったころにやっていたプログラミングを思い出しているなんて話も面白かったと記憶しています」(川崎氏)

 

とはいえ、Railsでの『skillstock』開発経験や、Objective-Cでサンプルアプリを作ったことがあるというスペックまでは分かっても、短い面接時間では「職業エンジニアとしてどれだけのポテンシャルがあるのか、推し量ることはできなかった」と川崎氏は言う。

 

それでも、竹原さんはkamadoに入社することが決まった。理由はこうだ。

 

「第一に、プログラミングで食べていこうとする覚悟を感じたことです。仕事に慣れよう、成果を出そうという姿勢を感じました」(川崎氏)

 

この読みは的中し、実際、職場での竹原さんは「朴訥とした印象とは裏腹に、自分で都度判断しながら仕事を進められる人」(川崎氏)だそうだ。『skillstock』でのボランティアを通じて、高橋氏、澤村氏が伝えてきたことが活きた格好だ。彼らの慧眼あってのことといえよう。

 

そしてもう一つ、川崎氏には採用して良かったと思う点がある。

 

「それは彼のカレーの腕前(笑)。竹原が社外の方々にカレーを振る舞うイベントを月に1回ほど弊社オフィスで開いているんですが、そこからkamadoに興味を持ってくれるエンジニアが増えているんですよ」(川崎氏)

 

竹原さんも、「自分の作ったカレーがきっかけで、恵比寿界隈のITベンチャーの方だったり、別の会社にいる多くのエンジニアと知り合いになれるのは楽しい」と顔をほころばせる。

 

kamadoオフィスに取材に訪れたのは、竹原さんが入社してまだ日も浅い時。リラックスした表情を見せるのは、仕事を楽しんでいるためか

kamadoオフィスを訪れたのは、竹原さんの入社の約2週間後。リラックスした表情なのは、仕事を楽しんでいるためか

 

「岡山の焼肉チェーンに勤めていたころは、とにかく『休みがほしい』、『次の休みはいつだ』って思いながら働いていましたけど、今は楽しくて休みがなくてもいいかなって思うようになりました」(竹原さん)

 

藤代氏には、「『skillstock』には2人の師匠がいるんだから、会社のことでも技術のことでも、不安があったらいつでも聞くといい」と言われている。

 

むろん、竹原さんの師匠は高橋氏、澤村氏だけではない。藤代氏や川崎氏、そしてギークハウスやkamado、カレーパーティーで知り合った仲間たちも、今は彼の成長を温かく見守ってくれる存在だ。

 

「もし皆さんに出会えなければ、おそらく今ごろはニート生活に行きづまって岡山に帰っていたかもしれないって思うことがあります」(竹原さん)

 

紆余曲折を経て、ようやくエンジニアとしてのスタートラインに立つことができた。彼の今後が明るいものになるかどうかは、周囲の支援を糧にどれだけ自分の意思を貫けるかにかかっている。

 

だが、もはや飽きっぽい性格を理由に職を投げ出すことはないだろう。PCを前にして見せる彼の笑顔は、明るい希望に満ちていた。

 

取材・文/武田敏則(グレタケ

モノづくりへの強い想いを持つ、仕様書いらずのクリエイターたちが集まる国内No.1スマートフォンゲームプロバイダー『コロプラ』【億単位調達ベンチャー・開発の非常識】

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世の中に新しいWeb(アプリ)サービスを生み続けるWeb系スタートアップたち。本企画では、その中でも今後大きく成長する余地のある注目企業として、1億円以上の資金調達を行った企業の開発スタイルに迫る。自身のブログメディア『TheStartup』も人気を集める梅木雄平氏をインタビュアーに招き、Webサービスやアプリに"魂を込める"開発チームの特徴を明らかにしていく。

連載第4回目に登場するのは、『コロニーな生活』など、位置情報ゲームの開発・運営を手掛けるコロプラ。現在はスマートフォンアプリ事業に力を入れ、カジュアルゲームから本格派のモバイルネットワークゲームまで手掛け、国内No.1スマートフォンゲームアプリプロバイダーとしての礎を築きつつある。

今後も新作アプリを続々とリリースしていくようだ。2012年6月末日現在、社員数は126名。そんな同社を代表取締役、そして開発責任者として率いる馬場功淳氏に開発の裏側を尋ねた。

位置ゲームプラットフォーム『コロプラ

『コロニーな生活』など、位置情報ゲームの開発・運営を手掛けるコロプラ。2003年に馬場氏が『コロニーな生活』の運営を開始し、2008年10月に株式会社化。その後2011年6月にKDDIから約5億円を調達。2011年9月より、スマートフォンに特化したアプリ開発を開始。2012年7月には同社がリリースしたスマートフォン向けアプリが累計で1,000万ダウンロードを突破した。「Entertainment in Real Life」をモットーに、インターネットだからこそ人々が「おでかけ」したくなるサービスを今後も拡充していくようだ


創業時から変わらない「仕様書不要のスモールチーム」開発


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創業時から変わらないスピード重視の開発スタイルが、コロプラの成長を支えている


「サービス開発に関しては、基本的にはサービス立ち上げ時からやり方を変えていません」

馬場氏は、個人サイトとして『コロニーな生活』を開発した当時と今の開発体制についてそんな風に話す。

「業界常識でもありますが、チームメンバーが増えるほど意思疎通のコストが掛かりますよね。スピードを重視する社内文化があり、開発の効率化を図るためにも、極力少人数のチームでの開発を心掛けています」

同社は、現在は社員約130名のうち、エンジニアが約50名、デザイナーが約25名。プロジェクトごとに、最大10名、最小は1名か2名でチームを組成しているという。プロジェクトによって違いはあるものの、平均するとプロジェクトチームは4~5名で構成され、エンジニア2名、デザイナー2名、ディレクター1名のような体制が多くなっているそうだ。

そんな同社が、開発スピードを上げるために社内で徹底しているのが、「仕様書を書かない」と言うこと。その理由について馬場氏は、「仕様書作りをしている時間がもったいないし、仕様書通りに開発したからといって必ずしも良いものができるとは限らないから」と話す。

「他社さんでは、開発の際に仕様書がないことは驚かれるかもしれませんが、仕様書を基に業務を進めるか否かは社内文化で決められることだと思います。仕様書がない開発に慣れてもらえるよう、当社では入社前にエンジニアに、仕様書を使わないということを事前に伝えています。そのような社内文化を醸成していることもあり、仕様書がないことに対して不満を漏らすエンジニアはいません」

仕様書不要でもスムーズな開発を実現するためには、プロジェクトメンバー同士が密なコミュニケーションを取れるかどうかが重要だという。そこで、社内では職種や部署ではなく、プロジェクトチームごとに席を分けている。

「プロジェクト単位での業務を円滑に進めるために、プロジェクトチームごとで近くの席に座ることを徹底しています。そのため、席替えも頻繁にしていますね。また、社内には立ち会議スペースも複数あり、立ち会議によってスムーズな議論や意思決定が可能です。このように、プロジェクトチームが同じ空間で過ごしているので、仕様書がなくても問題が発生することはありませんよ」

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コロプラ名物の「立ち会議」で、業務効率化とプロジェクトチームの円滑なコミュニケーションをうながす

 

個人の成長には、今のレベル以上の目標設定が不可欠

馬場氏は、代表取締役でありながらも最前線でエンジニアとしてコードを書いている。代表自身が自ら開発をすることの最大のメリットは、「サービスの開発状況やメンバーの動きを正確に自分の目で判断できる」ことだと話す。

一方で、現場に介入しすぎると、ほかのエンジニアの成長を阻害してしまう恐れもあるため、その辺りのバランスを取ることは常に意識しているそうだ。

「トライ・アンド・エラーを繰り返すことや、意思決定をすることが成長につながります。この部分はすごく難しかったりするのですが、わたしが口を出し過ぎたり、意思決定してしまうことで、メンバーの成長機会をあまり奪わないように心掛けています」

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同社の採用HPを見ても分かるように、現在、事業拡大のため中途採用も強化していると話す


人材育成に関しては、その仕事を通した「成功」を実現するサポートができるよう努めている同社。馬場氏が考える「成長」の定義は、たやすく達成できることに取り組んで成果を残すことではなく、「今の自分のレベルでは少し頑張らないと達成できない仕事」を設定して達成することにこそある。よって、それぞれの人材に適した課題設定が非常に大切であり、最も気を配っているそうだ。

同社における「成功」は、定性的な指標と定量的な指標の2つの側面で見られる。

 

定性的な指標としては、そのサービスを通してユーザーが喜んでくれているかどうか。これは、サービス内のコメントや、ソーシャルメディアでのユーザーの反応を見て図ることができる。

 

定量的な指標は、アプリのダウンロード数の伸びや、収益への貢献が挙げられる。この辺りの定量指標が伸びるのは、ユーザーが満足した結果であるととらえられる。プロとしてモノを作る上では、ただの自己満足ではなく、このような指標を満たしていくことの重要性を、社内の共通認識として持っているそうだ。

「コード+α」のスキルセットが、コロプラ流クリエイター

「コードを書く」ということの優位性がなくなってきているため、一般的に「コードを書く存在」であるエンジニアという職種に価値を見出しにくいと、馬場氏は感じている。

「クラウドサービスの台頭など、誰しもが簡単にWebサービスやアプリを開発できる環境が整ってきているため、これからの時代、コードが書けるだけでは通用しない時代になっていくというのは、業界でもよく言われていますよね。だからこそ、コロプラでは『コードを書く』+αのスキルを持つ『クリエイター』を求めたいんです」

同社が求める「クリエイター」の条件は、「モノ作りへの強い想いを持った人」。作りたいモノがあり、開発はそれを実現するための手段としてとらえているような人。

 

馬場氏自身、中学生の頃にPCと出合って以来多くのモノを作ってきたが、そのモチベーションの源泉は「これを作りたい!」というモノづくりへの熱意だったという。

モノづくりを最優先とするクリエイター的なマインドを持っていれば、開発や企画、プロモーションなどの業務内容に制限を設けるのではなく、作りたいモノのために、自らの得意分野を最大限に活かそうと考えるようになる。「エンジニアであろうと、企画が得意であれば企画をやることもあるでしょう。それが自然だと思いますけどね」(馬場氏)。

例えば円滑にプロジェクトを推進できるコミュニケーション能力の高さや、面白いゲームを思いつける発想力や企画力など、コードを書く以外に何か一つでも得意なことがある人物が、同社のクリエイター像なのである。

モノづくりへの強い想いがあり、素直なクリエイター。コロプラではそんな人材が求められている。現在、グローバル展開を視野に入れ、スマホアプリの開発に本腰を入れている同社の動向に、今後も注目したい。

##

社内一面が見渡せるフロアのいたるところで、社内コミュニケーションを活発にする工夫が見られた


インタビュアー

フリーランス マーケター
梅木雄平

フリーランスにてWebサービスの新規事業のコンサルティングやマーケティング 、ライティングを手掛ける。VC業界での経験を活かした事業分析や、投資家関連の記事を展開するブログメディア「TheStartup」を主宰。有料オンラインサロン「Umeki Salon」は会員100名突破間近

撮影/小禄卓也(編集部)

夏休み明けの人も、まだの人も!今日から心機一転「開発」のやる気がわいてくる有名技術屋の名言まとめ

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世間的にはお盆期間に合わせて夏休みだった人も多いこの時期。長期の休み明けには、休みモードを引きずってしまうのも常だろう。そんな人たちに向けて、「再起動」する際にガソリンとなりそうな有名技術屋たちの名言を、弊誌の2012年の人気記事から抜粋してみた。まだ休みを取っていない(もしくは取れてない)人も読んで元気になれるこれらの声に、心機一転やる気になること間違いなし!?

 

 

ソフトウエア開発では、「人はコード書きから離れては生きていけない」というのが僕の持論。ラピュタのセリフじゃないですけど、人は地に足を付けて生きていかなければダメなんです(笑)

 

―― まつもとゆきひろ氏(Ruby / mruby開発者)

 

>> 「コードの未来、エンジニアの未来」まつもとゆきひろが語る、明暗2つのシナリオ 【キーパーソンインタビュー】より抜粋

 

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そもそも、開発を商売にしている人たちは、フツーにしていちゃダメなんです。プログラマーにとって、「普通だね」という言葉はdisり以外の何物でもない。だから、人前で思いっきり遊ぶべきなんですよ。

 

―― 小飼弾氏(アルファブロガー)

 

でもわたしは、やっぱりプログラマーとしての基礎力がないと、パラダイムシフトが起こった時に乗り越えられないと思います。おそらく3年から5年ぐらいは、それでも食っていけますが。

 

―― 増井 雄一郎氏(Appcelerator, Inc. Platform Evangelist)

 

>> 小飼弾×増井雄一郎が大激論! 開発者「大増殖時代」の到来で、プログラマーの存在意義はどう変わる?より抜粋


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良い社会人は必ずしも有名にならなくて良いので、あとは適切なタイミングで、素敵な仲間と、どうやって出会うか、が一番大事なのだと思います。

 

―― 藤川真一(えふしん)氏

 

 

>> 起業することとは、社会的意義を作り、社会にクサビを打っていくこと【連載:えふしん④】より抜粋

 

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今この時代に「世の中に何か言いたい」、「世の中を変えてやりたい」と思ったら、間違いなくプログラマーやエンジニアになった方が良いと思うわけです。

シド・ヴィシャスやジョン・レノンも、今だったら楽曲じゃなくプログラムを書いていたかもしれない。

 

―― 宮坂 学氏(ヤフー株式会社 代表取締役社長)

 

>> ヤフー新経営陣「スマホ時代のNext Big Thingを作るため、"ならず者"たちを解き放つ」【キーパーソンインタビュー】より抜粋

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「結局は楽しいからプログラマーをやっている」、「その楽しさを能動的に見いだしているから長続きする」。これって普遍的なメッセージですよね。

 

―― ひがやすを氏(株式会社電通国際情報サービス)

 

人間にとって、時間は限られているじゃないですか。例えば、『ニコニコ動画』を観て楽しむためには、仕事をする時間を減らして可処分時間を増やさなきゃいけない。だから、システムを使う人がムダな作業を減らすための手伝いをしたいんです。

 

―― 和田卓人氏(タワーズ・クエスト株式会社 取締役社長)

 

>> [対談]ひがやすを×和田卓人×Yoshiori ところで、何で今もプログラマー続けてるのか、ホンネで話してみない?より抜粋

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今日は、僕のような非コミュなプログラマーが独立するのに必要なたった2つスキルについて書きたいと思います。

 

 

それは、スキルというより勇気だと思ってます。たった2つだけです。

 

 

(1) nullなり適当な値をつっこんでコンパイルする勇気
(2) プライドを捨てて、人に聞いたり、頼ったりする勇気

 

これだけです。

 

―― 村上福之氏(株式会社クレイジーワークス 代表取締役 総裁)

 

>> 非コミュプログラマーが独立するのに必要なたった2つの勇気【連載:村上福之①】より抜粋

 

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おそらくスティーブ・ジョブズは、Why?が大切なんて意識もしてなかったと思いますよ。口先ではなく、デジタル時代のより良いライフスタイルを作ろうと本気で信じて突き進んできたから、共感を集めることができたんです。そこにはきっとWhy?が存在したんです。

 

―― 中島聡氏(UIEvolution株式会社 Founder)

 

>> 『Why?』のある企業だけが生き残る」中島聡が語る"3度目のワールドシフト"の正体より抜粋

 

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そういう自分に対する厳しさが、可能を芸術に高めるために必要なのかと思います。わたしは元エンジニアだったのですが、わたしの知るエンジニアの多くの方には、そういう「絶対に妥協しない」ストイックさが備わっていると思います。

 

―― 上杉周作氏(元Quora Product Designer)

 

>> 「デザインは可能を芸術に昇華させること」元Quoraデザイナー・上杉周作が語るこれからのプロダクトデザインより抜粋


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しかも、変化の激しいこの時代は、代替不可能な期間はどんどん短くなっています。だから一生学び続けて、どうすればバリューオンできるのか自分の頭で考えて、アウトプットを出し続けていかなくてはいけない。

 

―― 国光宏尚氏(株式会社gumi 代表取締役社長)


>> 「日本を立て直すにはこれしかない」 ゲーム界の寵児・国光宏尚の世界制覇シナリオより抜粋

 

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要件定義だけして人に投げたり、手を動かすことだけしかしない人は、エンジニアとは呼べないと思いますね。ただの部品ですよ。人と話せて、企画ができて、ものづくりができて、サポートもできる人こそがエンジニア。

 

―― 倉貫義人氏(株式会社ソニックガーデン 代表取締役社長 CEO)

 

>> [特集:SEが消える 3/3] 自称スペシャリストほど使えない。新型エンジニアに「トータルフットボール」が求められるワケより抜粋

『nanapi』CTO和田修一に聞く~月間PV4000万超をさばくシステムと、「事業を動かす肌感覚」の作り方【連載:BizHack】

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CTOが、他社CTOに直接聞きたいことを聞く!自らもエンジニアながら、3社の経営に携わっている竹内真氏をインタビュアーに迎え、注目のIT・Webサービスを展開する企業の技術トップにインタビューを敢行するこの企画。ビジネスの最前線で、技術のみならず経営をも担うCTO同士の対話から、エンジニアがどのように「ビジネスを創ることのできる技術屋」へと進化すべきか、その思考・行動原則をあぶり出していく。

 

ライフレシピ投稿サイト『nanapi(ナナピ)』

ライフレシピ投稿サイト『nanapi(ナナピ)

連載の第1回目となる今回登場してもらったのは、みんなで作るレシピサイト『nanapi』を運営するnanapiのCTOである和田修一氏だ。

 

立ち上げからわずか3年で、月間PV数4000万(※2012年8月時点)を超えるサービスに育て上げるまでの苦労と、CTOとして活躍するための秘けつや心構えについて聞いた。

 

CTO対談「BizHack」 インタビュアー・プロフィール

株式会社レイハウオリ 代表取締役 | 株式会社ビズリーチ・株式会社ルクサ CTO
竹内 真氏 (blog:singtacks

電気通信大学を卒業後、富士ソフトを経て、リクルートの共通化基盤やフレームワークの構築などを担当。並行してWeb開発・制作会社であるレイハウオリを設立。その後、ハイクラス転職サイトを運営するビズリーチ、国内最大級のタイムセールサイトを運営するルクサを創業、CTOに就任。mobyletなどのOSS活動も行っており、The Seasar Foundationのコミッターとしても活躍

今回のゲストCTO

株式会社nanapi 取締役 CTO
和田修一氏 (@wadap

中央大学経済学部卒業後、2005年に楽天入社。楽天市場の運用担当のほか、台湾版楽天市場の設計・構築・運用などに携わるなど、インフラエンジニアとして活躍。現在は、CTOとして2009年9月オープンのライフレシピ投稿サイト『nanapi(ナナピ)』を技術・経営の両面から支えるかたわら、講演や執筆、メディア出演経験も多数。個人ブログ『Unix的なアレ』も人気

 

竹内 はじめまして、本日はよろしくお願い致します。

 

和田 こちらこそよろしくお願いします

 

「サービス開始がほぼ一緒」という理由で、和田氏に親近感を持っていた竹内氏

「サービス開始がほぼ一緒」という理由で、和田氏に親近感を持っていた竹内氏

竹内 実は、和田さんが手掛けてこられた『nanapi』と、わたしがCTOを務める『ビズリーチ』は、サービス開始時期がほぼ同時期なんです。

 

和田 あ、そうなんですね!

 

竹内 それで、創業期からのCTOとして立ち上げを経験をした人間同士、親近感を感じていたのですが、実際『nanapi』を作り上げるにあたって、上手くできる自信というか、勝算みたいなものってありましたか?

 

和田 もちろん会社経営は初めてのことですから、あまり自信があったわけではありません。でもそれは、Webサービスを作ってうまくビジネスにしていけるかどうか多少の不安があったという意味で、会社として利益を出しながら潰さないようにやっていくことは、何とかできるだろうという自信はありました。

 

竹内 経営という観点から言うと、それだけでも十分素晴らしい自信だと思うのですが、なぜそう思えたのでしょう?

 

和田 わたしはどちらかというと『ザ・エンジニア』みたいな指向がそもそも薄い方だからだと思います。大学も文系出身ですし、新卒で入った楽天での配属先もたまたまエンジニアリングを担う部署だっただけで、そもそもエンジニアを志望していたわけでもありませんでした。

 

竹内 そうなんですか。

 

和田 そのせいか、「必要であればエンジニアリングを捨ててでも何とかする」という気持ちはどこかに持っていたように思います。もしかしたら、それが大きかったのかも知れませんね。

 

起業直後の「キャッシュとの戦い」は、受託や生活水準を落としてやりくり

竹内 それともう一つ、お会いしてぜひ伺いたかった質問があるんですがよろしいですか?

 

和田 ええ、どうぞ。

 

竹内 どんな会社も、スタートアップ時は「キャッシュとの戦い」を強いられます。実際、わたしも経験しましたが、自分に払う給与を削らなくてはならないことも少なくありません。nanapiにもそうした厳しい時期もあったと思いますが、どうやって切り抜けられたんですか?

 

和田 正直、前職の楽天にいた時の方がはるかに年収も高かったので、都内の実家に戻ったり、食べるものや身に付けるものは意識的に削って、生活水準を落としました。実は会社としても『nanapi』開発のかたわら、受託を請け負ってしのいだ時期もあったんですよ。月末になると銀行残高とにらめっこして、来月やるべきことを決める、なんてこともありましたね。

 

創業時は「生みの苦しみ」を味わった和田氏だが、20代の起業を肯定的にとらえている

創業時は「生みの苦しみ」を味わった和田氏だが、20代の起業を肯定的にとらえている

竹内 中には、そういう金銭的な厳しさがイヤで起業を躊躇する人もいるようです。

 

和田 でもわたし自身、20代で年収にこだわるって、意味がないことだと思っていましたからそんなに苦ではありませんでした。だって、経験の方がはるかに大事じゃないですか? 

 

竹内 本当にそうですよね。

 

和田 起業以前からそういう考えがあったので、年収が減ることも、生活水準を落とすことも受け入れられたんだと思います。でも、それができたのは20代だったからかもしれませんね。

 

竹内 その理由は?

 

和田 年を重ねると、どうしても背負うものが増えますから。「やらない理由」や「できない理由」も同時に増えてしまいます。若いうちに起業してよかったと思うのは、そういう部分かもしれません。

 

竹内 分かります。逆にそうした厳しい状況にあっても削らなかったものはありましたか?

 

和田 この世界って最終的には身体が資本だと思っていたので、ジムの費用だけは削りませんでした(笑)。

 

竹内 それは素晴らしい! 僕は全然運動していないので、根性で乗り切ってますよ(笑)。

 

和田 それは人それぞれなんでしょうね(笑)。わたしは体力的にも精神的にも常に一定のパフォーマンスが出せるようにしておくことが大事だと思っていたので、運動だけは続けていたんです。

 

大量アクセスを低コストでさばく、nanapi流のバックエンド構築法

竹内 ちょっと技術の話も聞いてもいいですか? インフラ含め、何もかも自分自身で決定しなければいけないのがスタートアップのCTOだと思いますが、『nanapi』はどういう構成でスタートを切られましたか?

 

和田 いわゆるLAMPです。今も基本的な構成は変わっていません。

 

竹内 どうしてLAMPを選択されたのですか?

 

「小さなチーム」でシステム構築する際の判断軸を話す2人。想定されるリスクとどう付き合うかカギとなる

「小さなチーム」でシステム構築する際の判断軸を話す2人。想定されるリスクとどう付き合うかカギとなる

和田 LinuxやApacheは楽天時代から使い慣れてたというのが一番の理由ですね。PHPに関しては、代表取締役の古川(健介氏)も少し使えるので、「もし僕が倒れても何とかなるだろう」と(笑)。

 

竹内 コーポレートリスクも回避する一石二鳥の選択だったわけですか。この構成にして、特に良かったなと思うことはどんな点ですか?

 

和田 PHPでないとできないことってあまりないので、技術的な部分というよりは、むしろリソース確保の意味でとても良い選択だったと思っています。今にして思えば、この構成を選んだからこそ現在のエンジニアチームが作れたわけなので、そういう部分で良かったなとは思います。

 

竹内 なるほど。ところで和田さん自身は、もともとPHPはお得意だったんでしょうか?

 

和田 いいえ。楽天にいた4年間は、ほとんどインフラに携わっていたので、得意ではありませんでした。本格的に学んだのは起業してからになります。技術書を読んで、勉強した新しいシステム構成を少しずつ『nanapi』に反映させていたせいか、どうしても起業後の自分の成長と『nanapi』の成長がリンクしているように感じてしまいますね。

 

竹内 今まで大がかりなシステムのアップデートは何回ぐらいされましたか?

 

和田 丸3年で5回です。

 

竹内 となると、楽天時代から一貫してインフラにかかわっていることになるんですね。この間、バックエンドのシステムに対する考えで変わった部分あるのでしょうか?

(次ページに続く)

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nanapiがパブリッククラウド環境を使っていない理由 

和田 変わったのはコスト意識でしょうね。前職では、一度に数百万円分のサーバを発注することが何度かありましたが、スタートアップがそんな感覚でやっていたら潰れてしまいます(笑)。起業してコストへの意識はおのずと高くなりましたね。

 

竹内 確か『nanapi』はパブリッククラウド環境は利用されていないそうですが、それもやはりコスト意識の表れだったりするんですか?

 

和田 ええ。実際『nanapi』はクララオンラインさんに物理サーバを借りて環境を構築しています。理由は、限られたサーバの中でやりくりしなければいけない状況の方が、かえってアプリケーションやほかのプロダクトを改善して、ハードにかかるコストを落とせるからなんです。

 

nanapiは恋愛や生活、ガジェット関連など豊富な「ライフレシピ」がそろい、月間で1000万を超える訪問数を誇る

nanapiは恋愛や生活、ガジェット関連など豊富な「ライフレシピ」がそろい、月間で1400万を超える訪問数を誇る

竹内 なるほど。

 

和田 今『nanapi』は、月間で1400万ほどの訪問者数があり、月あたり110~120%程度で成長しているんですが、アクセスに一番影響があるのは記事の投稿数のため、ある程度予測が立てやすい面があります。アクセス数に大きなムラがあるサービスであればパブリッククラウドを使うメリットが大きいのでしょうが、『nanapi』の場合は独自に環境を構築する方がコスト的にも有利なんですよ。

 

竹内 やはりそうでしたか。その判断にはとても共感するものがありますね。これ以外に、大量アクセスを低コストでさばくために工夫されていることはありますか?

 

和田 難しいことはやっていないのですが、サービスの特性上、ほとんどがREADのリクエストなのでスケールアウトしやすく作るというところと、キャッシュ、画像のリサイズ処理のあたりを工夫しています。

 

竹内 キャッシュもCDNのような外部に頼る形ではなく、内部でmemcachedのようなものを立ち上げているのでしょうか?

 

和田 そうです。memcachedを使ってキャッシュしています。

 

竹内 CDNも高価なものが多いですからね(笑)。画像変換のところはどのように?

 

和田 リクエスト単位で動的に画像サイズを変換するものを独自に作っています。一度変換したものはキャッシュしておいて、というようなものです。ここだけは処理コストの関係上、Imlib2をPerlで叩いています。

 

竹内 リクエスト単位での処理だと、PHP GDよりも特に処理スピード面では利がありますよね。CTOとして技術だけの視点ではなく、コストなど数字への視点も持ちながら運営されているのがよく分かりました。

 

「たとえ中身が不完全でも、動いた方が偉い」

「ビジネスをつくるエンジニアになるには、創造力を持つことも大事」(和田氏)

「ビジネスをつくるエンジニアになるには、創造力を持つことも大事」(和田氏)

竹内 ところで、いちエンジニアからCTOになったことで一番変わったことって何ですか?

 

和田 これはWeb業界に入ったころから思っていたことですが、「たとえ中身が不完全でも動いた方が偉い」という考え方はより鮮明に感じるようになりました。

 

竹内 エンジニアとしてのクオリティーと、事業としてのプライオリティーは別次元なんですよね。

 

和田 はい。それにサービスへのマインドも変わりました。起業してからは、バグやエラーがあればすべて自分の責任になりますから。ちょっとしたアラートも見過ごせなくなったというのはありますね。

 

竹内 技術的な問題が起これば、対応するのは自分以外にあり得ないという責任感は強くなるものですよね。

 

和田 はい。それは確かに感じます。

 

竹内 ほかに変わったことはありますか?

 

和田 強いて挙げれば、友人や知人の反応でしょうか。自分はただ毎日必死にやっているだけなのに、肩書きは「CTO」だったり「取締役」だったりするので、「出世したね。給料いくら?」と(笑)。

 

竹内 それ、分かるなぁ(笑)。

 

和田 最初はちょっと良い気分の時もありましたけど、そんな扱いに慣れてしまうと自分を勘違いしてしまうので、なるべく受け流すようにはしていますが、これがなかなか面倒で。

 

竹内 確かに(笑)。いちいち説明するのも面倒なものがありますが、変な自己満足に陥ってしまうと確かに良くないですからね。

 

和田 そうなんですよ。

 

CTOは「スーツ」と「ギーク」のどちらに肩入れしてもダメ

お互いの手掛けるWebサイトを見ながら、こだわりのポイントを語り合う一幕も

お互いの手掛けるWebサイトを見ながら、こだわりのポイントを語り合う一幕も

竹内 では、次が最後の質問です。和田さんにとってCTOとは何ですか?

 

和田 うーん......、「技術が理解できる経営者」だと思います。

 

竹内 そのココロは?

 

和田 軸足は経営者に置きつつも、エンジニアの気持ちが分からなければいけない。そんな立場ではないでしょうか。例えばマネジメントするにしても、エディタの話題で一緒に盛り上がれるような部分がないと、エンジニアの気持ちを理解することは難しいですし、株主総会や取締役会などでは、エンジニアとしてではなく経営者としての発言が求められます。

 

竹内 確かにそうですね。

 

和田 自分の中では「経営者」、「マネジャー」、「エンジニア」の三者の考え方を共存させながら、バランスをとって現場を立ち回っていく存在。それがCTOだと思っています。

 

竹内 エンジニアとしてはGOサインを出したくても、「経営者」、「マネジャー」としてはNOと言わざるを得ないこともありますよね?

 

和田 そうですね。ですから、ミーティングなどで発言する際には、意識的に「マネジャーとして言うと......」とか「経営の立場で言うと......」といった感じで、発言の前に枕詞を付け、自分の立場を明らかにしてから発言するようになりました。

 

竹内 それは分かりやすいですね。

 

和田 よく、エンジニアと非エンジニアの対立を「スーツ」vs「ギーク」みたいな対比で語ることがあるじゃないですか。CTOはどちらに肩入れしてもマズいと思うのですが、常に中立的であればいいかというと、それだけも不十分だとも思っています。なぜなら、現場で戦ったことがないCTOや、エンジニアリングから完全に足を洗ったCTOについていきたいと思うエンジニアって、あんまりいないと思うからです。

 

竹内 そうでしょうね。

 

和田 ですから、わたしはメンバーが今どんな開発をしているか把握していますし、現場の開発ミーティングには顔だけでなく口も出します(笑)。少し前に比べれば、自分でコードを書く時間は減りましたが、CTOである限り現役のエンジニアであり続けていたいと思っているんです。

 

竹内 なるほど、和田さんにとってのCTOの定義がよく分かりました。本日は大変貴重な話をいただき、ありがとうございました。これからもお互い頑張っていきましょう!

 

和田 こちらこそ、ありがとうございました!

 

編集/武田敏則(グレタケ) 撮影/玄樹

2年で約10倍のエンジニア数に~gumiが実践する「急成長してもサービスの質を担保し続ける」採用手法とは?【億単位調達ベンチャー・開発の非常識】

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世の中に新しいWeb(アプリ)サービスを生み続けるWeb系スタートアップたち。本企画では、その中でも今後大きく成長する余地のある注目企業として、1億円以上の資金調達を行った企業の開発スタイルに迫る。自身のブログメディア『TheStartup』も人気を集める梅木雄平氏をインタビュアーに招き、Webサービスやアプリに"魂を込める"開発チームの特徴を明らかにしていく。


今回は、ソーシャルゲーム・プロバイダーの雄、『gumi』が本連載に満を持して登場。

 

「打倒Zynga」を合言葉に、競争が激しいソーシャルゲーム業界の中で目覚ましい成長を遂げる同社。そんな同社の開発チームを率いる、執行役員で技術開発部・部長の田村祐樹氏と、同社のチーフエンジニアである奥田智典氏に、gumi流ソーシャルゲームの開発の裏側を聞いた。

 

(写真左)執行役員で技術開発部・部長の田村祐樹氏 (写真右)チーフエンジニアの奥田智典氏

 

ソーシャルゲームの企画・開発・運営『gumi

GREEなどのソーシャルゲームプラットフォームに対してソーシャルゲームを提供する株式会社gumiは、2011年12月に総額20億円を調達し、現代の国内スタートアップ業界の中でも際立って大きな調達額であったこともあり、注目を浴びた。その後、精力的にソーシャルゲームをリリースし、数多くのヒット作を生み出している


組織の成長過程で試行錯誤しながら見つけた「採用の第3フェーズ」

工夫を凝らした採用・育成手法を語る田村氏

 

現在、gumiの開発チーム全体を統括する田村氏は、2010年7月に入社。入社時のgumiは約30人で、エンジニアは当時のCTOの堀内康弘氏以下、フラットな体制だった。

 

それが2012年8月時点でエンジニアだけで100名を超える大所帯となっており、直近2年でエンジニアの数は約10倍に増えている。同社の急成長を支えた背景にはエンジニアの急増があり、その採用過程には3段階のフェーズがあったようだ。

 

「わたしが入社したころは、代表の国光(宏尚氏)やCTOの堀内が面接をして、そのまま採用ということが多かったですね」と田村氏は振り返る。しかし、この手法では入社した人材のスキルレベルに差が出るという欠陥もあり、2012年初頭くらいから始まった「採用の第2フェーズ」で、より体系立てた採用方法を設計したという。

 

「リーダーレベル、サブリーダーレベル、アシスタントレベルと、採るべき人材のレベル感を考え、まずはリーダーレベルの人材から採用を始めていきました。業務の急拡大で人材が不足していたのは確かですが、採用してすぐにすべての人材が即戦力となれるわけではないので、最初は育成する余裕があるチームに配属するなど、適切な人員配置を考えました」(田村氏)

 

この第2フェーズで意識した採用手法で、入社してくるエンジニアの質が安定し、最近はさらに採用手法をブラッシュアップ。現在では、スタートアップにしては稀な育成手法を確立させた第3フェーズに入っている。

 

採用では履歴書でかなりスクリーニングしているようだが、その後は性格診断テストやgumi独自で開発した技術テストを経て、個別面談となっている。この2つのテストは、入社後の業務適正を図るのに一定の効果があるようだ。

 

入社後は今まではひたすらOJTだったが、現在では入社後に3日間の技術研修があり、その後1~2週間の仮配属。面談を経て、本配属先を決定するという流れを取っている。

 

入社した社員がどのチームにフィットできるか、最大限のパフォーマンスを挙げられるような配慮がなされている。

 

ソーシャルゲームが好きで人に興味があることが重要な採用条件

gumiで現在求められるエンジニアの条件は2つ。「ソーシャルゲームが好きであること」と、「技術よりも人に興味があること」だ。

 

ソーシャルゲームという事業特性上、ユーザーとしてソーシャルゲームを普段から利用していること、ソーシャルゲームの設計を考える上でユーザー視点があることが大事であると田村氏は言う。

 

急拡大してきた中でも一定水準以上のソーシャルゲームアプリをリリースし続けることができている要因として、社内にアプリ開発のナレッジが溜まっているという要因もあるが、採用時にソーシャルゲームのリテラシーが一定以上あるエンジニアを採用しているという点は大きい。

 

チーフエンジニアの奥田氏は、「例えば競合のソーシャルゲームをやりこむことで企画のアイディアが浮かぶなど、ゲームをやっているか否かは業務に直結するため非常に大事です」と語っている。

 

今後はエンジニア評価の一環としてゲームをやっていることを考慮されるほど、この要素は重視しているそうだ。

 

施策に対してリアルタイムに結果が見える点がやりがい

ソーシャルゲームならではのやりがいについて語る奥田氏

ソーシャルゲームならではの開発のやりがいについて語る奥田氏

 

さらに奥田氏は、2010年7月にgumiへ入社した経緯や現場での仕事のやりがいについて、続けてこう語る。

 

「gumiで採用されている開発言語がPythonだったこともあって、前職のSIer時代にPythonで開発していた自分の力が役立つのではないかと思いました。実はわたし自身がgumiを受けた時はソーシャルゲームをやったことがなく、少し負い目を感じていましたが、面接で代表の国光から『Zyngaを倒す』、『ソーシャルゲームという分野で日本発の会社が世界市場で勝たなければならない』などのスケールの大きな話をされ、『すごい会社になりそうだ。自分もその一員になりたい』と思って入社したんです」(奥田氏)

 

入社後は、画面や文言の修正などという細かい業務から入り、入社3カ月を過ぎたころからアプリ開発を任されるようになったそうだ。その後いくつかのアプリを手掛けていくうちに、施策に対してリアルタイムに売上やユーザー数の伸びなどが測定できるソーシャルゲームの世界に、特に面白みを感じるようになったという。

 

スポーツ系のアプリを手掛けた際には記録的な大ヒットとなり、そのアプリの成功で社内の開発文化を一変させてしまうほどのインパクトとなったこともあり、大きな喜びや達成感を得たそうだ。その実績を元に、奥田氏はgumiのエンジニアの平均年齢29歳をやや上回る30歳で、執行役員である田村氏の部隊のマネジャーに抜擢されている。

 

「とにかく楽しくサービスを作ること」がgumiで大切な開発思想

社内の開発ルールとしては、開発のゴールは明確化するものの、プロセスの裁量は各自に任せていることが多いという。

 

「ゴールはアプリインストール数や売上などのKPIをデジタルで数値化できますが、プロセスはわりと属人的でアナログであると思います。KPIはしっかり管理しつつも、そのプロセスは比較的自由にやってもらうという、バランスを取りながらやっています」(田村氏)

 

gumiで最も重要視されている開発思想は「とにかく楽しくやる」ということだそうだ。「自分が所属するチームがリリースしたアプリのユーザーに楽しんでもらえて、ユーザーの声や売上が好調な時に、楽しさを感じている社員が多いようです」と田村氏は語る。

 

今でこそヒットゲームを量産しているgumiも、過去にはアプリをリリースしてもなかなかヒットせず、早期に撤退したこともある。

 

「その時の経験則もあって、ヒットしないアプリに時間や人的リソースを費やすよりは、気分を切り替えて新たなチャレンジをして、楽しんでサービスを作ってもらった方が良い結果が出やすいと考えています。現在ではナレッジが溜まってきたこともあり、大きく外すアプリをリリースすることはなくなりましたが」(田村氏)

 

理想のチームはリーダー頼みではなく、全員が自分の役割を果たすことに加え、自発的に考えて上手く噛み合う、総合力のあるチームであるという。メンバーも繊細な人と大雑把な人を同じチームにするなど、相互補完できるような多様性のある設計を心掛けている。

 

ポップでキャッチーな色使いで明るいオフィスのgumi社内

ポップでキャッチーな色使いで明るいオフィスのgumi社内

 

インタビュアー

フリーランス マーケター
梅木雄平

フリーランスにてWebサービスの新規事業のコンサルティングやマーケティング 、ライティングを手掛ける。VC業界での経験を活かした事業分析や、投資家関連の記事を展開するブログメディア「TheStartup」を主宰。有料オンラインサロン「Umeki Salon」は会員100名突破間近

撮影/竹井俊晴

誰とでも音楽を"共創"できる画期的アプリ『nana』誕生秘話~素敵な偶然とTechな必然 【連載:NEOジェネ!】

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世間をアッと言わせるユニークなアイデアと技術力で勝負しているニュージェネレーションを応援するこの連載。今回紹介するのは、前回登場のFULLERにオススメされたnana musicの2人。「歌で世界とつながる」というコンセプトのiPhoneアプリ『nana』をリリースしたばかりの彼らは、奇妙な偶然の末にチームを組むことになり、次世代のエンターテインメント・サービスを生み出した。その偶然と、「クラウドありき」で「DB構成を工夫できる技術的な余地」がある今だから実現可能だった開発のプロセスに迫る。

 

nana music, Inc.
(左)CEO Founder 文原明臣氏
(右)Server Engineer 辻川隆志氏

 

見知らぬ者同士がネットを通じて1つの曲を作り上げていく。そんな、"音楽をコラボレートする"喜びを手軽に体験させてくれるのが、2012年8月21日にリリースされたばかりのiPhoneアプリ『nana』だ。

 

『nana』が数ある音楽アプリの中でもユニークなのは、ネット環境とiPhoneさえあれば、音楽経験がなくても楽しめる点。このビデオを観てもらえれば分かるように、『nana』を使うにあたっては楽器演奏やDTMソフトの経験は不問。歌いたいという気持ち(たとえ鼻歌であっても!)さえあれば、音楽で世界とつながることができるのだ。

 

使い方の一例を挙げよう。まず『nana』を立ち上げ、フォローしているユーザーのタイムラインから、魅力的な音源を見つける。次にその音源を再生しながら、歌や演奏を録音。気に入ったテイクが録れた段階で再びサーバにアップロードすると、あなたの手が加わった音源がほかのユーザーにも共有されることになる。 

 

『nana』の画像イメージ。利用シーンの一例として、(左から)①Profileページを作り、②他のユーザーがUPする音源を探し、③音源を聞いてみて、④自分も音源を「重ね録音」する、ということができる

『nana』の画像イメージ。利用シーンの一例として、(左から)①Profileページを作り、②他のユーザーがUPする音源を探し、③音源を聞いてみて、④自分も音源を「重ね録音」する、ということができる

 

共有後、誰かが、あなたのアップした音源とコラボしたものを新しい音源としてアップするかもしれないし、一人で重ね録りして作り上げた音源に思いもよらないアレンジが加えられ、目からウロコが落ちるような体験をするかも知れない。そうした予測不可能な意外性も『nana』の持つ魅力の一つだといえる。

 

 

2010年1月12日、中央アメリカの西インド諸島のハイチ共和国をマグニチュード7.0の大地震が襲った。約31万人もの死者を出したハイチの復興を支援するため、翌2月に80名を超える大物ミュージシャンや俳優が集結。ある曲がレコーディングされた。

 

『We Are The World 25 for Haiti』のオフィシャルYoutubeムービーはコチラ

『We Are The World 25 for Haiti』のオフィシャルYoutubeムービーはコチラ(画像をクリックすると見れます)

その曲とは、ご存知の方も多いであろう『We Are The World 25 for Haiti』。1985年にアフリカ支援を目的としたチャリティーソング『We Are The World』をリメイクしたこの曲の収益は、その後のハイチ復興支援に大いに役立てられることになる。

 

このプロジェクトは、1985年の『We Are~』にはなかった、あるユニークな試みが行われたことでも話題となった。それは、プロジェクトの主宰したクインシー・ジョーンズやライオネル・リッチーらが、Youtubeコミュニティーに対して『Youtube Edition』の制作を呼びかけたのだ。

 

この呼びかけに応じたのは、カナダのシンガーLisa Lavie。彼女が中心となってYoutubeで活躍するシンガー57人を選び、それぞれが思い思いの場で『We Are The World』を唄う姿をビデオ撮影。それを1カ所に集めて再編集し、Youtubeで公開(『Youtube Edition』の動画はコチラ)したところ、たちまち200万回を超える再生回数を記録(現在は500万回を突破)。世界各国から賞賛のコメントが寄せられることになる。

 

『nana』を発案した文原明臣氏も、神戸でこのビデオの存在を知って「鳥肌が立つような感動を覚えた」そうだ。

 

「自分も同じように世界中の人と歌ってみたい」。そう感じた文原氏は、何とか自分の力で実現できないか、その方法を模索していた時、iPhoneを見て『nana』の構想を閃めいた。

 

 

「とはいえ、文原の話を聞いた時はどんな風に作ればいいのか見当もつきませんでしたね」

 

詳細は後述するが、辻川氏が文原氏と出会った経緯はとてもユニーク

詳細は後述するが、辻川氏が文原氏と出会った経緯はとてもユニーク

そう話すのは、文原氏の閃きから3カ月後にあたる2011年5月、たまたま出会った辻川隆志氏だ。文原氏に『nana』のアイデアを聞き、後にバックエンド側の開発を担うことになる。

 

辻川氏は、モバイルコンテンツの開発経験や、データセンターの運用経験があるベテランエンジニア。「動き出せば2カ月もあれば形になるだろう」と軽く考えていたが、内実はそれほど甘くはなかったと話す。

 

「開発初期のころは、わたしも、フロントを担当する永島(次朗氏)もまだ、前職に在籍中だったんですね。『nana』の開発やミーティングは、毎晩帰宅してから。土日以外、直接会える機会はほとんどなかったので、互い意思疎通に思いのほか時間がかかってしまいました」(辻川氏)

 

実際に開発に要した期間は、約半年にも及んだという。どれを取っても「ないない尽くし」の開発だったが、当初から普通にリレーショナルなデータベースを組んでしまうと、かなり重い処理を強いられることは想定できた。

 

そのため、なるべくデータベースに負荷をかけぬよう、NoSQLのMongoDBやmemcachedを採用し、サーバにはAmazonのクラウド環境であるAWSを選択。スピードや冗長性、そしてアベイラビリティーの確保を目指した。

 

むろん、音楽配信系の勉強会などにもたびたび足を運び、知識の吸収にも努めたという。

 

「『nana』は、コミュニティーの誰かがプログラムを追加すると派生バージョンが次々と生まれる『GitHub』のような仕組み。当初計画していた7月末のリリースには間に合いませんでしたが、8月前半までには開発をほぼまとめることができました」(辻川氏) 

 

元レーサーが、Twitterでの「銭湯探し」が縁で技術屋と出会うまで

文原氏は神戸高専・機械工学科の出身で、在校中の19歳から5年間、F4クラスのレースに参戦していたという異色な経歴の持ち主。

 

「いつかはF1へ」

 

そんな夢を抱いてのレース活動だったが、2009年の夏、資金難に見舞われその夢が絶たれる。ハイチ地震支援のチャリティー映像をYoutubeで見つけ、『nana』のアイデアを思いついたのは、そんな挫折を経験した半年後のことだった。

 

「実はレーサーを志す前から温めていた夢がもう一つあったんです。それはシンガーになること。ずっとアメリカのジャズバーに出演しながら生計を立てるような暮しにあこがれていました。いつか自分もそんなシンガーになりたいと思って、学生時代からずっと独学で歌を学んでいたんです」(文原氏)

 

その夢が期せずしてIT分野での起業に結び付き、レーサーを断念した彼のその後の運命を切り開くことになる。

 

「SFアニメも好きで、テクノロジーが実現する未来に魅力を感じていました。とはいえ、すぐにこの分野で起業しようと思っていたわけではなかったんです」(文原氏)

 

それでも、前述の『We Are~for Haiti』を見た瞬間、『nana』の企画を閃いた。シンガーになりたかった夢とITへの期待が、無意識のうちに影響していたのかもしれない。

 

まだ20代の文原氏に対し、辻川氏はすでに40代。この年齢差コンビが誕生したきっかけは?

まだ20代の文原氏に対し、辻川氏はすでに40代。この年齢差コンビが誕生したきっかけは?

「自分が欲しいから作りたい」。そんな思いで『nana』のアイデアを形にすべく走り出してはみたものの、文原氏自身には開発経験はない。突破口となったのは、偶然の出会いを好機に変える、引きの良さだった。

 

「池袋にある銭湯を探してます」

 

2011年のゴールンウィーク直前、当時別の会社に勤めていた辻川氏の目に、そんな内容のTweetが飛び込んできた。つぶやいたのは文原氏。この時文原氏は、『nana』の開発準備のため上京していたのだが、都内の状況に疎かったためTwitterのフォロワーに助けを求めたのだ。

 

当時の辻川氏と文原氏は面識もなく、Twitterを介して互いにフォローし合うだけの関係。辻川氏は軽い気持ちで「foursquareで探してみたら?」とメンションを送ったところ、文原氏からお礼とともに「音楽アプリを作るために上京している」という返信が届く。

 

偶然にも音楽アプリに興味を持っていた辻川氏は、文原氏の話に興味を惹かれ、東京滞在中に一度文原氏と会う約束をする。

 

最優先したのは「完成形を作るより、まずプロダクトを出すこと」

会って話を聞くと、「みんなで唄え」て「音を重ねられる」音楽アプリが作りたいという文原氏の言葉に、正直戸惑いを覚えたという。辻川氏自身が思い描いていた音楽アプリとは、似ても似つかないものだったからだ。

 

説明と疑問の払拭に要した時間はおよそ4時間。ただの情報交換のつもりで会った辻川氏にとって、初顔合わせがこんなに長引くとは予想していなかったが、一方で文原氏の熱意に共感を覚えたのは確かだった。

 

『nana』の未来に希望を感じた辻川氏は、協力を約束。しかし、本格的な開発に入るまでにはそれから約半年もの時間を要した。

 

この間、人材集めや資金集めに奔走していた文原氏は、シリコンバレーにも足を伸ばして人脈を築くなど精力的に活動。それが功を奏し、2011年7月から11月にかけて、出資を買って出てくれる複数のエンジェル投資家や、インタラクションデザインを担当する藤木穣氏、iOSエンジニアの永島次朗氏の協力を得ることに成功する。

 

異なる経歴の面々による「コワーク」の場所となったPAX CoworkingのHP。藤木氏(右端に後ろ姿が見える)との出会いもここだった

開発陣の「コワーク」の場所となったPAX CoworkingのHP。藤木氏(右端に後ろ姿が見える)との出会いもここだった

会社登記は米国デラウェア州のため、開発は東京・経堂にあるコワーキングスペース「PAX Coworking」が拠点。2012年に入り、いよいよ開発が本格化していった。

 

チーム全体では、「まずプロダクトを出すこと」を最優先に開発を進めたという。

 

『nana』は前例のないアプリだが、サービスの概要を説明すればたいていの人には面白がってもらえ、夢も感じてもらえる。そこで、「どれだけのユーザーに需要があるのか?」、「本当に収益を生めるのか?」というビジネス面での厳しい問いには、実際にプロダクトを出して答えるしかないと考えたのだ。

 

「本当はもっと機能を盛り込みたいという気持ちもありましたし、まだまだ洗練させるべき部分が残っているのは確かです。でも、スタートラインに立たなくては『nana』のやりたいことを知ってもらうことはできません。ですから最低限必要の機能以外、すべて削って完成させることを優先させました」(文原氏)

 

最初のバージョンを『Openβ』と称しているのは、そんな意味合いも込められている。

 

「ひとまずリリースにこぎつけたことで、『nana』の存在を世間に示すことができて良かったと思っています。でも、まだまだ技術的に高めていかなければならない部分は少なくありません。それに海外でリリースした時、どれぐらいスケールするか、トラフィックを考えると怖くもあり、楽しみでもあるというのが正直な気持ちです。もちろん組織として、資金やリソースでも越えなければいけないヤマは今まで以上に高いと思っています」(辻川氏)

 

目指すは課金モデルの構築と、お金より価値ある「場所」の創造

『nana』のファーストバージョンが出た今、すでに彼らは次のフェーズに向け歩みを進めている。

 

「近い将来、クロスプラットホーム化を実現するための準備や、iPhoneの小さな画面では難しい編集作業を簡単に実現できるWebサービスの開発を進めています。また、すでに手元にある音源をアップロードしたり、より高音質で録音できる仕組みも検討中です」(文原氏)

 

ビジネス面を担当する文原氏も、実は高専出身。旋盤やNCフライスなどをやっていた

ビジネス面を担当する文原氏も、高専在学中は旋盤やNCフライスなどをやっていた

こうしたオプションサービスの多くは、今後有料サービスとして提供する予定だ。ほかにも、オリジナル音源やエフェクト機能の販売、機能制限の解除など、課金モデルのアイデアはすでに複数あり、有名ミュージシャンや企業とのタイアップも企画中だという。

 

夢ばかりでなく、ビジネスモデルの開発にも余念はない。しかし、最終的にはもっと大きな目標に向かって事業を進めたいと2人は話す。

 

「Youtubeからはジャスティン・ビーバーのようなスターが生まれたり、ニコ生からも歌い手や踊り手で有名になった人がニコニコ超会議に出て人気を集めたりしました。やはり、表現にかかわるサービスを提供する以上、バーチャルな世界で閉じているのはもったいない。ですからわたしたちも、いつか『nana』のユーザーに現実のお客さんを前に歌や演奏を披露できるような場を提供したいと思ってるんです」(文原氏)

 

登場するのは必ずしも『nana』から生まれた大スターでなくても構わない。『nana』を通じて初めて音楽の楽しさを知った、ごく普通のユーザーが、『サンデー・アーチスト』としてお客さんの前で唄う喜びを体験してもらえたら――そんなイメージを日夜膨らませている。

 

《音楽をもっと身近に、音楽で世界と遊ぼう》

 

これが『nana』のコンセプトだ。今回ローンチしたファーストバージョンのリリースによって、このコンセプトに共鳴し、機能を余すところなく使い込んでくれる100人のエバンジェリストを誕生させることが当面の目標になると文原氏は考えている。

 

「そこから、10万、100万、1000万と、フォロワーの輪を拡げていきたいですね」(文原氏)

 

世界の共通言語である「音楽」をテーマにしたアプリは、はたして日本発の新たなムーブメントを生み出せるか。『nana』の未来に期待したい。

 

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴

 

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いよいよ形になり出した「クルマ版クラウド」、スマホ連動の可能性が花開くには【連載:世良耕太⑬】

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F1ジャーナリスト世良耕太の自動車開発探訪

F1・自動車ジャーナリスト
世良耕太(せら・こうた)

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立し、モータースポーツを中心に取材を行う。主な寄稿誌は『Motor Fan illustrated』(三栄書房)、『グランプリトクシュウ』(エムオン・エンタテインメント)、『オートスポーツ』(イデア)。近編著に『F1のテクノロジー4』(三栄書房/1680円)、オーディオブック『F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 Part2』(オトバンク/500円)など

 

洗濯機がスマホと連動したり、コンデジがAndroidを搭載したりして話題を集めているようだ。コンデジのスマホ化は個人的に欲しい機能だ(AndroidではなくてiOS希望)。

 

今日もTwitter用にはiPhoneで撮影し、その場で更新。あとで更新するブログ用にはコンデジを取り出して同じ対象物を撮影した(きれいな画像を載せたいので)。やたらと汗をかいたのは、暑さのせいばかりはであるまい。

 

From Nisssan 手持ちのスマートフォンを使ってエアコン操作ができる機能も搭載している日産リーフ

From Nisssan 

手持ちのスマートフォンを使ってエアコン操作ができる機能も搭載している日産リーフ

スマホに搭載したアプリでクルマのエアコンをリモート操作できることは、8カ月前の記事で触れた。電気自動車(EV)の日産リーフが取り入れた機能である。

 

エンジンを搭載したクルマにも欲しい機能だが、エアコンを安定的に作動させるにはエンジンを始動して発電を行う必要があるので不向きだろう。

 

人が乗っていないのに突然エンジンがかかり始めたら、事情を知らない周囲の人たちは驚くに違いない。事情を把握していたとしても、「人も乗っていないのにエンジンなんかかけて」と苦い顔をするかもしれない。

 

大容量バッテリーに蓄えた電力でエアコンを駆動できる電気自動車ならではの機能と言えそうだ。

 

何でもかんでもクルマとネットワークをつなぐ必要はないだろうが、「つながり」は欲しい。以前も述べたように、クルマに乗った途端、ドライバーや乗員は世界と断絶した状態で過ごさなければならないからだ。

 

日立オートモーティブシステムズ「EVアシストルート」の挑戦

From Hitachi 日立は「グローバルテレマティクスサービス基盤」というエコシステムの開発により、電気自動車のドライブ計画をサポート

From Hitachi

日立は「グローバルテレマティクスサービス基盤」の開発により、電気自動車のドライブ計画をサポートする

「準備はできている」と主張するのは、総合サプライヤーの日立オートモーティブシステムズである。実は日産リーフ向けのテレマティクスを裏で支えているのは同社。「EVアシストルート」はリーフ向けテレマティクスサービスの一つだ。

 

EVでドライブする際にネックになるのは航続距離だ。ガソリン自動車の場合は満タンで500kmは走るが、リーフはどんなに頑張っても200kmは走れない。実感としては100kmプラスアルファである。

 

実際問題、近くに充電施設がないと、遠出するモチベーションは湧いてこない。

 

そこをサポートするのがEVアシストルート機能だ。その時の充電状態ではたどりつけない目的地であっても、「途中にあるこの充電スポットで充電すればたどりつける」と教えてくれる。

 

計算するのはITセンターだ。このサービスは日本だけでなく、北米やヨーロッパでも始まっている。

 

日産リーフで利用できるEVアシストルートはクルマ版クラウドのはしりだが、まだまだ完全ではない。なぜなら、ルート探索機能はカーナビには搭載されておらず、自宅などのPCでルート探索をし、検索結果をクルマに転送しなければならないからだ。

 

車載ディスプレイは情報を映し出す「窓」に徹し、複雑な情報処理はITセンターが行うシンプルなつながりにはなっていない。日立オートモーティブシステムとしては将来、このサービスをカーナビに統合する考えを持っている。

 

すでに実用化されているiPhone連携の「さらに先」とは?

他方、スマホのアプリにはマップ機能があるのだから、これを車内に持ち込めばナビシステムは不要である。

 

車載アダプターを利用してスマホを固定すれば、乱暴ながらもクラウドを利用できる態勢は整う。これを発展させたのが、日立グループのクラリオンが5月に発表した(発売は6月上旬~7月上旬)、iPhoneのアプリをディスプレイに表示・操作できるカーナビだ。

 

従来からある日本型のカーナビ(オーディオ&ビジュアル機能とナビ機能が一体化したユニット)にiPhoneを接続するスタイルで、接続することにより、インターネットラジオや最新ニュース閲覧、天気予報、Facebook投稿チェック、Twitterタイムライン表示&つぶやき投稿も行えるようになる。

 

対応するアプリは順次増やしていく方向だが、内容は選別し、クルマの中で操作する機器・機能として安全が確認されたものを提供していく。

 

From Clarion iPhone用のスマートフォンコントローラー『Next GATE』のビジュアル

From Clarion 

iPhone用のスマートフォンコントローラー『Next GATE』のインターフェイスイメージ

クラリオンは欧米型(ナビ機能に特化したユニット)の製品も発表している。アメリカ現地法人の作で、『Next GATE』と名付けられたそれは、ディスプレイに徹している。

 

欧米で主流のPND(ポータブル・ナビゲーション・デバイス)に似たスタイルに仕上げられており、シンプルなインターフェイスが特徴。iPhoneを接続した際、車載用アプリしか利用できないのは日本向け製品と同じだ。

 

日立オートモーティブシステムズは、カーナビにiPhoneをつなぐことがクルマ版クラウドの完成形だとは思っていない。自分たちはソリューションプロバイダーであり、プラットフォームや素材を提供するのが業務のスタンス。

 

BtoBtoCという取引形態のうち、最初のBに位置するのが自分たち。カスタマー(あるいはユーザー)が何を欲しているかは、2番目のBが考えてくださいよ、ということなのだ。

 

最重要視されるのは安全の保障。議論を尽くして有用なものを

といって、手をこまねいているわけではなく、「こんなこともできるんじゃないですか」と提案はしている。例えば、クルマは安心・安全・快適な走行を担保するために、車輪速や加速度やエンジンや冷却水の温度など、さまざまな情報を収集し、走行制御に活かしている。

 

すでに利用しているこれらの情報をクラウドに吸い上げて処理を行うことで、ある部品は劣化が激しいからそろそろメンテナンスが必要といった情報をクルマ側(あるいは販売店)に発信することが可能だ。

 

また、ステアリングホイールの操作具合やアクセルペダルの踏み込み加減、車体のふらつきをモニターすることで、ドライバーの体調や健康管理に活かすことができる。

 

まだある。ドライバーの気分次第で行きたい時に行きたいように移動できるのがクルマの魅力ではあるが、大型ショッピングモールにたどり着いた際などは、移動の自由を主張する必要はなく、いかに無駄なく駐車スペースを見つけ、効率良く駐車するかが重要になる。そんな時もクラウドの出番だ。

 

空いているスペースをクルマに教えるだけでもドライバーのストレスはだいぶ軽減されるだろうが、自動運転で空きスペースまで誘導する仕組みを構築すれば、もっと効率は高くなる。

 

ただし、クルマ版クラウドを推し進める際に欠かせないのは安全性の保証だ。

 

リモート操作によるエアコンのオン/オフに第三者の悪意が働いてもそう大事には至らないが、自動運転の指示系に悪意が働けば大事に至る。機能が高度になればなるほど、リモート操作や自動化に行き着くはずで、第三者による悪意のある行為をどう防ぐかが課題として残る。

 

それはそれできっちり進めるとして、クルマと何をつなげるのか、どうやってつなげるのか、何のためにつなげるのかは活発にBとBとで議論し、どんどんCに提示してほしい。

 

iPhoneが目の前にあれば「あれが欲しい」と言えるが、究極的にいえば、Cは何が欲しいか、何とつながっていたいのか、どんなふうにつながりたいのか、分からないのだから。 


富士フイルムメディカル関連会社、MUTOHホールディングスグループの求人が人気ランキング1位に 【連載:エンジニア転職News】

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  1. MUTOHホールディングスグループ【合同募集】<東証一部上場>
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先週、ソフトウエア関連求人で一番人気が高かったのは富士フイルムメディカルITソリューションズ株式会社の医療システム導入・サポートエンジニア職。大学病院など全国250以上の医療機関に導入されている国内トップクラスの医療系システム『Yahgee』の導入支援に携わる仕事だ。

一方、ハードウエア関連求人の1位はMUTOHホールディングスグループの機構設計エンジニア/電気・電子回路設計エンジニア/カスタマーエンジニア職。日本初のアーム式の設計製図機械『ドラフター』をはじめ、 プロッタやインクジェットプリンタなど、高い精度を誇る製品を世に出してきており、国内だけでなく海外にも広くブランド展開している企業だ。今回は特にMUTOHグループの中核である【武藤工業】【ムトーエンジニアリング】にて"情報画像関連機器""計測測量機器"の設計・開発者を募集。業界最高水準の技術環境での仕事に注目が集まった。


Twitter API ver1.1利用規約変更から学ぶプラットフォーム時代の生き方【連載:えふしん⑥】

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モバツイえふしんのWebサービスサバイバル術

藤川真一(えふしん)

FA装置メーカー、Web制作のベンチャーを経て、2006年にpaperboy&co.へ。ショッピングモールサービスにプロデューサーとして携わるかたわら、2007年からモバイル端末向けのTwitterウェブサービス型クライアント『モバツイ』の開発・運営を個人で開始。2010年、想創社(現・マインドスコープ)を設立。2012年4月30日まで代表取締役社長を務める

 

今回Twitter社が発表したAPIの仕様変更には、Twitterをプラットフォームとする多くの開発者から嘆きの声が聞こえた

Twitter社が発表したAPIの利用ルール変更には、Twitterをプラットフォームとする多くの開発者から嘆きの声が聞こえた

今、ネットベンチャーで働いている人たちは、概ね何かのプラットフォームに依存して仕事をしています。

 

Twitter、Facebook、iOS、Android、GREE、モバゲー、Windows、Mac、携帯キャリア、各種クレジットカード会社やPaypalなどが挙げられます。AWSなどのクラウドサービスもそうですね。どれも止まってしまうと誰かしら金銭的に困ってしまうものばかりです。

プラットフォームビジネスで何か事件があると、「プラットフォームに乗るのは生殺与奪を握られるので危険だ」などと言う人がいますが、そうは言っても、どの会社も大体何らかしらのプラットフォームに依存しているのが現実です。インターネットというプラットフォームだけで勝負するより、投資効率も成功率も高いからです。

例えば、スマートフォンで、アプリかHTML5かという議論は、UXもさることながら、それ以上に、App StoreやGoogle Playのプラットフォームに乗るか乗らないかという選択の方が重要です。

そういう現状で、なぜ「危険だ」という言説が出るか?というと、「信用できないプラットフォームは危険だ」ということに尽きます。

特にWebサービスのプラットフォームの歴史は、まだ浅いです。

Web2.0で言われていた「データは次世代のインテルインサイド」、「プラットフォームとしてのWeb」あたりが、プラットフォーム時代のベースとなる思想ですが、クレジットカード決済などと比べて、Webやアプリのプラットフォームの特徴としては

・ 敷居が低い (登録するだけで使え、しかも無料)
・ 歴史が浅いので変化が激しい
・ プラットフォーム自体が発展途上。自己の存在を無効化されかねない競争にさらされている


ということが挙げられます。

これらのことを理解した上で、プラットフォームビジネスを考えないと、今回のTwitter APIの利用規約変更に対する考え方は理解しにくいかもしれません。

なぜ、Twitterはサードパーティのクライアントを駆逐したいのか

これは簡単です。Twitterクライアントは、今のTwitter社のビジネスに貢献していないからです。

 

以前、EchofonやAndroidで人気だったTwidroidなどを買収したUberMediaという会社が、Twitterクライアント独自のツイート広告ネットワークを展開しようとしました。これに対してTwitterは、UberMediaの所有するアプリのAPIを一時的に停止するという措置を行いました。このころからTwitterクライアントを野放しにするのは危険だという発想が表面化してきて、今の流れにつながっています。

Twitter社側からすると、毎日、大量のツイートを流通させ、スパム対策に追われ、日々スケールし続けるサービスの維持に追われている間に、Twitterクライアントがユーザーの数を取ってしまい、勝手にビジネス化されて、土管化されるのは許しがたい行為だったといえます。

また、それと同じく根強く存在していたのが、Twitterクライアントは、Twitter社が提供したいユーザー体験を阻害するクローンだという考え方です。日本でも機能名称を変えてしまったクライアントも出ていましたが、もはやTwitterである必要があるかは謎ですし、そこのユーザーはTwitter運営サイドと意思疎通ができません。

例えば、震災のころに、非公式RTでデマが伝搬してしまった時に、「非公式RTを使わずに、公式RTにしてください!」と公式アカウントが訴えていたことがありましたが、もし機能名称に「RT」という言葉がなければ、その話は伝わりません。

 

「Twitterという流行っているプラットフォームに乗っただけでは!?」と受け取られれば、Twitter社からしても看過できないのは当然です。Twitterクライアントのユーザー体験はTwitterを尊重したものでなくてはなりません。

えふしん氏自身もTwitterクライアントアプリ『モバツイ』を開発したエンジニアとして、

えふしん氏自身もクライアントアプリ『モバツイ』を開発したエンジニアとして、Twitterユーザーへの価値提供が難しくなってきたことを反省する

これは自分自身の反省でもあるのですが、Twitterクライアントが、いつしかTwitterユーザーに対して新しい価値を提供できなくなっていたというのもあると思います。自分自身も、モバツイで写真連携やGPS連携などの機能を提案してきたつもりですが、さらにゲーミングであったり、ライフログであったり、もっと新しい価値を提供して定着させたいと思っていました。

Twitter自身が、APIの仕様を広げずに、発展(発散!?)を抑制してきた事実は確かにありますが、Twitterクライアントは、せっかくユーザーにとってのTwitterの入り口を持っているのですから、貪欲に新しい価値の創造にチャレンジすべきだと思います。

プラットフォームは危険だから、参加しないべきか?

そんなことはないと思います。リスクを適切に把握し、それに備えれば良いのです。ただ、プラットフォーム側の都合でルールが変わるので、スピード命です。

今回、既存のTwitterクライアントにとっては、新規ライバルが事実上参入できなくなったと考えると決して悪い状態ではありませんし、何より200%のアカウント数まで増やせるわけですから、今までユーザー数を増やしてきた活動が資産として活きてきます。

ユーザー数上限にキャップがついてしまったので、そのビジネス単体が永久に伸び続けるということはなくなってしまったかもしれませんが、今あるユーザーやソフトウエア資産、収益源を大事にしながら、新しい活動にリソースを振り分け、変化をすべきということになります。

プラットフォーム側には「プラットフォーマーの品格」が必要だと思いますが、例えば世間に表面化してない話でも、あるゲームがプラットフォーム側の方針変更で突然リリースできなくなったという話も聞いたことがあります。

 

「プラットフォーマーの品格」とは、そういうところに表れます。Twitter社に関しては、「決して野蛮ではない」と思います。クライアントの扱いについては、十分時間を提供してサードパーティに変化を求めていると思うからです。

今後のオープンなリアルタイムメッセージ共有の行き先

これからは、ポストツイッターの今後の方が重要になるかもしれません。プロプライエタリなプロダクトと、オープンソースは、常にシーソーのように発展しているので、プロプライエタリな企業が自社利益を優先しようとビジネスを最適化するのがきっかけで、新たに対抗する勢力が出てくるのが、今のソフトウエアのダイナミズムといえます。

その中で、今はP2Pの分散BBSの技術を期待しています。Twitterが苦労していたスパム対策をどうするのか、などいろいろあるとは思いますが、Winny2が実装していた分散BBSのような形で、メッセージルーティングの維持が一企業の努力に依存しなければTwitter社のように苦労をしなくて済むわけですから、その分、オープンに広まる余地があると思います。

 

これについてはインターネットテクノロジー全体の視点として、今後のイノベーションを期待しています。

日本の起業家がシリコンバレーで知った、サービス開発の「違い」を生む3つの視点【jannovation week体験記】

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「Jannovation(ジャノベーション)」=日本企業、日本人による、世界を変えるイノベーション。

 

その創出を目的に、日本発のグローバルベンチャー育成をサポートしているサンブリッジ グローバルベンチャーズが、8月6日(月)~10日(金)の5日間、シリコンバレーで『jannovation week』を開催した。

 

2011年から始まったこの取り組みには、今年も意欲ある起業家やエンジニア15名が参加。期間中は、Rocket Space500 Startupsといった米の有名インキュベーション施設への訪問、現地VCやEvernote CEOフィル・リービン氏のような起業家の講演・トークセッションなどがあり、プログラム最終日の『Tanabata 2012/Jannovation Jam』ではピッチを行う機会を得られる。参加者は、密度の濃い1週間を体験した。

 

株式会社ファンタムスティック
CEO & Co-founder

ベルトン・シェイン氏

今回、このプログラムに参加したファンタムスティック株式会社のCEOベルトン・シェイン氏に話を聞くことができた。

 

シェイン氏が現在の会社の代表となったのは2010年2月。もともとフリーのデザイナーとして3DCGを手掛け、映像やゲームの制作に携わってきたが、起業から2年あまり経って独自の知育アプリ開発を決意したことが、このプログラムへの参加に結び付いたと話す。

 

そんなシェイン氏が『jannovation week』に参加してみて最も刺激を受けたのは、日本とシリコンバレーにおけるスタートアップを取り巻く環境の違いだ。

 

中でも、日本におけるサービス開発でも参考になりそうと感じたという、3つのポイントを教えてもらった。

 

①スピードの異常な速さ~米ではすでに「No more Social」

プログラムの中では、世界的に利用されているエンタープライズ向けSEOプラットフォーム『Ginzametrics』開発者で、GinzamarketsのCEOレイ・グリセルフーバー氏による講義もあった。

 

「シリコンバレーに拠点を置く、日本で起業したエンジニア」である同氏(※グルセルフーバー氏のインタビュー記事はコチラ)の話でシェイン氏の印象に残ったのは、「ソーシャルビジネスの終わり」、「モバイル広告ビジネスの行き詰まり感」という話だ。

 

From socialmediahq ソーシャルサービスはもはや寡占状態で、新規サービスのネタとしては敬遠されがち!?

From socialmediahq

ソーシャルサービスはもはや寡占状態で、新規サービスのネタとしては敬遠されがち!?

米ではSNS系サービスの競合過多やFacebook IPOの低調もあって、もうVCはソーシャルサービスを主眼とした起業アイデアに食いつかないという。

 

また、モバイル広告ビジネスに関しても、今後サービス利用の主戦場がスマートフォンに移っていく中、サイトに広告リンクを貼って稼ぐビジネスはユーザー行動から"縁遠いもの"になっていくと見られている。

 

ここに来て、トレンドの変化は「想像以上に速まっている」(シェイン氏)様子だ。

 

②「秘密主義」より「アイデアをオープン化」した方が賢明

From Gavin Tapp シェイン氏が聞いてきた話では、最近の米VCが投資の条件として見るのは「①エンジニアであること」、「②2人以上で創業」だそうだ。①は開発の速さを、②は議論の闊達さを示す指標だろう

From Gavin Tapp  シェイン氏が聞いてきた話では、最近の米VCが投資の条件として見るのは「①創業メンバーにエンジニアがいること」、「②2人以上で創業」だそうだ。①は開発のスピードを、②は議論の闊達さを測る一つの目安なのだろう

 

加えて、シェイン氏が現地の起業家たちと交流して最も痛感した違いは、アイデアをどんどん発信していくことの大切さだったと話す。

 

「サービスのアイデアって、盗まれたりするんじゃないかと考えて隠してしまいますが、シリコンバレーのスタートアップはディスカッションやピッチコンテストで、みんな思いついたことをどんどん話すんですね。それに対してのフィードバックもたくさんある。そうやって、プランのブラッシュアップを高速で行っていくんです」

 

一般的に、「まず作れ」の精神でデモページやβ版を作成することが優先されがちだが、「それでは最重要視される開発のスピードが損なわれてしまう」(シェイン氏)。一方、アイデアを先に公開し、その場でブラッシュアップしていけば、短期間で必要最低限の機能だけを作ってリリースできるわけだ。

 

「ある程度まで作り込んでからプレゼンをしても、ダメ出しをもらったら結局は作り直しじゃないですか。シリコンバレーでは、『その時間すらもったいない』という感覚でしたね」

 

③組織運営より「0(ゼロ)~3」のフェーズに全精力をつぎ込め

サービス開発から起業、その後の成長フェーズを、仮に0~10までの段階に分けるとすると、シェイン氏の言う「0~3」とは、手掛けるサービスを企画・リリースし、将来有望なものに育てていくところまで。

 

シリコンバレーで感じたのは、この「0~3」のフェーズに全精力を傾けて突き進む起業家たちの多さだという。そもそも論ではあるが、シリコンバレーには投資家やシードアクセラレーターの豊富さ・身近さ等々の点で、日本とは異なるエコシステムが根付いている。そのためか、「創業」と「経営」とが切り離されているケースがよく見られたと話す。

 

「日本で起業すると、サービス開発の担い手だった創業者にも長く会社を続けていくための舵取りが求められるじゃないですか。でも、少なくとも西海岸では、創業者の役割はシード期の段階まで。それ以降の経営フェーズは、数多く存在する"経営のプロ"に任せるというのがメインストリームみたいでした」

 

こうした現状を垣間見てきたことで、起業した後に「どれくらい長く続けていくか」ではなく、新しいサービスをいかに早く実現して広めていくかに全力を傾けていくことが重要だと確信したという。

 

シェイン氏自身、これまでは資金調達をはじめ、立ち上げた会社の経営を軌道に乗せ、事業を継続していくことに日々労力を使ってきたため、この考え方には大いに啓発された。

 

「聖地」で得た学びを活かして、幼児向けの知育アプリを開発

From nooccar 8/23にUPした上杉周作氏の寄稿連載でも示唆があったように、最近はシリコンバレーでも教育関連サービスに注目が集まっている

From nooccar 8/23にUPした上杉周作氏の寄稿「シリコンバレーの教育ベンチャー業界に、あなたが注目すべき理由
でも示唆があったように、向こうでは教育関連サービスに注目がにわかに高まっているという

 

これらの学びを得たシェイン氏が、帰国後の今、開発の最終段階までこぎつけているのが、2~6歳の幼児と親とのコミュニケーションに役立つiPad/iPhone用知育アプリだ。

 

「僕自身、9歳と5歳の子の父親なんですが、以前からデジタルデバイスを通じて親と子どもがつながるサービスを作りたいと思っていたんです。jannovation weekへ参加して、親と子のコミュニケーションは日本だけでなくアメリカでも大きな課題になっていることが分かりました。そういう意味ではまず、このアプリ提供を次のステップとして、幼児教育に貢献できるビジネスへとつなげていきたいですね」

 

『jannovation week』の開催趣旨どおり、日本発で世界に愛されるサービスが生まれるかどうか、このサービスのローンチが楽しみだ。

 

取材・文/浦野孝嗣

ひがやすを×橋口恭子が"LINEを超えるアプリ"を誌上ブレスト「長く愛されるサービスを作るプロセスとは?」

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ユニークなWebサービス『かわいい検索』を開発した現役女子大学院生の橋口恭子さんとの対談で、"アイデアを言語化する"という発想方法と、サービスを形にするプロセスとで多くの共通点が見つかったと驚きを隠せないやすを氏。サービス開発へのスタンスが近い2人が、今度は「長く愛されるサービス」のあり方を語り尽くす。
プロフィール

株式会社電通国際情報サービス ハイパー・グレート・クリエイター
やすを(ひが やすを)氏 [@higayasuo] 

国産OSS『Seasar』シリーズやJavaフレームワーク『Slim3』開発を主導してきた、アルファギークの一人。電通国際情報サービスに勤めるかたわら、さまざまな技術コミュニティへの参加など、多方面で活躍。個人ブログ『ひがやすをblog』でエンジニアへの提言も行う

プロフィール

慶應義塾大学大学院 修士課程在籍
橋口恭子さん [@kyon_ha]

「文字で砂時計ができないかな」という発想から、文字の"見た目"からその内容を検索する『かわいい検索』の開発を主導。NTTレゾナントの研究プロジェクト「gooラボ」のサポートを得て、2011年にリリースされて大きな話題となった


―― 前回の対談では、やすをさんが「あなたはわたしですか?」と言うくらい、サービス開発のスタンスに共通する部分が多かったお2人ですが。

 

やすを 正直、こんなに感覚が合う人と話す機会ってあんまりなかったから。

 

橋口 やすをさんにそう言っていただけると、すごく自信が持てます。

 

―― 今回はその続きとして、橋口さんからやすをさんに聞いてみたいことをテーマに対談できればと思っています。何か「これ!」という質問はありますか?

 

長く愛され続けるサービスの条件をずっと考え続けてきたと話す橋口さん

長く愛され続けるサービスの条件をずっと考え続けてきたと話す橋口さん

橋口 今日、お会いする際にぜひ聞いてみたいと思っていたのは、どうすれば「長く愛されるサービス」が作れるか、ということです。

 

やすを 不思議だね。僕も同じようなことを最近よく考えてるんだ。社会のインフラになるようなサービスを作るには、どうすれば良いのかって。

 

橋口 あっ、同じようなこと考えてますね。

 

―― 今回もまた、シンクロ率がヤバいですね。

 

やすを 僕も答えは分かってないんだけど、お互いのヒントになればと思うので、ブレストみたいな感じで話をしてみようか。

 

橋口 ありがとうございます!

 

文字の歴史を調べると、女性の方が"新しいUI"に敏感だと判明

やすを 長く愛されるためには、一時的な面白さではなく、普遍的な欲求を満たすものでないとダメだと思う。

 

橋口 そう思います。それで以前、文字とか文章の見せ方って、歴史的にどう変遷してきたのかなって調べたことあるんです。

 

やすを 文字を書いて人に何かを伝えたいって普遍的な欲求だからね。

 

―― どうして文字の歴史を調べることに?

 

橋口 前回もお話したように、『かわいい検索』はいろんなブログを印刷して並べてみたり、巻物みたいにつなげて眺めたりしていく中で、「書き方に特徴がある」って発見をして検索のアルゴリズムを思いついたんですね。その後、「そもそも何でブログは書き方がいろいろあるんだろう?」って考えるようになって。それで、後から文字の歴史を学んで、文字とか文章の見せ方がどう変遷してきたのかなって調べました。

 

対談当日、橋口さんはこれまでの研究成果をどっさり持参。編集部も「考え続けること」の大事さを痛感させられた

対談当日、橋口さんはこれまでの研究成果をどっさり持参。編集部も「考え続けること」の大事さを痛感させられた

やすを 結果はどうだったの?

 

橋口 まず、昭和50年(1975年)くらいから、女の子の間で「丸文字」や「ヘタウマ文字」がすごく流行り出したっていう歴史を知ったんですね。注目したのは、こういう文字を使っていたのって、女の子が大部分で、男性は使っていないって部分で。その理由が知りたいと思って、今度は山根一眞さんが書いた『変体少女文字の研究』っていう本を読んだり、宮台真司さんの社会学の本を参考にしたりしましたね。

 

やすを 普遍的な欲求を、歴史から探っていったわけだね。

 

橋口  そうですね。最初は文字の研究から入っていったんですが、そこから「女性が生み出す文化」ってどういう風に変化していったんだろうっていうところに行き着いたんです。

 

やすを それで、何が見つかったの?

 

橋口 新しい見え方の文字って、女性が生み出すことが多いんですよ。例えば、ひらがなが生まれた背景をずっとさかのぼって調べてみると、万葉仮名にまでたどり着くんですよね。一般女性が使いやすいようにって理由から、万葉仮名が起源になってひらがなやカタカナが生まれたっていうことと、さっきお話した「丸文字」や「ヘタウマ文字」が生まれた背景って、とても似ているんです。

 

Facebook vs LINEで考える、普遍的な欲求と「変わる仕掛け」

ブログの見た目や行間などで「かわいさ」を検索できるサービス『かわいい検索』

ブログの見た目や行間などで「かわいさ」を検索できるサービス『かわいい検索

―― では、「文字を絵として見る」という『かわいい検索』の切り口は、女性向けサービスを考える際の仮説としては間違ってなかったわけですね。

 

橋口 はい。ブログで行間を空けたり、独特の文字づかいをする理由は何なんだろうって考え続けていたのが、いろいろ調べていくうちに納得できるようになってきて、「ついに見つけたッ!」って思いましたね。

 

やすを そうやって調べていくことで、「変わってきた部分」と「変わらない本質」が分かるようになるよね。変わらない本質がきっと普遍的な欲求。

 

橋口 でも、『かわいい検索』の時はもう一つ、興味深い仮説が見つかったんです。1人のユーザーの中でも、文字の使い方って変わっていくんですよ。丸文字やヘタウマ文字も、中学生・高校生のうちは使っているけれど、20代になると書かなくなる。丸文字やヘタウマ文字がプライベートなものだとすると、普通の文字の使い方って公式というかパブリックなものという感覚で使い分けているのかなって。

 

やすを 今のサービスに例えると、Facebookがパブリックで、LINEがプライベート、みたいな?

 

「人の本質的な欲求を知るには、歴史的に続きてきた事象を調べてみること」(やすを氏)

「人の本質的な欲求を知るには、歴史的に続きてきた事象を調べてみること」(やすを氏)

橋口 そうかもしれません。わたしの感覚的には、Facebookが漢字で、LINEが丸文字やヘタウマ文字みたいな。

 

やすを Facebookだと、どうしても変なことを書けないっていう、プレッシャーめいたものがあるよね。

 

橋口 ほかの人のポストもマジメな内容が多いので、空気読む、みたいな(笑)。

 

やすを 昔は「mixi疲れ」とかあったけど、最近は、「Facebook疲れ」っていうのを耳にすることが増えているよね。

 

橋口 そうなんですよ! それが、「長く愛されるサービス」の要素を考えるきっかけで。

 

あえて今、『PostPet』を振り返って見えた、ウケるサービスの基本

やすを 基本的にサービスっていうのは、7割くらいはすでに存在するもので、残り3割くらいの部分で違う見せ方とかやり方を提案しているような気もするね。Pinterestなんかもそう。基本はソーシャルブックマークサービスで、そこにビジュアル中心という味付けをしたみたいな。

 

橋口 7割くらいの既存部分が、普遍的な欲求なんですね。やすをさんが注目している普遍的な欲求って何ですか?

 

(c)So-net Entertainment Corporation
90年代後半から2000年代初頭に一世を風靡した『PostPet』。生みの親である八谷和彦氏のインタビューはコチラ

(c)So-net Entertainment Corporation

90年代後半に一世を風靡した『PostPet』。生みの親である八谷和彦氏のインタビューはコチラ

すを 1995年か96年ころに『PostPet(ポストペット)』っていう電子メールソフトが流行ったじゃない。ピンクのクマがメールを届けるっていう設定になっていて、おやつを上げたり世話することができたりするやつ。

 

橋口 あぁ覚えてます! わたしも使ってみたかったんですけど、まだ小さかったので結局使えずじまいで......。

 

やすを 『PostPet』って、仕組み自体はすごく単純なんだよね。普通のコミュニケーションに、ビジュアル要素がプラスされることで、対話の楽しさが増すというか。これとLINEを比べて考えてみると、人が喜んだり楽しんだりする肝って、あんまり変わってないんじゃないかなって思ってるんだ。

 

橋口 ビジュアルがコミュニケーションをちょっと助けてくれるみたいな。

 

やすを  そういう言い方もあるかもしれない。LINEのスタンプ機能には、文字情報だけじゃ伝えられない感情を伝えられるって面があるよね。これを相手側の視点で見れば、「感情を考える」楽しさもあるってこと。こういうちょっとした気がかりを生み出すサービスには、廃れないもののヒントがあるのかもって。

(次ページに続く)

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身近な人との"がんばらないコミュニケーション"がLINE人気の秘訣!?

橋口 何となく分かるような気がします。

 

やすを スタンプのやりとりが人気っていうことは、言葉や文字を使わない"非言語コミュニケーション"のニーズが、けっこう高いような気がするんだよね。テキストをあえて使わないみたいな。

 

LINEのスタンプ機能がユーザーに好評を博した理由を、独自の仮説をもとに考える2人

LINEのスタンプ機能がユーザーに好評を博した理由を、独自の仮説をもとに考える2人

橋口 言葉を使わないことが、かえって面白さや楽しさにつながるってことですかね?

 

やすを そうかもしれない。送る相手にもよるけど、まず相手のことを考えて、それで打つ文字を考えて.......っていうのが面倒な時ってない?

 

橋口  ありますね。自分がすごく一杯×2の時とかは、メールをもらってもかえって迷惑みたいな(苦笑)。

 

やすを そうやって、相手のキャラや状況によっても、いろいろ考えなきゃならないわけじゃない。そういう面倒くささの受け皿として、スタンプが生まれたというか。

 

―― つまり?

 

やすを 身近な人たちとの"がんばらないコミュニケーション"、"ゆるいコミュニケーション"を可能にしたのが、LINE人気の背景としてあると思うんですよ。

 

人の心を動かすものは、考え抜くことでしか生まれない

橋口 なるほど。確かに、わたしが就活していた時も、Facebookにポストするのはすごく疲れる感じがしていました。

 

やすを それってさっきもあったように、FacebookはSNSとしてパブリック過ぎるからだよね。だから僕なりの結論は、LINEがヒットした最大の要因は、スマホで気軽にチャットできる点じゃなく、仲間内での"ゆるいつながり"を日々確認できるツールだったからじゃないかと思ってる。

 

―― 以前、弊誌でLINEの開発担当者に取材した際も、「サービス上で新たにつながりを作り出すサービスは多くても、もともとつながっている人同士の関係性をもっと深めていくようなサービスって案外ない」というところに開発の発端があったと聞きました。

 

やすを それを「続く」部分と「廃れる」部分で分けると、すでにつながっている人同士の関係を強化するというところにこそ、コミュニケーションサービスが長く続くためのポイントがあるんじゃないかと思う。

 

橋口 関係が深まっていくツール、みたいな感じですかね?

 

やすを そう。相手にあまり多くを望まない、重くないコミュニケーションサービスが理想だよね。

 

―― そこでお2人に伺いたいのは、すでに競合ひしめくコミュニケーションサービスの中で、そういった新規サービスをどうやって生み出すかです。お2人なら、まずどこから考え始めますか?

 

「根本的な人間の欲求を学びつつ、常に人と違うことをしようと考えるのがサービス企画のコツだと思う」(やすを氏)

「根本的な人間の欲求を学びつつ、常に人と違うことをしようと考えるのがサービス企画のコツだと思う」(やすを氏)

やすを 人の心を動かすのは何かを徹底的に考え抜くかな。魔法のようなツールはなくて、徹底的に考え抜くしかないと思います。
マーケティングリサーチに頼ったりは絶対にしないです。それだったら誰でもできるから。

 

橋口 わたしは、人と違う視点を心掛けています。それともう一つ、やっぱり新しいモノづくりがしたいので、「見たことない楽しさ」は気を付けますね。

 

やすを それも大事だね。どんなに便利なものでも、そもそもユーザーが楽しくないと普及はしないから。ただ、「長く愛される」ものを作る時にさらに気を付けなきゃならないのは、楽しさだけを追い求めると一発屋になっちゃうところ。ゆくゆく社会インフラになっちゃうようなサービスは、奇をてらった発想じゃ生まれない。

 

橋口 そうなんですよね。それが一番難しいところで......。

 

やすを だから、橋口さんがやったみたいに、歴史から学んでみるってアプローチはけっこう大事だと思うよ。

 

橋口 よかったです(笑)。プロセスは間違ってなかったですね、わたし。

 

やすを で、改めて「長く愛されるサービス」の開発話に戻ると、人の気持ちは動かすんだけど飽きのこないものっていうのがポイントになると思うんだよね。ごはんみたいに、毎日食べるけど、飽きないものみたいな。

 

気軽な会話に「簡略アルゴリズム」「時間」「位置連動」を加えると...!? 

橋口 うーん、どんなのがあるんだろう?

 

やすを 例えばさ、常に連絡を取っている相手っているじゃない。僕の場合は、仕事が終わって会社を出た時に、奥さんにメールで「今日は○○で食事しようか」って送るとか。

 

橋口 仲良さそうですね(笑)。

 

「今までにないコミュニケーションサービス」のアイデアを出し合いながら盛り上がる2人

「今までにないコミュニケーションサービス」のアイデアを出し合いながら、真剣に語り合う2人

やすを そういうのって頻繁にあることだから、メールにしろチャットにしろ、いちいち文字を打つのってめんどうじゃない?

 

橋口 確かに! 同じ相手には、同じような連絡をしがちですものね。

 

やすを そういうコミュニケーションを学習して定型化してくれて、かつ毎回ちょっと面白くアレンジを加えてくれるプログラムを作れたら、面白そうじゃない?

 

橋口 LINEのスタンプがあいさつとか感情を表すものだとしたら、同じように気持ちとか感情をうまく伝える一言とかフレーズがパターン化されていると、便利だし面白いかも。

 

やすを LINEのスタンプを選ぶくらいの手軽さで、パターン化されたフレーズを選ぶことができたら、身近な人とのやり取りがもっと簡単になる。

 

橋口 コミュニケーションをより簡単にすることで、身近な人とのやり取りを活性化させるんですね。

 

やすを 時間帯によっては、出てくるフレーズを変える手もあるね。例えば、19時過ぎると「おながすいた」って出てくるとか。

 

橋口 それ良いですね! 当然、朝は「おはよう」、夜は「おやすみ」が出てくるわけですね。

 

やすを 場所によって出てくるフレーズを変える手もある。例えば、渋谷にいたら、「ヒカリエに行ってみない?」って出てくるとか。

 

橋口 その場所の人気スポットが自然に分かって便利。

 

やすを 今話題のニュースが出てくるのもアリかも。例えば、「AKBのあっちゃんが今卒業式してるよ」って(笑)。

 

橋口 それも面白いです!

 

やすを これらのフレーズには、でっかいアイコンを付けよう。スタンプだけのやり取りには限界があるけど、そこに文字(フレーズ)が付いていれば、もっと分かりやすくなる。

 

橋口 スタンプ並みの手軽さで、スタンプ+メッセージを実現するんですね。

 

やすを アイコンをタップするとミニアプリを起動させるのも面白いかもしれない。例えば、「マツキヨ10%オフ」ってアイコンをタップすると、現在位置から最も近いマツキヨまでの行き方をマップで教えてくれるの。

 

橋口 あー、便利そう。いろいろ出てきますね。

 

―― かなり面白い企画ができたと思うんですけど、これを公開しちゃって大丈夫ですか?

 

やすを このアイデアは自由にコピーしていいですよ。僕は今作っているサービスにかかりっきりで、ほかのサービスを作る余裕がないので。だったら、誰かに作ってもらって、世の中が少しでも楽しくなった方がいい。

 

―― ありがとうございます!

 

やすを まぁ、こうやって人の日常のベースになりそうなサービスを、どうやって「楽しいもの」に変えていくかって考える往復思考のプロセスが、長く使われるサービス開発に大切なんじゃないかと思う。今日はそれを再確認できて、すごく気持ちよかった。

 

橋口 わたしもすごく納得しながらたくさんお話しできてよかったです。ありがとうございました!

 

取材・文/浦野孝嗣 撮影/小林 正 

 

これまでの「ひがやすを連載(対談)」を読む

クラウド型手帳『Lifebear』開発でゼロから技術を身に付けた起業家が話す、3カ月で5つの技術を身に付ける秘けつ

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『Lifebear』

カレンダー、日記、タスク管理などの管理機能をオールインワンで解決できるクラウド型電子手帳『Lifebear』

JR南浦和駅を降り、徒歩約20分。埼玉県さいたま市の平穏な住宅地にひっそりと拠点を構えるスタートアップがある。それが、クラウド型電子手帳『Lifebear』をリリースしたライフベアだ。

2012年7月30日、満を持してリリースされた『Lifebear』。これまで、スマートフォンやタブレットなどでスケジュールやToDoを管理する際、複数のアプリやサービスを駆使しなければ管理できなかった。

そこで、同社CEOの中西功一氏は「もっと、紙の手帳のようにすべてを一つのアプリで管理できるデジタル手帳がほしかった」という思いから、『Lifebear』を企画したと話す。そこで、COOの増山康宏氏とCTOの杉本裕樹氏に声を掛け、3人で創業を決意したそうだ。

実は、今でこそ全員コードを書くことができるのだが、起業当時は杉本氏以外は技術素人だったという。彼らがいかにして技術力を身に付け、サービスを作っていったのだろうか。ライフベア結成当時の話とともに、創業メンバーの3人に話を聞いた。

3年越しに実現した、就活生の「約束」

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「学生時代から起業が目標だった」というCEO・中西氏

「2008年の就職活動中に偶然出会った」という中西氏と杉本氏は、話をするうちに意気投合。「将来一緒に起業しよう」と約束したまま、その時は解散した。そして、それぞれが別の企業に就職し、中西氏は就職先のITベンチャー企業で増山氏と出会うことになる。

増山氏は、大学在学中に一度、いわゆる大手企業の内定を得ておきながらも、「本当に自分がここで働きたいのか」を疑問に思い、内定を辞退した経験を持つ。その後、ITベンチャー企業へと就職し、「これから何かやっていきたい」と思っていた矢先に、同僚の中西氏から起業のオファーを受けたそうだ。

「中西から誘いを受けた時、不安がなかったと言えばウソになります。ただ、『この船に乗ったら楽しそう』と思えたし、『自分のスキルを磨いていきたい』と思っていたタイミングだったので、当時の自分に最適な選択肢だと思いジョインしました」(増山氏)

そして、中西氏は就職活動中の約束を果たすために、杉本氏に連絡を取る。「ようやく来たか」という思いで誘いを受けた杉本氏は、「サービスとしても長く続けられそうだと思ったし、将来性も期待できる」(杉本氏)としてそのオファーを快諾。

 

かくして、ライフベアは新たな一歩を踏み出した。

技術力習得に必要なのは、「目的」と「先生」の存在

サービス開発を始めた当初、中西氏と増山氏は「まったくと言っていいほど技術力はなかった」(増山氏)という。

そのため、中西氏と増山氏が丁寧に仕様書を書き上げ、それを杉本氏が設計・開発していく、という流れで開発は進んでいった。その時から、「自分たちもちょっと開発を手伝えたら良いね」(中西氏・増山氏)という話は出ていたという。

コードが書けない2人に転機が訪れたのは、2011年4月。「自分がデザインの勉強をして、サービスのモックアップを杉本に渡せたら良いなと思っていた」(中西氏)と、まずは中西氏がデザインの勉強をすることに。すると、HTMLやCSS、JavaScriptなど、「身に付けていた方が便利だ」という理由で少しずつ開発技術の習得に取り掛かる。

増山氏がObjective-Cを学ぶために参考にしていたという3冊の技術書

増山氏がObjective-Cを学ぶために参考にしていたという3冊の技術書

続く8月には、iPhoneアプリの開発に着手するために、増山氏がObjective-Cを勉強することとなった。

「もう、ひたすらに勉強するしかない」(増山氏)と思い、土日も休まずにコードを書き続け、メキメキと技術力を身に付ける。

 

中西氏は、3カ月ほどでHTML、CSS、JavaScript、jQuery、Rubyなど、Webサイトを作る上で必要な一通りの技術を覚えたという。増山氏もObjective-Cをゼロから覚え、現在はAndroidアプリ開発のために必要な技術を学びながら従事している。

両氏いわく、「とにかくコードを大量に書きまくるの大前提として必要ですが、『Lifebear』を作るという目的と、杉本の存在がなければ、3カ月でここまで技術力を磨くことはできなかった」という。

これは余談だが、拠点をさいたま市にしているのも、「もともと浦和に住んでいた杉本が開発に集中できるよう、通勤に便利な場所にしたかった」(増山氏)そうだ。このエピソードを通しても、杉本氏の存在がライフベアにとってどれほど貴重なものかが伺える。

サンプルより自サービス開発が、技術力向上の近道

「勉強を始めたころは、何が分からないのかも分からないという状況がつらかった」(増山氏)という。

「技術を勉強するためにサンプルで機能を開発するのって、なかなか身が入りません。それが自分のサービスだった場合、何を作らなければいけないか、必要な機能が明確なので、それを実現できる技術を学べば良い。勉強のためにサンプルを作るよりも、何でも良いから自サービスを作った方が圧倒的に技術を身に付けるスピードは早いと思います」(中西氏)

あくまで目的は、「サービスを作り上げること」。単に「技術を学ぶ」という目的であれば、確かに学習スピードは低下するかもしれない。両氏は加えて、「杉本氏の存在」についてもこう言及する。

「自分の仕事を進めながらも、わたしたちが相談すればすぐに乗ってくれるし、Objective-Cなど彼の専門外の技術に関しても、技術者的発想で一緒に考えてくれて、サポートしてくれる。杉本は、技術力がなかったわたしたちにとっては先生のような存在です」(増山氏)

2人が"師"と仰ぐ杉本氏は、一方で2人の努力に舌を巻いたという。「1週間で一つの技術をある程度使えるようになっていたり、気付いたら管理画面を勝手に作っていたり、成長はものすごく早かった」(杉本氏)というのは、やはり「何を作るかが明確であった」ことと、杉本氏の存在があったからなのだろう。

アナログじゃできない、「未来の行動を示してくれる」手帳を目指して...

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2階で中西氏と増山氏(写真中央)が寝泊りするという、さいたま市にあるオフィス。杉本氏(写真右)はここから徒歩1分のところに自宅があるそうだ

サービスリリース後、有名ブロガー・イケダハヤト氏のブログに取り上げられるなど、順調なスタートを切った『Lifebear』。特に競合は意識せず、「今後も自分たちのペースで理想のデジタル手帳に近付けるように機能改善を続けたい」(中西氏)と話す。

そんな『Lifebear』が目指すのは、「『Lifebear』をより能動的な手帳にすること」(中西氏)だ。

「今の『Lifebear』は、アナログの手帳をより便利にデジタルにした手帳なんですが、今はまだ受動的なサービスで、自分が書かないと何も起きません。もっと、未来の行動を提案してくれるような手帳にしていきたいと考えています。それは、自分の行動をログとして残せる手帳だからこそできることだと思っています」(中西氏)

その第一弾として8月30日にリリースされたのが、『Meet』機能だ。「誰でもいいからちょっと飲みたい、そんな時に『Lifebear』を使ってみんなに通知をすると、その通知が友人にポップアップで知らせることができる。無視してもいいし、自分がイベントに参加したいと思ったら、『Lifebear』上でチャットができる」(中西氏)そうだ。

理想の手帳を求めた、埼玉の一軒家に住む若者たちの挑戦は始まったばかりだ。

取材・文・撮影/小禄卓也(編集部)

なぜ日本の伝統的メーカーは「エラい人のキーワードでモノつくる構造」を早くやめられないのか【連載:村上福之⑥】

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村上福之のキャラ立ちエンジニアへの道

株式会社クレイジーワークス 代表取締役 総裁
村上福之(@fukuyuki

ケータイを中心としたソリューションとシステム開発会社を運営。歯に衣着せぬ物言いで、インターネットというバーチャル空間で注目を集める。時々、マジなのかネタなのかが紙一重な発言でネットの住民たちを驚かせてくれるプログラマーだ

 

今回、パナソニックさんから、謎のスマホ連携洗濯機がでました。スマホで柔軟剤の量を設定して、洗濯機に転送し、クラウドサーバー経由で洗剤や柔軟剤の量や衣類や汚れに合った選択コースを選んでくれるようです。予想価格は34~35万円前後とのことです。安くはないですね。


ネット上では、さまざまな意見が飛び交っています。

洗濯機にクラウド連携がついても違和感がある理由

パナソニックの「スマート洗濯機」にみる、家電の明日はどっちだ。

皆さん、難しい議論をしてますが、こういうものが作られる理由はもっとシンプルだと思ってます。以前はメーカーに勤めていた僕の完全なる「予想」ですが、中では下記のようなことが起こってるんじゃないかと思ってます。あくまで予想です。「日本の伝統的メーカーあるある」です。

【会議A】

エライ人A 「何か、最近、"スホマ"が流行っているらしいやないか。」

課長 「スホマ...?スホマ...???、あー、はい!スマホのことですね。」

エライ人A 「せや、"スホマ"や。夏の新製品はな、その"スホマ"とアレしてほしいんや。

課長 「アレとは...」

エライ人A 「何か、アレや。何か、こう、次の新商品で、"スホマ"で、ええ感じにアレしてくれたら、ええんや!!

課長 「なるほど!すばらしい!(スマホに関する機能があれば何でも良いんだな)」

【会議B】

エライ人B 「昨日、日経を読んだんだけど、クラウドがこれから重要になってくるみたいだね」

課長 「はい。最近はそうですね」

エライ人B 「では、次期新製品はクラウド連携をキーワードにがんばってくれんかね」

課長 「はい!分かりました!(クラウドというよりネットがつながれば良いんだろうな...)」

【部内定例会議】

課長 「と、言うわけで、スマホとクラウドをキーワードに、次の商品を企画することになりました。

主任 「え? うち洗濯機とかですよ!」

往々にして、こういうケースが多いと思います。エラい人がよく分かってないのにキーワード優先で号令をかけて、その下の人たちはキーワードだけを頼りに、実装していくケースが多いように思います。

そのキーワード縛りのおかげで良い製品ができることもありますが、できないことの方が多いです。そもそも言い出したエラい人が、イメージもビジョンもないので、グダグダになるケースが多いように思います。

とりあえず始まった「キーワード優先のモノづくり」の末路

なぜこんな予想をするかというと、ぼくのエンジニア人生で、そういうキーワード優先でモノを作らされたことは、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もあるからです。

90年代のころからを列挙すると、「とりあえずPC連携」、「言われたからSDカード連携」、「方針的な理由でホームネットワーク」、「大人の事情で自社製品との連携機能」、「何となくケータイ連携」、「とりあえずタッチパネル」、「何となくグループ内の研究所がつくった画像認識を実装」、「なんか実績が欲しいので子会社が作ったセンサー」、「とにかくスマホと何かできる機能」、「工数が激減するというウワサのAndroidを実装」。
 
まぁ、そんな感じです。

もう、時効だから言いますけど、10年くらい前に、PDAとか流行った時、「うちもM下らしいPDA(Personal Digital Assistant)を作ろう」という大号令が掛かり、コンセプトも決まらないまま。60人以上のエンジニアが投入され開発にGoが出ました。

「M下らしいPDAって何ですかね?」とエライ人に聞いても、「そりゃ、M下らしさを前面に押しだしたPDAだよ!」とか返されて、みんな黙ってしまいました。開発現場では「Sニーの●●のロゴをうちのに変えればいいんだよ!」とか冗談を言いながら、無駄なコードを書いてました。

開発が難航し、一年後、無駄な試作品をいくつか作って、日の目を見ないまま消えました。

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From Yuya Tamai

高度経済成長期のように、日本発の世界に誇れる製品が多数登場することを待望しているが......

その後、別の会社で同じようにあったような案件では、タッチパネルをキーワードにした案件がありました。DSやiPhoneなど、タッチパネルが流行っているから、AV機器のリモコンを大型液晶を使ったタッチパネルにしようというのです。

その時、僕はすでに独立していたので、「それはすばらしい!」と後押ししました。どうせ商品化されないし、確実に試作費用が取れるし、まず商品化されないので、テキトーでも良いし工数も少ないと思ってしまったからです。

実際に試作を作ったら、予想通り、タッチパネルとバックライトで、電池がまったく持たないリモコンができました。当然、日の目なんか見ませんでした。

僕の場合、キーワード開発でできたクソプロダクト案件は、日の目を見なかったことの方が多いのですが、どうも、プロジェクトによっては、さまざまな大人の理由で、商品化してしまうケースがあります。

"サラリーマン根性"のモノづくりでイノベーションは生まれない

どうして、キーワード開発がやめれないのでしょうか? 個人的に現場の気持ちからすると、「僕たちはサラリーマンだから」としか言いようがない気がします。もちろん、商品を買っていただけるお客さまのためにモノを作るのは、当然の原理原則です。

しかし、現実はサラリーマンなので、エラい人と波風立てずに作るしかないように思います。エラい人のキーワードに逆らっても良いことないですし、ただでさえ、何かを決めるのにクソほど時間が掛かる会社の中で、反対しても仕方がないので、エラい人の言う通りに作りましょうということになります。

特に大きなメーカーの偉い人が「全社的に○○を活用した方向に持っていきたい」とか言い出すと、総合家電メーカーの場合は、注目を浴びたいからか、全然関係ない部署でも全然関係ないテクノロジーを持ってきたりします。そして、伝統的な会社ほど、サラリーマン根性優先で作られた商品がたまにあります。

どこかの雑誌で、今後、シャープでは「全社的にプラズマクラスターを活用していきたい」と言っておられるようです。そう言えば、最近、シャープさんが出した自動掃除機は、スマホ連携・音声認識・プラズマクラスターとキーワード満載です。

シャープが人工知能搭載・音声認識・スマホ連携で自走式のロボット家電「COCOROBO(ココロボ)」新発売

日本のヒット商品は、「アンチサラリーマン根性」と「闇研」

逆に、デジカメやVHSやCDなどの、過去の日本の大ヒット商品は、アンチサラリーマン根性で作られていたように思います。

「会社の言う事聞いていると進まないので、やっちゃいました的」精神でボトムアップで作られたものが多いです。つまり、エラい人が知らない間に、勝手に作ったものが商品化されたことが多いです。いわゆる「闇研」というものです。

しかし、最近は、ガバナンスだとか、セキュリティだとかいう話で、それができなくなってきたように思います。「プロジェクトX」で見た限り、デジカメの開発は、闇研で社内で無許可で作っていたので、開発費の経費伝票は、ほぼ虚偽記載で、ポータブルテレビの研究案件で処理していたと聞いてます。

映画「日はまた昇る」を見る限り、VHSの開発予算も、開発研究費ではなく、名目上は「法人用ビデオの修理予算」で回していたように見えます。たぶん、今だったら、ガバナンスとかコンプライアンスとかで死にます。

今後の日本のメーカで言えることは、もう、エラい人は、黙ってたらいいのかもしれません。少なくとも、知らないのに「スホマ」とか言わない上司であってほしいです。

【以下、宣伝】

そういえば、本出します。「ソーシャル、もうええねん!」という本です。980円です。

小さい出版社なので、あなたの街の本屋さんにおそらく並ばない上に、予約数が少ないと取次ぎからの配本すらもあやしいので、興味がある方はAmazonで予約してください。

『LINE』『クックパッド』『Wantedly』のUI開発に見る、技術者が陥るUIデザイン3つの罠と、その解決策【五十嵐悠紀のUI/UX座談会】

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CG・UIの研究家として知られる五十嵐悠紀さんの連載17回目。今回は特別企画として、今旬のPC・スマホWebサービス『LINE』『クックパッド』『Wantedly』のUI/UX担当者に登場してもらい、UI/UX座談会を開催。後編は、エンジニアがUI/UX設計に携わる際に陥りがちな罠とその解決策を紹介してもらった。人気サービスを生み出したデザイン設計プロセスから語られる、本質的な価値とは一体何なのだろうか。
ファシリテーター

筑波大学  システム情報工学研究科  コンピュータサイエンス専攻  非数値アルゴリズム研究室(NPAL)
五十嵐 悠紀

2004年度下期、2005年度下期とIPA未踏ソフトに採択された、『天才プログラマー/スーパークリエータ』。筑波大学 システム情報工学研究科 コンピュータサイエンス専攻 非数値アルゴリズム研究室(NPAL)に在籍し、CG/UIの研究・開発に従事する。プライベートでは二児の母でもある

ゲストトーカー

NHN Japan株式会社 ウェブサービス本部 UXデザイン室 UIデザイン3チーム マネージャー
橋本建吾

Web制作会社よりNHN Japanへ転職。2012年7月26日現在、全世界で5,000万ユーザーを突破したLINEのデザイナー。年内1億ユーザーという目標を掲げながら、北米・中国市場に本格進出すべく日々サービス開発に励む

ゲストトーカー

クックパッド株式会社 サービスデザイン部 デザイン・UIグループ
池田拓司

Webデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、はてな、ニフティなどで活躍後、2012年4月にクックパッド入社。入社してまもなくクックパッドのUIデザイン開発環境の再構築を一任される。以前同社が主催したUI勉強会でも登壇

ゲストトーカー

ウォンテッド株式会社 CEO
仲 暁子

京都大学を卒業後、ゴールドマン・サックス証券に就職。その後、米Facebookへ入社。Facebook退職後、独学で学んだRuby on Railsでソーシャルリクルーティングサービス『Wantedly』を開発。サービス設計、デザイン、開発など、幅広い分野に携わっている


五十嵐 みなさん、座談会後半もよろしくお願いします。前回、そもそもUI/UXの実体とは何か?各サービスのデザインプロセスをお伺いしました。後半では、みなさんのご経験をふまえて、これまでUI/UXデザインに携わったことのないエンジニアが初めて携わる際に注意すべきポイントをお伺いできればと思います。

まず、皆さんのご経験上、UI/UXをデザインするプロセスで陥りがちなワナを3つ挙げていただきました。

【ワナ1】カッコいい・イケてるデザインを使いたがる
【ワナ2】目的を見失う
【ワナ3】シンプルじゃなくなる(ぶれる)


五十嵐 では、まず1つ目の「カッコいい・イケてるデザインを使いたがる」に関してお話しいただけますか?

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より直感的でかつ、斬新なUIデザインを採用する『Path』

橋本 例えば、海外の有名なサービス『Clear』と『Path』。このサービスには斬新なUIが実装されていますが、ああいった要素をLINEに組み込むのは難しい。

五十嵐 そうなんですね。

橋本 特殊な操作を伴うインターフェイスのデザインって、最初は使うのに戸惑うんですよ。確かに僕らが斬新なインターフェイスのアプリを体験して盛り上がることもありますが、あくまでもそれはそれ。僕らは知識としては吸収するんですけど、果たして一般の人がそれを求めてるのかなと問われれば、たぶん求められてない。LINEはとにかくシンプルに、ノイズが入らないように細かく設計してここまできています。

―― デザインに対してエゴみたいなもの、「もっとこういうの付けたらカッコいい!」という思いは出てこないんですか?

橋本 まったく考えないことはありません。UIを研究する中で、話題のアプリをたくさん見ていたりするので。例えば、「このアプリのこの要素を取り入れたらどうなるんだろう?」と画面上でテストしてみて、いろんな人にヒアリングすることはあります。でも、やっぱり「これは合わないね」となっちゃう。要するに、インターフェイスのギミックを練るというのは、かなり苦肉の策なのかなと思うんですよ。

一同 (笑)

橋本 もしLINEが『Path』の「+」ボタンなんか始めちゃうと「アプリの本質的な弱みを隠そうとしている」と思われちゃう。『Path』の場合は成立しているとしても、そのままの形で自分たちのサービスに持ってくると、まったくハマらなくなりますね。

五十嵐 でも、現場のエンジニアや非UIデザイナーの方と接していると、そういう「カッコいい」アイデアが上がってきませんか?

橋本 はい、もちろんありますね。エンジニアチームは「機能的で斬新なアイデアのインターフェイスだから、材料の一つとして検討してみたらどうですか?」と提案してくるんです。彼らは最新のサービスやアプリが大好きですから(笑)。そういう時は、「なるほど。検討はしてみるけど、改めてユーザーの観点から見た時にそれは使いやすいのか。実際はそうとは言えないかもしれないね」と話すことがあります。結果的に、自分たちやギークの視点ではなく、ユーザーの視点で考えてみようとなります。

五十嵐 「カッコいい」、「新しい」ばかりではなくて、ということですね。

橋本 そうです。

「足す」ではなく「そぎ落とす」。Facebookも実践していた発想

五十嵐 では、2つ目の「目的を見失う」という点についてもお伺いしたいと思います、これは3つ目の「シンプルじゃなくなっちゃう」という点と密接に関係しているような気がしますが。

EE

「そもそも論」を繰り返すことで、ユーザーに提供できる(したい)ことの価値を最大化しているクックパッド

池田 わたしは「何でこの機能作ったんだろう」という、そもそもの目的に立ち返るようにはしていますね。どうしても作り始めると、作ること自体に没頭しがちになるので、「そもそもそれは何のための機能か」を常に振り返るようにしています。

―― 「そもそも」論が大事、ということですね。

池田 はい。そうすれば、余分な機能追加をする必要がなくなりますし、もしかするとその機能自体が必要なかったりするかもしれません。

五十嵐 仲さんは非UIデザイナーとしてこれまでサービス改良を繰り返してこられましたが、「これは失敗だったな」ということはありますか?

 失敗はいくらでもあります(笑)。最初は「ユーザーはこういう機能があったら便利だろうから作ろう」ととてもシンプルなんですが、作っているうちに気が付いたら自分が作りたいものを作っちゃっていたり......。

五十嵐 あぁ(笑)。

 今取り組んでいる「ゴールド・エクスペリエンス」というUI/UX改善の取り組み(※座談会を開催した7月30日時点)でも、「履歴書ではなく、人で判断されるリクルーティングサービスを作ろう」と思っていたのですが、誰かが「サーチ機能も入れた方が良いんじゃないか」と言った途端、みんながサーチ機能にこだわり出したり。気が付いたら「これ何で作り始めたんだろう?」となって、まさに目的を見失ってましたね。だから要所要所でチェックする人がいないと。

五十嵐 俯瞰して見れる人が必要なんでしょうね。

 そうですね。どんどん足したくなっちゃうんですよね。ユーザーがこう思っている「だろう」というのを勝手に妄想しちゃう。シンプルにしないといけないのは、わたしが以前働いていたFacebookでも感じました。Facebookが生まれる前って、すでに同じようなSNSがすでにハーバード大学にはあったんです。でも、そのサービスはカレンダーもあれば、日記もあれば、自分のスケジュール管理もできて......、とにかくごちゃごちゃして、使い勝手が良くなかったんです。それを横目に、無駄を削ぎ落したFacebookが一気に浸透していきました。絞れば絞るほど良いんですよね。

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仲さんの話す「あるある」失敗談を受け、LINE流の回避術を話す橋本氏

橋本 どんどん足したくなる、というのは確かにそう。最初に考えていたものからブレていっちゃうんですよね。それは僕らもやっぱりあって、当初の目的を見つめ直すというのをやっていかないといけない。

五十嵐 でも、そういう本来の目的を意識することって現実的にできるんでしょうか。振り返りのタイミングを決めていたりするんですか?

橋本 タイミングとかは決めていませんが、「UIを決めて作ったマークアップにデータを流し込んで見てみましょう」という時に「これやっぱり違うよね」となったら、リリースを遅らせるかどうかを判断します。止めちゃうこともある。その判断は本当に難しいです。

「シンプル命」の世界だからこそ、サービスの生命線はオリジナリティ

五十嵐 では、挙げていただいた3つの罠に陥らないためには、これからデザインもやりたいというエンジニアたちは一体どうすれば良いのでしょうか?
 
橋本 まず言えるのは、複雑にしないということですよね。ユーザーがアプリの中でできることは限られているので、目的を明確にする。特にスマートフォンは画面が小さいので。あと、新トレンド、新技術を追いたくなるのですが、あえて追わない。なぜならユーザーが本当に求めているポイントではないから。今広く普及している「感覚」を優先して参考にする、ということでしょうか。

池田 スタートアップのように人数が少なかったりすると、頭の中で固まってしまいがち。なので何らかの目的を持って、人目に触れさせることが大事です。あまり自信を持っていなかったとしても、出さないと経験値が貯まらないので、判断できませんよね。

 前編でも話があったように、要するに「シンプルである」ことがとても重要だということでしょうか。

五十嵐 ユーザーが画面を見た瞬間、2~3秒で何ができるかが分かることが大事なんでしょうね。

橋本 そうですね。

五十嵐 いっぱい機能があると、何のためのサービスなのかが分からない。サービス開発者視点で見ると、軸となる機能があって、そして周辺の機能がある。でもユーザーからすると、全部の機能が並列に見えてしまう。だから、その軸を見せるためのシンプルなのかなと思いました。

池田 あと、シンプルであることが大事である一方で、そのサービスならではのオリジナリティも大事。そのさじ加減が難しいんですけど。

橋本 バランス感覚ですよね。

(次ページに続く)

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経験値は、アウトプットに対するフィードバックでしか磨かれない

五十嵐 その感覚を補うためには、何をすべきなのでしょう?例えば、ある機能を追加する際に「これで行こう」と決めるのは、個人の価値観だったり勢いだったりするんですか?判断する基準はありますか?

橋本 LINEチームでは、機能自体を考えるのはプランナー。そして、それを実現していくのが僕らデザイナーというチーム構成でやっています。その中で、決められた機能を絵に落としてみた時に、UIの観点から機能の取捨選択やナビゲーションの変更をアジャイルに行います。

##

座談会当時、仲さんは『Wantedly』が「ゴールド・エクスペリエンス」リリースに向けてUX改善中だったため、気になるポイントを積極的に質問していた

 座談会の前編で「データを流し込んでみたら違った」、「スタンプを試したら意外にかわいかった」というお話がありましたが、そういった微妙なところの線引きはどのようにしていますか?

橋本 経験ですね。経験でしか語れない気がします。

五十嵐 それはどのような経験ですか?プライベートも含めて吸収したものですか?最近はプライベートを充実させないと、仕事も充実しないのかなと。

 それは自分に言い聞かせているんですか?(笑)

一同 (爆笑)

橋本 もちろん仕事だけではないと思っていますが、やはり仕事の経験は大きいです。例えば何か映画を観た時に、その面白かった要素を自社のサービスを作る時に参考にするとかは、僕はあんまりイメージできないんですよね。

五十嵐 吸収はするけど参考にはしないということ?

橋本 そうですね。やはり仕事で触れてきた何十万というサイトやデザインから得たものを、自分の中でスクラップして「こうだ」というものを決めています。それ以外にやりようがないかなと。

 経験に基づいたセンス、ですね。

橋本 そうですね。今までにあるものを作るのであれば、「これが成功しているからこうやろう」というのはできますが、僕らは今までにないものを作っている自負があります。だから自分の経験に基づいたセンスを信じてやっています。自分の人生を否定したくはないじゃないですか(笑)。それでも失敗することはありますけど。

 またそれが経験になっていくと。わたし、UIデザインの経験って、とことん世の中のデザインパターンを見て覚えることだと思っていたんですよ。でも、それでは「レベル1」だなと。それよりも、何かアウトプットを出してフィードバックを得ることの方が、さらに高いレベルの経験になるんだと思いました。

五十嵐 人と話し合ってフィードバックをもらうように、「人と」っていうのが大事なんでしょうね。けっこう自分だけの視点に陥りがちですが、できる限りいろんな年齢層、性別の人からフィードバックをもらうということが、経験を早く積むために必要なんでしょうね。

ダウンロードの速さも、一つのUX

橋本 あとは環境を変えて使ってみるということも重要かなと思っています。例えば、LINEのこだわりの一つに「アプリダウンロードのバイト数を減らす」というのがあります。なぜかというと、ダウンロードが遅いとイライラするじゃないですか。

 たしかに!ダウンロードの途中でアプリが落ちてしまうこともあります。

橋本 これって実体験から導き出された知見なんですよ。だから、スタンプのダウンロードも都度都度にしているんです。そういうことって体験しないと分からないんですよね。でも一度使うと理解できる。そうやって必要ない部分をどんどん削っていく。旧ネイバージャパン(現・NHN Japan)も、LINEを出すまで30個ぐらいアプリを作ってきました。その経験の蓄積が、今のLINEの使いやすさに活かされていると考えています。

五十嵐 アプリダウンロードのバイト数みたいに「気付かせずに改善する」ということも大事なんでしょうね。

橋本 そうですね。ノイズを失くすというのはそういうことで、すんなり入っていけるということが最も重要ですね。

##

ユーザーに優れたUI/UXを提供できるのは、「アウトプットの数」と「フィードバックの数」で決まると話す池田氏

池田 あと、出してみたら意外な使われ方をすることもありますよね。それが次の開発に生きていきます。だからこそ、「これまでどれだけ世の中にアウトプットしてきたか」、「どれぐらいの人に使われたか」が重要なのではないでしょうか。とにかく自分で作ってみる、そして出してみる。出したものから得られたことがすべてだと思っています。

橋本 でもそこまでにいくプロセス、例えばフォントサイズを変えて、色を変えてという過程においては、人に聞いたり、その中で会議に出したりと、かなり行ったり来たりしていますね。

池田 そうですね。結果的に、みんなでデザインしている感覚はあります。「ここ変えたんだけど分かった?」とか。そういうものの積み重ねで出している気はしますね。

プロのアイデアよりも、デザイン"素人"の声を優先

五十嵐 自分のエゴが勝ってしまうのか、それともほかの人の意見を採用するのか......。それはケースバイケースですか?

橋本 ケースバイケースですが、ほとんどの場合、後者。つまり、周りの意見を大事にします。何でかと言うと、エゴというのは自分のこれまでの経験からしか出てこないデザイン。直感でこれがいいよね、というエゴ丸出しのデザインを見せて、まわりの反応が違った場合は「それが答えなんじゃないか」と思うんですよね。なので、「個人的にはこっちの方が好みなんだけどな」と思いながらも、ほかの人たちが選んだ方をチョイスし、ブラッシュアップしていきます。まずは自分の経験やセンスに基づいてデザインしてみて、決定するのはチーム、という感覚でしょうか。

池田 わたしもそうですね。僕の場合は、あんまり良い意味でサービスに愛着を持たないようにしています。既存のものに愛着を持ちすぎると、変えていけない。ブランドとしてサービスとしての愛着心は持っていますが、デザインに対しては愛着を持たないようにしていますね。

五十嵐 ありがとうございます。そろそろお時間も来てしまいましたので、最後に「エンジニアがデザインのワナから逃れるtips」をまとめて、締めさせていただきたいと思います。

【エンジニアがUI/UXのワナに陥らないための5つの視点】
1. 複雑にしない(シンプルに、かつオリジナルを大切に)
2. 視点は常にユーザー側(エゴ禁止)
3. 新技術はあえて追わない(ユーザーは興味ない)
4. 目的を持って人目に触れさせる(自分の殻に閉じ込めちゃ解決しない)
5. 原点回帰(伝えたいことを2〜3秒で理解させる)


五十嵐 改めまして、今回は貴重なお話をたくさんしていただき、本当にありがとうございました!

取材・文/岡 徳之(tadashiku, Inc.) 撮影/赤松洋太

"世の中を変える人"になるための4条件【ちきりんの"社会派"で行こう】

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はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー"ちきりん"さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く"ちきりんワールド"をご堪能ください(※本記事は、『Chikirinの日記』に掲載されたエントリーを再構成したコラムです)。
■ 記事提供:『ビジネスメディア誠
プロフィール

おちゃらけ社会派ブロガー
ちきりんさん @InsideCHIKIRIN

兵庫県出身。バブル最盛期に証券会社で働く。米国の大学院への留学を経て外資系企業に勤務。2010年秋に退職し"働かない人生"を謳歌中。崩壊前のソビエト連邦など、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から"おちゃらけ社会派"と称してブログを開始。著書に『自分のアタマで考えよう』『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』がある。ブログは『Chikirinの日記』 

 
孫正義氏(※写真は2011年に行われた「トコトン議論~日本のエネルギー政策を考える~」のもの)

孫正義氏(※写真は2011年に行われた「トコトン議論~日本のエネルギー政策を考える~」取材時に撮影)

以前、新卒採用イベントでソフトバンクの孫正義社長が行ったスピーチ(参照リンク)を思い出しながら、「世の中を変える人になるための条件って、何だろう?」と考えてみました。
 
例えば、「"能力"さえあれば、世の中を変えられるか?」と聞けば、大半の人が「NO」と即答しますよね。
 
みんな直感的、経験的に「能力さえあれば世の中を変えられるほど甘くはない」と理解しています。では能力のほかに何を持っていれば、"世の中を変える人"になれるのでしょう?
 
孫社長がスピーチの中でまず強調していたのが"志"。「自分の人生において何を成し遂げたいのか」という具体的な目標です。
 
加えて、「志がないと必死で頑張ってもだめ。志を持たずして頑張っても"さまよう"だけ」とおっしゃっており、その言葉の中には、もう1つの条件も表れています。それは"必死で頑張る"こと。
 
確かに能力の高い人が、早期に志を定め、必死で頑張ったら......いいところまでいけそうですね。でもスピーチを聴いているうちにもう1つ必要に思えたのが、「正しいやり方」とでもいうべきものです。
 
目標を実現するために、具体的には何をやるべきか、どこから攻めるべきか、どの程度押すべきで、いつ退くべきか、みたいな方法論。これを間違うと、能力や志があって頑張っていても、既存の社会から、拒否されたり追い出されたりするんですよね。
 
世の中を変える可能性があった人の中で、若い時、もしくは一番働き盛りのピークのタイミングで、社会につぶされちゃう人、もしくは"自滅しちゃう人"は実際にたくさんいます。
 
もちろん、だからといって既存社会に迎合していては世の中を変えるなんてできないわけですが、一方であんまり無茶をするとつぶれてしまう。今回あのスピーチを聞いていて、孫社長はその辺りがとても巧かったんだなと思いました。
 
スピーチの中で、総務省に乗り込んで「NTTに公正な商売をしろと言え」と直談判した話が出てきたのですが、これだってやり方を間違えるとつぶされていた可能性は十分ありますよね。
 
テレビ局を買おうとしたり、銀行を買った時の引き際も、1つ間違えてたらどうなっていただろうと思います。孫社長はそのあたりの"引き"がすごくうまいのです。
 
また、「宝を見つけるためには、地図を手に入れる必要がある」という発想で、コンピュータ見本市自体(開催会社)を買うのは、大胆なようで実は超論理的です。
 
会社の規模にそぐわない大型買収など、一見無茶をやっているように見えますが、実はかなり考えた上で選択している。だから結果としてここまで来れているんだと思います。
 
孫社長が留学前に藤田田さん(元日本マクドナルド社長)に「米国で何を学ぶべきか?」と聞きに行った話も読みましたが、この時、藤田氏は「コンピュータを学んでこい」とアドバイスしたのだそうです。
 
「米国で何を学ぶべきかは、米国を代表する商品であるハンバーガーで成功している藤田氏に聞きに行くのがいいはずだ!」と考えた孫氏のセンスも、飲食業の経営者でありながら「コンピュータを学んでこい」と行った藤田氏もすごいです。
 

"世の中を変える人"になるための4条件

というわけで、「世の中を変える人」に必要な要素をまとめると、
 
能力

継続、勤勉(必死で頑張ること)
正しい方法
 
......の4つかなと思えたので、この4要素を組み合わせ、「どれがあって、どれが無いと、どんな人になるのか」、16種類の組み合わせを考えてみました。そのうち、面白そうなのを抜き出したのが下の図です。 
 
ちきりんさんが考えた

「持っているもの」の組み合わせによって、予想される結果が変わる、という、ちきりんさんの分析

 
こうやって見ると、「ああ、やっぱり志って大事だな」と分かりますよね。志の有無が"財を成す人"と"世の中を変える人"の分かれ目になるのです。
 
実は、能力があって、一生懸命働いていて、正しいやり方でやっている、そして"財を成している"人はそこそこ存在します。でも"世の中を変える人"は多くありません。その分かれ目が"志"の有無だから、孫社長はそれを強調されたのでしょう。
 
"能力と勤勉"で"出世する人"としたのは、一種の皮肉です。日本企業(社会)では、「優秀な人が一生懸命頑張る」のが高く評価されます。だけど「その人が頑張っていることって、本当に正しいことなのか?」というと、それはあまり問われてないんですよね。もちろん"志"なんて出世には無用の長物です。
 
「オレの場合は?」というパターンが上記に含まれてない方は、ご自身で書いてみてください。16種類の中には、「どれも持ってない場合」も含まれるので、すべての人の入るべき欄が必ず見つかるはずです!(?) 
 
そんじゃーね。 
 
<『ビジネスメディア誠』その他の記事>

  

●Business Media 誠
http://bizmakoto.jp/

2007年4月に創刊した、30代のビジネスパーソン向け総合ビジネス誌です。コンセプトは「ニュースを考える、ビジネスモデルを知る」。社会の構造が大きく変わりつつある今、伝統や慣習が参考にならない世の中を、自立的に生き抜こうとするビジネスパーソンに向けて、仕事革新・自己革新を支援するメディアです。

誠編集部では、毎月1回、ビジネス情報番組「ビジネステレビ誠」を制作し、Ustream&ニコニコ生放送で配信しています。次回放送日の確認と視聴はこちらのページから可能です。

「ツテなし、コネなし、技術なし」の旅する起業家が、グアテマラでオンラインスペイン語学習サイト『スパニッシモ』を作れた理由

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インターネット環境が整備されたことによって、今や、パソコンが1台あれば、世界中のどこでもWebサービスを作ることができる。と耳にすることはあるが、今年の始めにそれを本当に実践し、注目を集めている旅人たちがいる。

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スパニッシモ』のサイトで使用される写真も、サイトロゴも、すべて自前で準備しているそうだ

それが、格安でスペイン語学習ができるオンラインWebサービス『スパニッシモ』を作った、有村拓朗氏(スパニッシモCEO)と、吉川恭平氏(同COO)、栗林フリッツ幹雄氏(同CTO)の3人だ。

当時世界一周の旅路にあり、コネもツテも技術力もなかった彼らが、わずか3カ月でゼロからWebサービスを立ち上げられたのはなぜなのか。

その背景を探るため、CEOの有村拓朗氏に話を聞いた。

思い立ったが吉日。始まる3カ月間のハードワーク

「今回一緒に起業した2人とは学生時代からの友人で、社会人になってからも東京でシェアハウスをしていて、3人でよく飲みながら将来の話をしていました。そして、社会人3年目の2011年に、『世の中にインパクトを与えられるような人になりたい』という思いが固まり、まずは見識を広げようと、3人で世界一周の旅をすることになったんです」

そんな風に、旅のきっかけを話す有村氏。『スパニッシモ』の構想が浮かんだのは、その旅の途中に立ち寄ったグアテマラで、スペイン語学校に3カ月ほど通っていたことがきっかけだったという。

現地で起業を目指した彼らだが、グアテマラにはビジネスとして展開するために必要なコネもツテも、システムを開発するための技術力もない。

それでも、彼らはわずか3カ月足らずで『スパニッシモ』をリリースした。もちろん、スピード開発の裏側には並々ならぬ努力があったわけだが、彼らがその3カ月間で何をやったのかを教えてもらった。

【『スパニッシモ』リリースまでの3カ月間で行ったこと】
・市場のリサーチ
(アメリカにおけるスペイン語での広告出稿の割合や、
 中学校~大学の第二言語学習におけるスペイン語選択の割合や推移、
 日本においての市場の有無の調査)
・サービス提供側(グアテマラのスペイン語教師)のニーズ再確認
・提携先の学校選定
・先生の教育研修
・ネットワークインフラの整備(アメリカで調達)
・サービス設計
・既存サービスとの比較検証、値段設定
・Webサイトのデザイン
・要件定義、ワイヤーフレームの作成
・バックエンドのシステム開発者探し、開発
etc.
有村氏はプレサイトリリースまでに行った上記のことを振り返り、「一緒に旅をしていた吉川と2人でほとんどのことをやったが、『マジでやんのか』と思うくらいハードだった(笑)」と話す。

とはいえ、思い立ったが吉日。グアテマラの先生たちの生活を少しでも豊かにしたいという想いを胸に、有村氏たちは寝る間を惜しんでハードワークをこなした。

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有村氏は、今月再びグアテマラへ旅立つ予定だそうだ

「市場調査や、サービスを提供する側の先生たちのニーズ確認、学校との提携なども、すべて自分たちで行いました。そもそもグアテマラにいるスペイン語の先生たちにとって、このサービスが魅力的じゃなければサービスは意味がないし、先生側にやる気がなかったら元も子もありませんからね。

それでも、ネットでの調査や、現地のスペイン語学校の先生へのヒアリングを通して、このサービスへのニーズと成長性があることが確信できたので、後は作るだけでした」

しかしながら、彼らにはWebサービスのコアとも言えるシステム開発者がいない。起業したメンバーのうち、栗林氏はサイトのフロントエンドを作ることはできるが、システム開発の分野に明るいわけではなかった。

そこで有村氏と吉川氏は、日本にいる友人に「このWebサービスに懸ける想いと構想」を伝えて、サポートしてくれるエンジニアがいないか相談。すると、一人のエンジニアが友人を通して『スパニッシモ』に興味を示してくれたのだ。そのエンジニアとSkypeで話し、サービスに懸ける想いを伝えると、「面白そうじゃん」と意気投合し、開発を担当してくれることになったという。

こうして、『スパニッシモ』のシステム開発は始まった。

有村流リモート開発術は、「Noストレス」がカギ

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自分たちで作ったというサイトの設計図

開発プロジェクトは、要件定義の設計やワイヤーフレームの構築を有村氏、吉川氏が分担して担当し、日本のエンジニアが開発。完成したシステムの動作確認を二人が行う、といった流れで進んだ。

Skypeやタスク管理ツールの『Pivotal Tracker』などを駆使し、国境を超えて行った開発プロジェクトは、大きなトラブルもなく順調に進んだ。その秘訣は、「コミュニケーションの取り方」にある。

「例えばシステムにトラブルがあった際、どれだけイライラしていてもメールベースで『感情を可能な限り排除』し、事実のみを伝えるようにしていました。また、開発を依頼していたエンジニアにも本業があったので、作業をお願いできるのは基本的に土日だけ。だから、メールの件名に【緊急】と入っている場合だけ無理を言って対応してもらうようにしていました

こうしたエンジニアへの細かい配慮は、非エンジニアとして払うべきエンジニアへの敬意だと、有村氏は話す。

「わたし自身、大学時代にポータルサイトを立ち上げた経験はありますが、開発技術を詳しく知っているわけではありません。エンジニアの気持ちを理解できない分、彼自身を信頼し、システム開発はすべて彼に一任することにしました。ただ、エンジニアに不要なストレスが掛からないように努める一方で、絶対に譲れないポイントとして、プレサイトのリリース時に絶対外せない機能が何かを伝え、それだけは何があっても納期を死守してもらうようにしていましたけどね」

企画者は開発者の技術力を、開発者は企画者の想いをそれぞれ尊重し合えたからこそ、『スパニッシモ』は3カ月という短い期間にもかかわらず無事にリリースできたのかもしれない。

"日本品質"を武器に、世界の『スパニッシモ』へ

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「どんなサービスも、中途半端な情熱じゃ上手くいかない」と、熱い気持ちを持って話してくれた有村氏(写真右:吉川氏)

『スパニッシモ』は1月21日のサービス開始から、当初の想定の5倍以上で無料会員が増加している。順調なスタートを切ったものの、サービスとしては今も「改善しっぱなし、やることも溜まりっぱなし」(有村氏)だと笑って話す。現在はサービス改善に加え、海外向け『スパニッシモ』のチューニングに忙しい。

「『スパニッシモ』を最初に日本向けWebサービスとして作ったのは、世界的に見ても日本人がサービスの品質を見る目が厳しいと感じたから。そして、日本人が満足するような品質のWebサービスなら、他の国や地域でも満足してもらえるのではないかと感じたからです。

海外向け『スパニッシモ』は年内のリリースに向けて調整しています。そう考えると、これからさらにアクセルを踏んでスピードを上げていかないといけない。彼らとより密にコミュニケーションを取りながら、サービスだけでなく組織としても成熟させていきたいですね」

スパニッシモの旅は、まだ始まったばかりだ。

取材・文・撮影(インタビュー写真のみ)/小禄卓也(編集部)

『スパニッシモ』の今が分かる!事業報告会を開催!

世界一周の旅路で起業を決意した有村氏が、旅を中断してまで作った『スパニッシモ』に懸ける思いとは一体何なのか。そして、『スパニッシモ』はこれからどうなっていくのか...。世界で戦う若干26歳の起業家が胸に抱く衝動と、これからの社会について、一緒に語り合おう!

日時:9月22日(土) 13時~16時 10月開催予定
場所:coming soon...

マイクロソフトがWindowsを本気で再創造したいなら、もう分社化した方がいい【連載:中島聡③】

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中島聡の「端境期を生きる技術屋たちへ」

UIEvolution Founder
中島 聡

Windows95/98、Internet Explorer 3.0/4.0のチーフアーキテクトを務めた世界的エンジニア。NTTに就職した後、マイクロソフトの日本法人(現・日本マイクロソフト)に移り、1989年、米マイクロソフト本社へ。2000年に同社を退社後、UIEを設立。経営者兼開発者として『CloudReaders』や『neu.Notes』といったiOSアプリを開発している。シアトル在住。個人ブログはコチラ

 

こんにちは、中島です。今回は、わたしの古巣マイクロソフトの話をしますね。

 

From comedy_nose 

スタートメニューの廃止や、アプリによる新しい操作スタイルなど、「完全刷新」と言える変貌を遂げたWindows 8

マイクロソフトで目下注目を集めているのは、やはり今秋に控えた『Windows 8』のリリースでしょう。インターフェースをガラリと変え、それに伴ってマルチデバイス戦略に本腰を入れるなど、興味深く動向をウォッチしています。

 

新しいインターフェース(これまで「Metroスタイル」と呼ばれていたもの)への移行の是非について、よく人に意見を求められますが、わたしの答えは「正しい決断だと思う」です。

 

Windows Phone 8やSurfaceを投入して、アップルやグーグルとモバイルマーケットで勝負していくには、従来のWindowsインターフェースを全面刷新してコンバチビリティーモードを残しておくという道が、唯一残された正しい選択だったと思います。

 

Windowsの「新しいインターフェース」生みの親で、Windows Phone関連の発表では必ずフィーチャーされるJoe Belfiore氏

Windowsの「新しいインターフェース」生みの親であるJoe Belfiore氏は、新製品発表会などにも登壇する有名技術者

個人的な話ですが、現在のWindows Mobileの開発トップで、Windows Phone 7以降のプロダクト開発を主導してきたJoe Belfiore(@joebelfiore)は、わたしの友人なんです。

 

彼がPCのWindowsチームからMobileチームに精鋭を連れてきて、彼らが作ったMetroスタイルがWindows 8にも採用された。 

 

OSのコアもWindows CEからNTに移行され、初めてWindows 8のデモを見た時は、「よくここまでやったな」と驚きました。これをきっかけに、マイクロソフトが復権するのを切に願っています。

 

ただ、客観的に評価するなら、今回の刷新でやっとアップルに追いつく土台ができあがった、といったところでしょうね。アップルがiPhoneをリリースしてから、もう5年も経っているでしょう? 決断が遅過ぎたという声があるのも致し方ない。

 

マイクロソフトは、かなり前から「組織が大きくなり過ぎて決断が遅くなり、開発も後手を踏む」という悪循環に陥っていた。わたしは2000年代からずっと言い続けているのですが、マイクロソフトはもう、BtoB向けとコンシューマー向けとに分社化すべきなんです。社内でも、似たような議論が何度かあったと聞いています。

 

では、なぜこのタイミングで分社化を考えるべきなのか。その理由を、Windows 8の重要な開発テーマだった「UI/UX改善」を切り口に説明していきましょう。

 

UI改善に正解はない。ならば何を「OKライン」にするか?

プロダクトやアプリケーションのインターフェースを設計・開発する時、作り手にとって最終的な到達点になるのは、「誰も説明しなくてもユーザーは何をすれば良いかが分かる」という状態です。

 

PCのインターフェースは、Macが誕生してWindows 95が世に出てから、さまざまな"実験"が行われ、PC上での最適解らしいものが定義されてきました。「クリックできるアイコンはちょっと出っ張っている」、「リンクにマウスオンすると下線が出る」などは、すでに多くのユーザーにとっての常識となっています。

 

でも、スマートフォンやタブレットのようなタッチデバイスでは、まだ最適解がない状態です。画面をスワイプするとどう動くのか、アイコンを一回タップするとどうなるのか、iPhoneとAndroidを比較しても微妙に違いますよね。それぞれのアプリによっても、解が異なっている。

 

中島氏の

中島氏の"新作"となるiPhoneアプリ『neu.Tutor』(※画像クリックでiTunesストアに飛びます)

そんな中で、「誰も説明しなくてもユーザーは何をすれば良いかが分かる」状態を作るのはとても難しいです。わたしが今春から開発を続けてきた教育アプリ『neu.Tutor』でも、UI開発ではデザイナーと試行錯誤を重ねてきました。

 

『neu.Tutor』では課題が書かれたカードを動かしながら学習していくスタイルを採用したのですが、スワイプ/タップすると次にどんな展開になるのか、できる限り分かりやすくするために知恵を絞りました。

 

例えば、カードをスワイプした時に「ちょっとだけ止まってから」動いた方が効果的なのか、「すらっと」動いた方が良いのか、カードを上下にスワイプするとどうなるのかを「指でなぞるジェスチャー」を表示しながら説明したら印象が変わるかetc.を、30人くらいを対象にしたユーザービリティーテストをしながら詰めていったんですね。

 

つい先日も、デザイナーから

 

「画面を上にスクロールすると下から新しいカードが出てくると直感で分かるように、最上段にあるバーの下に2ドットくらいの影をつけて『カードが食い込んで入っていく感じ』を出したい」

 

と提案されて、デザインとアプリの挙動を微調整しました。何度も発生するこういった手戻りのせいで、すでに3度もApp Storeの審査を通っていたのに、9月になってやっとリリースに漕ぎ着けました。

 

インターフェースの改善にここまで労力を割いたのは、わたしを含め全員が、ユーザビリティーを高める魔法は存在しないということを理解しているからです。前述のように、スマホ/タブレット向けアプリの世界にはまだまだ正解がないので、作っては直し、使ってもらってまた直す、を繰り返すしかありません。

 

じゃあどこまでこだわればOKなのか? 「これでOK」というラインを決めるのは何になるのか?

 

「納期」や「上司の気分」だなどと思った人は、ちょっとサラリーマン病かもしれません。突き詰めていくと、会社のビジョンや、自分たちで決めた事業ミッションになるのです。

 

MSとアップルの首位交代は、ビジョンの"賞味期限切れ"が原因

From Joi スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツともに頑固者として知られるが、その鉄の意志でビジョンを貫く姿勢が世界的プロダクトを生んだ

From Joi ジョブズ、ゲイツ共に頑固者として知られ、鉄の意志でビジョンを貫く姿勢が世界的プロダクトを生んだが......

 

会社のビジョンやミッションというのは、そこで生み出されるプロダクトに必ず反映されます。もしそうなっていなければ、「間違った開発」だということです。

 

iPhoneを例にすると、Androidケータイと比べて機能面ではさほど変わらないのに(個人的には)使いやすさが格段に良い(と思う)のは、アップル独自のビジョンがあったから。もっと言えば、iPhoneの秀逸なインターフェースは、スティーブ・ジョブズのビジョンから来る「異常なダメ出し」の産物です。

 

一方、多くのAndroid端末にはそういった執着が感じられず、スクロールのなめらかさやタップした時のフィードバック感など、細かい部分を自然に感じられるかどうかの差が、如実に出ているように思います。

 

だから、今回のWindows 8のように過去をほとんど捨ててインターフェースを刷新するような時は、開発陣がその良しあしをジャッジする意味でも、ビジョンから掲げ直す必要が出てくるのです。マイクロソフトが本気でWindowsのユーザー体験を変えたいのなら、分社化してBtoB向け、コンシューマー向けそれぞれにビジョンを再設定する方が自然なんです。

 

ビル・ゲイツが「すべての家庭のすべての机の上に PC を」というビジョンを掲げ、マイクロソフトを創業した1975年から、Windowsの本質的な開発思想はずっと変わってきませんでした。

 

そして、このビジョンがほぼ達成された2000年代を境に、Windows事業は飛躍的に伸びることなく成長がストップしています。

 

かたやアップルは、1990年代の経営不振からジョブズが出戻ったのを機に復活し、今年とうとう史上最高の時価総額企業になりました(なお、アップルが記録更新するまでの史上最高企業は、1999年のマイクロソフトです)。

 

この事実を見れば、開発におけるビジョンの大切さや、必要とあらば古いビジョンを捨てて再定義するべき理由がお分かりになるでしょう。

 

ちなみに、開発の判断基準になるビジョンが変わらないまま、表面上だけ言い換えたものにしたり、ミッションだけをこねくり回して無理やり作り変えられたプロダクトは、かなりの確率で中途半端なデキになります。

 

UI面では本質的な変更がなかったのに、やたらと3D化した結果、処理が重くなってユーザーの反感を買ったWindows Vistaなどは、典型的な失敗例でしょう。

 

掲げるビジョンは、定義が広すぎても、狭すぎてもダメ。あいまいだと開発の拠りどころになりませんし、「新しいソーシャルサービスを作る」といったような小さなビジョンではすぐに"賞味期限切れ"を起こしてしまいます。

 

今後10年、20年くらい経っても通用しそうなビジョンや、クリアするのは難しいけど実現できたらすごくイイよねと思えるミッションが、あなたの会社や所属部門にあるかどうか。開発に携わるサービスやプロダクトをいじる前に、ぜひ考えてみてください。

 

撮影/竹井俊晴(中島氏のみ)

ムチャ振りを断らない男が語る、「Android」のような技術屋哲学【対談:法林浩之×安生真】

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市場や技術の流れが、めまぐるしく変わるIT業界において、専門領域の技術者として己を磨くには、どうすればいいのか。ITイベンターとして幅広い人脈を持つ法林浩之氏が、それぞれの技術領域において親交の深いベテランエンジニアとの対話を通し、生涯技術者を目指す20代の若者に贈る「3つのメッセージ」を掘り下げる。

ITイベンター・法林浩之のトップエンジニア交遊録

日本UNIXユーザ会(jus) 幹事・フリーランスエンジニア
法林浩之(ほうりん・ひろゆき)

大阪大学大学院修士課程修了後、1992年、ソニーに入社。社内ネットワークの管理などを担当。同時に、日本UNIXユーザ会の中心メンバーとして勉強会・イベントの運営に携わった。ソニー退社後、インターネット総合研究所を経て、2008年に独立。現在は、フリーランスエンジニアとしての活動と並行して、多彩なITイベントの企画・運営も行っている。2012年には、「日本OSS貢献者賞」を受賞

今回の対戦相手

ピクシブ株式会社 モバイルアプリケーションスペシャリスト
安生 真氏

米国メリーランド州立大学を卒業後も滞米。約9年間の滞在期間後半には、パブリックスクールの技術課でWebエンジニアに従事。外部開発者としてGoogle Desktopの開発に関わり"開発者殿堂"入り。帰国後、株式会社ケイブに入社。『日本Androidの会』では設立メンバーとしてかかわり、現在はコミュニティ運営委員の委員長。ケイブ退職後、フリーランスとして様々な開発プロジェクトに携わる


法林 今回は、『日本Androidの会』設立メンバー兼理事として有名な安生真さんに登場してもらいます。わたしと安生さんの縁は、ガジェット好きのためのイベントプロジェクト『Gadget1』がきっかけでしたよね。よくよく考えてみたら、お互いあんまり昔の話はしたことがなかったんですが、さっき編集部から「Wikipediaに安生さんのページがありますよ」と見せてもらって、思わず読んじゃいました。

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取材時に話題になった安生氏のWiki。安生氏の職歴・人物面に関してかなり詳細に書かれている

安生 そうなんですよ。僕自身もちょっと前に知り合いから「何かWikipediaに載ってるよ」って言われて初めて知りました。誰が書いたのか予想もつかないんですが、これがけっこう本当のことを細かく書いてくれていて、書かれた当人の方が「すごいなぁ」と思っているんです(笑)。

例えば「Twitterでは、主にアニメの実況をしていることが多く、『Androidに詳しい人だと思ってフォローしたら驚くほどアニメオタクだった』という印象をよく持たれる」なんてことまで書いてあって、「よく知ってるなぁ」と。ただ、一応断っておくと、ゲームに限らずマンガ家やアニメーターなど、エンターテインメントの作り手はわりと載りやすいようですよ。

法林 何か仕事のこととか、経歴についても情報満載ですよね。読んでびっくりしたのはアメリカに長くいた、という情報。

安生 自分でも意外でした(笑)。だってもともと英語は苦手でしたし、よくある留学願望とか持っていたわけじゃないし。

法林 では、なぜアメリカへ?

安生 じゃあその前に、早めに僕流の「長生きする技術屋3つの条件」を挙げちゃいますね。アメリカの話もこの条件に絡んでくるので。

法林 分かりました。では3つの条件を教えてください。

安生 ちょっと変な言い回しになりますが......。

【1】 「失敗しても死なない」のなら、挑戦すべき
【2】 俯瞰の目線で物事を見る
【3】 「領域軸」をブラしまくる


「失敗しても死なない」のなら、やったもん勝ち

法林 アメリカの話は1番目の条件にリンクしてきそうですね。

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英語は苦手だった安生氏だが、ゲームに関する情報をリアルタイムに知りたい一心で渡米を決意

安生 そうです。実は僕、プログラミングを小6で始めたんです。当時としては珍しい部類ですよね。で、当然のようにゲームが大好きになり、「どうしてもゲームの作り方を知りたい」という想いが膨らんでいき、ゲーム系の専門学校に入った。

法林 ストレートに大学進学ではなくて? まぁ確かに、今は分からないけど10年以上前とかだと、大学でゲームの作り方を教えてくれるところなんてないですもんね。

安生 そうなんです。まぁ親には猛反対されましたけど、大事なことは自分で決めちゃうタイプなので。で、その専門学校にはすごく感謝しているんですが、一方で90年代後半にもなるとゲーム関連の技術でも、日本ではなくアメリカから最先端のものが発信されるようになっていたんです。

 

法林 ネットが浸透し始めていたころですものね。

 

安生 ニュースをネットで手に入れることはできましたが、リンクをたどると詳細は全部英語で書かれている(笑)。日本語に翻訳されたコンテンツがアップされるまで、それなりに時間が掛かっている時代でしたし、「どうせ英語を読んでも分からないし、勉強しなきゃならないなら行っちゃおう」と。

法林 そういう背景があるから、「死なない程度の挑戦ならば、した方が良い」というメッセージが出てきたわけだ。

安生 はい。結局、アメリカの言葉にも文化にも、なかなか僕はなじめずにいましたが、行って正解でした。専門学校と違って、OSやコンパイラ、データ構造やアルゴリズムなど、コンピュータサイエンスの基礎をアメリカの大学で学んだことは、後々すごく役に立ちました。「なじめないなぁアメリカ」って思ってたくせに、気が付いたら勉強するのが好きになって、あっという間に卒業した感覚だったし、在学中も教授の紹介でJavaとかFlashの請け負い仕事をインターンでしてましたし......そんなこんなでアメリカに9年いたんです。

法林 「なじめない」のも事実だけど、楽しくて夢中だったのも事実、ということ?

安生 変な性格なんですよ、きっと。ただ、「なじむ」か「なじまないか」という分け方とは別次元で、勉強になったのは疑いようもない事実。それは技術面だけじゃなくて、例えば「自己主張しないヤツはアメリカじゃダメ人間扱いなんだな」とか。

法林 分かります。そういう人たちしかいませんからね(笑)。

安生 反面、日本人にはない居心地の良い部分もあって、たとえば「理屈さえ通してしまえば、個人主義の国なので皆が当たり前に放置しておいてくれる」とか。

ムチャ振りに応え続けて醸成された、今の「安生真」

法林 なるほど、ちゃんと主張して、その理屈を通す努力をしてしまえば、自由を確保できる。それってエンジニアにとってはありがたい環境ですね。じゃあなぜ日本に帰ってきたんですか?

安生 あっという間のようだったけれども、気が付いた時には渡米9年目。「これ以上ここにいたら、自分もアメリカ人みたいになっちゃうかも。それはイヤだなぁ」って。

法林 ひどいこと言いますねぇ。でも、何となく共感もする(笑)。やっぱり、本質的にはアメリカになじんでいなかったんですね。帰国後はまたゲームの世界に?

##

ゲームエンジニアが過小評価される中、高度な技術を扱うゲーム開発に魅了され続ける安生氏

安生 そうです。コンピュータのことを一通り勉強して、ゲームと関係ない請け負い仕事も経験したからこそ、「やっぱりオレはゲーム」と(笑)。それにアメリカの場合、優秀なエンジニアほどゲーム業界に行きたがる傾向があって、それを教授が嘆いていたりする状況でした。

日本は今だってゲームエンジニアが軽視されがちなのに、向こうはそうじゃない。この違いはゲーム製品の差になって出ていました。例えば3Dのシューティングゲーム(FPS)を作ろうとしたら、技術的には相当高度ですからね。

法林 わたし自身はゲーム作りに詳しいわけじゃないけれど、その道のプロに聞くと皆言いますね。「プログラミングの知識だけじゃ通用しないくらい高度だ」って。数学とかも詳しくないと作れないモノがあったり。

安生 ゲームの種類によっては、物理学も分かっていないとダメだったりもします。

法林
 何だかんだ言って、アメリカにいた9年での経験は多様で中身も濃かったんですねぇ。Googleとの出会いもアメリカにいたころでしょ?

安生
 そうです。Google Desktopに外部開発者として加わることができたのはラッキーでした。ただ、これって当時の仕事とは関係なくて、かなり趣味として向き合ってた感じですけどねぇ。

法林 趣味的にやっていたのに開発者殿堂入りを果たしちゃうんだからスゴイ(笑)。じゃあ、Android OSとの出会いはいつですか?時期的にはきっと帰国後ですよね?

安生 帰国後にケイブに入社していたころです。ケイブではガラケーのモバイルゲームの開発をしていました。で、ある時突然、「モバイル知っていて、Googleの技術も知っているんですよね? じゃあAndroidやらない?」という、かなりユルいオファーをいただきまして(笑)。僕の方も、あんまり考えもせずに「良いですよ」って。

法林
 そのノリはユルい。引き受け方もユルい(笑)。

安生 逆に、「えっ、僕で良いんですか?」なんて言ったりしてましたからね。でも、タフな場面もあったんですよ。Androidの開発者交流会というのが開催されて、そこでAndroidを用いた成果物を何か作らなきゃいけないことになり「ええ!? どうしよう」とも思ったんですが、皆の前で発表するからにはしっかりしたモノを出さなきゃいけない、と考えてケイブで作っていたモノを改良して持って行きました。ほかの発表者の方々も高度なものだったのですが、僕の作ったものは見た目のインパクトはかなりあったようで、結果的に僕の作品が目立っちゃう感じになっちゃいました。

法林 「GoogleがOSを? ほんとに流行るの?」みたいな空気だった時期に、きっちり作り込んでいくあたりが安生さんらしさなんですかね?

安生 ドM技術者なのかも(笑)。完全にアウェイな状況とか、大好きですし。
(次ページに続く)


「違う意見」も理解することで俯瞰する視野は広がっていく

法林 安生さんが挙げた3つの条件のうちの2つ目「俯瞰する姿勢」って、日本のエンジニアは不得意だったりしませんか?

安生 僕も、1つのことに夢中になっちゃう傾向はあるんですが、実は同時にそんな自分を冷めた目で見ている「もう1人の自分」もいたりします。例えば、AかBを選べと言われて、この部屋にいる4人のうち3人がAを選んだとすると、僕はBを選ぶ。心の中ではAだと思っていても、「Bにいった方が面白いんじゃないか」と思っちゃう性格で(笑)。変な性格だと言われるのはこの部分もあってのことかもしれませんが、自分としては悪くない性質だと思っています。

法林 すごく共感します。でもそれってゲームを作るエンジニアでもWeb系の技術者でも共通ですか?

安生 僕は同じだと思います。もちろんプログラミングの姿勢はすごく違ったりするんですが。ゲームの世界の場合、コードの美しさにこだわる人は少数派で、実際にコードも汚い場合が多い。プログラマーがメモで「ここにバグがあるのは分かっているけど、直すとなぜか動かない。このコードじゃないと動きません」と残すぐらいです(笑)。極端な例ですが。

結局、問われるのはユーザーが「気持ち良い」と感じる操作感やグラフィックがあるかどうかですからね。けれども、だからこそ1つの画面にばかり執着してもいられない。全体として面白くて気持ち良いプログラムにしていくためには、常にちょっと引いたところから見ておく必要があります。

法林
 その辺はもともと持っていた気質ですか? それともアメリカとか日本Androidの会での経験がそうさせたんでしょうか?

安生 どっちも関係していると思います。1つアメリカで気付いたことで「面白いなぁ」と感じたのが、アメリカ人はディベートを小さい頃から学校で経験している強みですね。ディベートって結局本人の意見はどうでもよくて、AさんとBさんが違う意見の持ち主を演じて議論するトレーニング。割り振られた自分の役とは違う意見を実は持っていたとしても、ディベート的な議論を重ねていくことで、物事を冷静にとらえ、全体像を俯瞰的に見ていくことを可能にしますから。

法林
 そうして3番目の条件につながっていくわけですね?

安生 そうなんですよ。1つの局面、1つの技術、特定の知識にばかりのめり込んでいったら、ゲームもWebも面白いものなんて作れない。俯瞰的な目線を手に入れたら、今度はそれを形にしなければいけない。「自分はこれを担当する人」と勝手に「軸」を決めちゃったら、形にする段階でつまづきますからね。

Androidのように、分野・領域を超えて活躍できる技術屋たれ

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「あえて軸をブラしまくる」という持論を披露する安生氏。そのポリシーは、さながらデバイスやメーカーの垣根を越えるAndroidのようだ

安生 Wikipediaにも書いてあったかもしれませんが、僕は声優関係の仕事もしているんです。まあ、アニヲタなので、好きでやってる。それで、少し前に言われたのが「普通はアニメの世界の人と、エンジニアの領域の人とは話が合わないケースが多い。なのに安生さんとはすごく話もかみ合うからとてもやりやすい」と。相性の問題もあるかもしれませんが、たぶんそれって、「軸がブレてるエンジニアだから」ってこともあると思うんです。

法林 何か面白い表現ですね、それ。

安生 何か1つを掘り下げるために、他の何かを捨てちゃう、なんてことができない性分なんです。そのせいで軸がブレてる、というか、僕の中にいくつも軸が生まれていって、時としてその異なる軸と軸の組み合わせが面白いものを生み出したりさせる。これって、これからのエンジニアには必要だろうなぁと思います。

法林 さっき、ゲーム作りに数学や物理学も必要だ、という話をしていましたけど、それだけじゃなく、いろんな多様に知識や経験を積んでいけば、その組み合わせ次第で新しい何かが生み出せる、というわけですね?

安生
 そう思います。どんな領域でも、今はどんどん複雑系になっていると思うので、「これがわたしの軸です。それ以外はよく分かりません」じゃ生き抜いていけないぞと。もちろん、自分が仕事をする上での大切な軸はブラしてはいけませんが、領域や業界などの軸はブラしまくった方が、技術者としての幅は広がるんじゃないでしょうか。

法林 どうすれば複数の軸を持つことができるんでしょう?

安生 お勉強というノリではなくて、楽しんでいろんなことをあきらめずに抱え込むこと。僕の場合は、よその業界の人と話すのが楽しくてしょうがない。新鮮な刺激や影響を受けて、楽しんでいくことができたなら、自然と複数の軸というのが生まれて、育っていくはず。その意味では、Androidの技術は家電に組み込まれたりして、異業界とのイノベーションを生み出しやすい。その部分の魅力は大きいですよね。

法林 ありがとうございます。Wikipediaにもあるように本当にいろいろな世界を楽しんで経験してきた安生さんだからこそのお話を聞くことができて良かったです。そして、やっぱり思いました。わたしのWikipediaは安生さんのように正確に記述されてなくて「裏方として有名」とか大雑把だし(笑)、ITエンジニアとは関係ない話の方が多くてイマイチ納得がいかないです。誰か直してほしいなぁ。

取材・文/森川直樹 撮影/小禄卓也(編集部)

世界最速を勝ち取った「京」の頭脳『SPARC64 VIIIfx』に秘められた、制約を乗り越える設計屋魂【連載:匠たちの視点-本車田 強】

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プロフィール

富士通株式会社  次世代テクニカルコンピューティング開発本部
LSI開発統括部 第一技術部 部長
本車田 強(もとくるまだ つよし)氏

1984年、鹿屋工業高等学校電子工学科を卒業後、富士通に入社。メインフレームを開発する部署に配属され、システムコントローラの設計を経験。1990年、メインフレームのプロセッサ開発に参加し、その後「京」のメインプロセッサ『SPARC64TM VIIIfx』の基礎になる制御方式を開発。以降メインフレーム、UNIX、スーパーコンピュータ向けの各種プロセッサの設計を行う。2011年6月と11月の2期にわたって世界最速のスーパーコンピュータの栄誉に輝いた「京」にも、プロセッサの設計マネジャーとして携わる

 

From 独立行政法人理化学研究所 世界京速コンピュータ「京(けい)」の筐体

From 富士通

世界最速の京速コンピュータ「京(けい)」の筐体

「完成した筐体は神戸の理化学研究所にあるんですが、実はまだ一度も稼働しているのを見たことがないんです」

 

日本が誇るスーパーコンピュータ「京(けい)」に採用されているプロセッサ、『SPARC64TM VIIIfx』の開発に尽力した富士通の本車田強氏は、少し照れくさそうに話す。

 

「われわれ設計屋は試作したチップの性能評価を終えると、すぐに次の新しいプロセッサの仕様検討や論理設計に入ります。ですからなかなか現地に足を運ぶ機会がなかったんですよ」

 

「京」は現在、神戸ポートアイランドにある独立行政法人理化学研究所・計算科学研究機構内に設けられた巨大な専用建屋に収められ、2012年9月末からの本格運用を控えている。

 

富士通はシステム全般の開発を請け負うベンダーとして「京」プロジェクトに参加。理化学研究所とともに、創薬や新物質の創成、宇宙科学、ものづくり、防災分野の戦略的重点5分野の進歩に貢献する使命を負う。

 

無論、課せられた使命の大きさと比例して、「京」にはずば抜けたスペックが与えられる。2011年6月、8コア、6Mバイトのレベル2キャッシュ、動作周波数2GHzという性能を持つ『SPARC64TM VIIIfx』を1台あたり102個搭載したラックを672台つなげ、8.162ペタフロップス(毎秒8162兆回)という結果を叩き出す。

 

これが「京」の名を世に知らしめるきっかけとなった。この結果で「京」は、スーパーコンピュータランキング「TOP500」において世界一の座を獲得することになる(※編集部注:2012年6月に米エネルギー省の『Sequoia』に首位を奪還され、9月時点では世界2位)。

 

富士通の次世代スパコン紹介ページ内には、864ものラックに据え付けられた「京」の壮観な姿が載っている

富士通の次世代スパコン紹介ページ内には、864ものラックに据え付けられた「京」の壮観な姿が載っている

驚くのは、この時点で、「京」は持てるポテンシャルをすべて発揮したわけではなかったことだろう。

 

この時の計測値は「京」の筐体設置期間中に行われたものであり、すべてのラックの据付が終わった同年10月、当初の計画通り全864ラックの据付を終えた段階で実施した動作検証において、ついに10.510ペタフロップス(毎秒1京510兆回)を達成。

 

「京」は、名実ともに10ペタフロップス(毎秒1京回)を現実のものとした世界初のコンピュータとなったのだった。

 

世界一の称号を得た裏側にあった、被災地宮城での逸話

2011年6月、11月の2期にわたって「TOP500」の1位にランクインした「京」。さらに同時期、「HPCチャレンジ賞」と「ゴードン・ベル賞」の受賞の栄誉にも浴したが、ここに至るまでの道程は決して平坦なものではなかった。

 

2009年5月、当初共同開発を行う予定だった大手電機メーカー2社が、膨大な製造費負担を理由にプロジェクトからの離脱を表明。さらに11月に行われた「事業仕分け」では、「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定される。

 

予算削減騒動や、3.11被害を乗り越えて「京」のプロセッサ開発に心血を注いできた。当然、そこには数々のサポートが

予算縮減や、3.11被害を乗り越えてプロセッサ開発に心血を注いできた。そこには幾多の助けが

「関係者の努力と国民の声によってなんとか凍結こそ免れましたが、それでも予算は大きく減額されてしまいました」

 

ただ、インテルやIBMといったCPUベンダーのメインプレーヤーと伍して開発し続けているのは、国内では富士通をおいてほかにはない。彼らはその責任をまっとうするため、設計部門はもとより、全社を挙げてプロジェクトの成功に心血を注ぐ。

 

その覚悟は、東日本大震災に直面した時も揺るがなかった。

 

「プロセッサのパッケージングやケーブル製造など、組み立てにかかわる工場の多くが宮城県にありました。被災直後の数日間は連絡も取れない状況だったにもかかわらず、工場の皆さんが自宅の復旧よりも工場の立ち上げを優先してくれたことで、京は当初の計画を変更することなく組み立てることができたんです」

 

これらの努力が6月の「TOP500」における成果を後押しする結果となった。

 

「あの時ほど東北の人たちに感謝したことはありませんでした。京が世界一を取れたのは、彼らの努力が大きく貢献しているんです」

(次ページに続く)

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課題に直面した時にこそ感じる「謎解き」の面白さ

本車田氏が初めて本格的にプロセッサの論理設計に携わったのは、1995年発表のメインフレーム『GS8400』向けのCMOS汎用プロセッサだった。90年ごろ、それまでメモリー制御回路「システムコントローラ」の設計に従事していた本車田氏のもとに、新プロセッサ開発チームへの参加を命じる辞令が届く。いわゆる抜擢人事だった。

 

「今思うと無謀だと思いますよ。だってわたし自身、プロセッサの論理設計の経験はありませんでしたから。たぶん人手が足りなかったのでしょうね(笑)」

 

90年代前半は、メインフレームのプロセッサにも大きな変化が訪れていた時代。半導体素子もECLから、より消費電力が小さく、高速化・高集積化に優れたCMOSへの移行期にあたる。

 

本人は謙遜するが、CMOSによる新たな汎用プロセッサを開発するにあたって、若くして論理設計の才を見出されていた本車田氏に白羽の矢が立ったのは、ごく自然なことだった。

 

「異動当初は課長とわたしの2人だけの組織でした。最初の半年ほどは知識をつけるための準備期間に充てるため、当時、プロセッサ開発を行っていた部署を一つ一つ回って過去の優れた設計図面を集めることから始めました」

 

設計の上達に近道なし。先達の仕事を見て、改めてそう痛感した

設計の上達に近道なし。先達の仕事を見て、改めてそう痛感した本車田氏

当初の目的はプロセッサ設計の基本を学ぶためだったが、古い回路方式をそのまま真似たところで技術的なブレークスルーは生まれない。

 

ただ、過去の図面から自分なりに仕様を起し直していく過程で、富士通が長年にわたって大切にしてきた、高信頼性・高可用性を基本とするものづくりのDNAを感じることができたのは大きな収穫だった。

 

「この時の開発目標は、従来ワンチップあたり1万5000ゲートのLSIを144個使って構成していたプロセッサを、一つのチップに800万個のトランジスタを詰め込み、かつ5つのチップでプロセッサを構成するというものでした。

 

ポイントはいかに回路の無駄をなくすかということになるのですが、それと同時に、先輩方が設計した図面の多くに、たとえ一部が壊れてもダウンさせずに動き続けるための仕組みが埋め込まれていることに気付いたんです。この経験で、お客さまに致命的なご迷惑をかけないものを作ることの大切さを理解できたように感じました」

 

無論、今日のプロセッサは当時とは比べ物にならないほどのトランジスタが集積されている。「京」に使われた『SPARC64TM VIIIfx』の場合、数にして約7億6000万個のトランジスタが1チップに収められていることを考えれば、当時の集積度は牧歌的にさえ見えるかもしれない。

 

しかし、いつの時代も制約に満ちた状況をいかに打開するかを考えることこそ、設計屋の醍醐味だと本車田氏は言う。

 

「当たり前のことですが、どんな回路も開発者が設計した通りにしか動かないものです。でも、テストしてみると期待値とまったく違う結果が出ることがあります。じゃあその違いはどこから来るのか。そんな風に考えを巡らせ、原因を追求する過程は、まるで推理小説の謎解きのような面白さがあるんです」

 

もちろん、要求されるスペックや開発条件は年々厳しくなっていく。

 

「でも、わたしにとってはプレッシャーより、面白い仕事を任せてもらえる喜びの方が、はるかに大きいんです」

 

「上司の指示を満たすのではなく、自ら正しいと思うスペックで開発せよ」

スパコン素人にも分かりやすく解説する本車田氏の言葉の端々に、長年プロセッサ開発に従事してきた経験がにじみ出る

スパコン素人にも分かりやすく解説する言葉の端々に、ベテランの経験則がにじみ出る

「京」開発プロジェクトにおいては、マネジャーとして設計の統括を行う傍ら、自らも設計者として『SPARC64TM VIIIfx』のキャッシュ制御を担当し、省電力化の実現に力を注いだ本車田氏。

 

最初のプロセッサ開発からおよそ20年。派生品を含めると10種のプロセッサ開発に携わってきた彼は今、富士通のプロセッサ開発を引き受ける次世代テクニカルコンピューティング開発本部の部長として辣腕を振るう。

 

「プロセッサの開発には莫大な開発費が必要です。『京』のような国家プロジェクト規模の開発といえども、その開発費の負担は非常に大きいものです。企業にとって、ビジネスとしての成功がなければ存続することはできません。そのため、ハイエンドな領域で培った技術力をUNIXやメインフレームビジネスに活かし、ビジネスを成功させることが大変重要です。ですからわれわれは、UNIX、メインフレーム、スーパーコンピュータ用のプロセッサを一つの部署で設計するという特色を持っているんです」

 

とりわけ「京」と互換性のある商用機は、国内の大学、研究機関はもちろん、オーストラリア、台湾をはじめとする海外への輸出も始まっている。

 

「TOP500で1位を勝ち取った際、京は29時間28分にわたって安定的に計算をし続けました。競合するコンピュータの多くが3~6時間程度だったことを考えると、京の信頼性は飛び抜けて高いと考えています。もし"記録樹立ありき"であれば、計算時間が短くても問題はないのでしょうが、実際の科学シミュレーションには膨大かつ長時間にわたる計算は必要です。"使える"スーパーコンピュータであるには、速度だけでなく安定性や信頼性も大事なんです」

 

もちろん、ビジネス上の成功の先にあるのは、再び「世界最速」の称号を手にすることにほかならない。2012年6月、首位陥落後の株主総会で山本正已社長も明言した通り、彼らが次に目指す高みは「エクサフロップス」(毎秒100京)クラスのスーパーコンピュータの実現にある。

 

「プロセッサの設計というのは面白いもので、設計を終えた段階では"やり切った"と思っても、少し時間が経つと『もっと小さくできたんじゃないか』とか『まだまだ無駄が削れた』と思うものなんですよ。それに、われわれ設計部隊には『上司の指示を満たすのではなく、自ら正しいと思うスペックで開発せよ』という、設計者自身の自主性と向上心を認める風土があります。裁量を与えてもらいながら世界のトッププレーヤーと渡り合える。設計屋にとってこんなに幸せな環境はありません。当然、今後も世界一を目指していきます」

 

エクサフロップスを目指すとなれば、信頼性、省電力性についても桁違いの要求が課せられることになる。おそらくプロセッサ設計のパラダイムも変わるだろう。

 

ムーアの法則をベースにした予想では、エクサフロップス級のスーパーコンピュータが世に出るのは2018年前後だといわれている。どんな解決策で事にあたるのか。首位奪還に向けた彼らの挑戦はこれから正念場を迎える。

 

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴

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