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FacebookとGoogle+の違いから、ソシアルな時代の「優秀な開発者」を定義する【連載:中島聡①】

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中島聡の「端境期を生きる技術屋たちへ」

株式会社UIEジャパン Founder
中島 聡

Windows95/98、Internet Explorer 3.0/4.0のチーフアーキテクトを務めた世界的エンジニア。NTTに就職した後、マイクロソフトの日本法人(現・日本マイクロソフト)に移り、1989年、米マイクロソフト本社へ。2000年に同社を退社後、UIEを設立。経営者兼開発者として『CloudReaders』や『neu.Notes』といったiOSアプリを開発している。シアトル在住。個人ブログはコチラ

 

こんにちは、中島です。この連載のテーマは「端境期を生きる技術屋へ」ということで、今回はさまざまな業界が変わりゆく中で最も成功を収めているテクノロジー企業の一つ、Facebookを切り口にお話したいと思います。

 

「マイクロソフトはエンジニアとMBAのDNAを持った会社、アップルはエンジニアとアーティストのDNAを持った会社、グーグルはエンジニアとサイエンティストのDNAを持った会社」

 

これは以前、梅田望夫さんの著書『iPadがやってきたから、もう一度ウェブの話をしよう』に掲載された一節です。本の中に梅田さんと往復書簡をやるコーナーがあり、そこでわたしが書いたものですが、この一文をきっかけに編集部からこんなお題をもらいました。

 

From GOIABA 「いいね」から生まれる個人と個人のつながりを、最大限に活かしたサービスを生んだFacebook

From GOIABA 

「いいね」から生まれる個人と個人のつながりを、最大限に活かしたサービスを生んだFacebook

「ならば、Facebookはエンジニアと何のDNAを持った会社なのか」

 

うまく一言で答えるのは難しいのですが、わたしが思うに、Facebookは「人と人とをつなぐ」というインターネットの持つ一側面を、誰よりも理解したサービス開発をしている会社です。だから、無理矢理言うとすれば「Facebookはエンジニアと『人と人をつなぐコネクター』のDNAを持った会社」ということになるかもしれません。

 

歴史を振り返れば、ネットで「人と人をつなぐ」という概念は、Web2.0が騒がれ出したころからありました。だから、Facebook誕生以前から米国には『Myspace』があったし、日本でも先行SNSがいくつも生まれていた。ただ、それらとFacebookの決定的な違いは、情報の発信源が誰なのか、どんな志向・属性の人なのかが最もフィーチャーされるアーキテクチャになっているという点です。

 

Facebookはあくまで実名ベースのものという点が、『Myspace』や『mixi』と違って世界中の大人たちのまっとうなコミュニケーションに使われ始めた理由の一つであるのは間違いないでしょう。それに、例えば『Myspace』の場合、基本設計は個人と個人がつながるSNSではあったけれども、いつの間にか「ほめられたい個人が自分をよりよく見せていくための場」、つまり一種のポピュラー・コンテストやオーディションサイトのようになってしまった。結果論ではありますが、『Myspace』は「人と人がつながる」というSNS本来の役割から、何かしらの事情で徐々に変質していったのです。

 

Google+不振の理由は、「神」になりたいという下心にあり!?

こう考えると、Google+がふるわない理由も、納得できるんですね。SNSとしてのそもそもの生い立ちが、少々いびつだからです。

 

「サイエンティストのDNA」を持つグーグルは、インターネット上のあらゆる情報を把握することで、サービスに結び付けようとしています。つい先日も『Google Drive』の利用規約が話題になりましたが、彼らはビジネス的な観点から、「クローラーが検索できない世界」が存在するのを嫌うのでしょうね。

 

Google+にも、それと似た思惑が透けて見えてしまう。自分たちのクローラーが届かない「とても私的な情報」を持つようになったFacebookに負けたくないから作った、という思惑です。わたしには、インターネット上の"神"になろうとしているかのようなグーグルの動きが、とても気味悪く感じてしまいます。

 

From Guillaume Paumier IPO申請時、「私たちはお金儲けのためにサービスを作っているのではなく、より良いサービスを作るためにお金を稼いでいる」と明言したマーク・ザッカーバーグ

From Guillaume Paumier 

IPO申請時、「金儲けのためにサービスを作っているのではなく、より良いサービスを作るために金を稼いでいる」と明言したザッカーバーグ

一方、Facebookのマーク・ザッカーバーグがIPOに際して株主に書いた手紙を読むと、彼らは今も、ビジネス的な成功より「人と人がつながる」サービスを作り続けるという純粋な動機を原動力にしている印象が強い。

 

以前、エンジニアtypeの「New Order」インタビューで「これから企業は、その会社が持つ"Why?"が問われるようになる」、「その"Why?"の部分に共感が得られてこそ、激しい口コミが生まれてビジネスが育っていく」と話しましたが、最近のグーグルは何事もビジネス先行型で、世界中の情報を掌握することだけに腐心しているように感じてしまう。Facebookとの違いは、まさにそこにあるのだと思います。

 

グーグルにとってのGoogle+が、「ネットの力で人と人とをつなげたい」というWhy?ではなく、「自分たちのサービスの土台となるログをもっと多く集めたい」というWhy?から生まれたものだとしたら、今後も困難が続くでしょう。

 

「誰と」「なぜ」コラボレーションするかで成果が著しく変わる

さて、こうした時代背景を前提に言うと、エンジニア個人も「想い」に忠実になって開発に臨む、もしくは想いを持つ人とのコラボレーションで開発に臨むことが、これからの時代にヒットサービスを生むための糧になると考えています。つまり、エンジニアとして頭角を表す一つの道になるわけです。企業ではいまだに「何でもデキる人」がもてはやされる面がありますが、もうそれだけではダメだということ。

 

実は今、想いを持つ者同士のコラボレーションの効果について、わたし自身が実感しているところなんです。きっかけは、羽根拓也さんという教育者との出会いでした。

 

From nooccar アップルが教科書事業に乗り出すこともあり注目度の高まる教育アプリ分野には、以前から中島氏も注目

From nooccar 

アップルが教科書事業に乗り出すこともあり注目度の高まる教育アプリ分野には、以前から中島氏も注目

ハーバード大学でアクティブラーニングという教育手法を研究・実践された後、人財育成や教育事業を営む会社を起業した羽根さんが、たまたまわたしのブログエントリ「ぜひとも起こしたい『教科書革命』」を読んで、共感して連絡をくださった。

 

結論を言うと、今この羽根さんとわたしとで、スマートフォン向けのある教育アプリの制作を進めています。なぜわたしがこの仕事を始めたか。それは互いの想いが共鳴したから。それだけです。

 

もしも羽根さんが「こういうソフトをいつまでに○○○万円で作ってほしい」とおっしゃっていたら、こうはならなかったでしょう。2人で話したのは、「既存の教育アプリは『自分で学習する』ためのツールでしかなかった」、「そうじゃなくて、いつもポケットに先生がいて、その先生とマンツーマンで『一緒に勉強できる』ようなツールがあったらいいね」ということだけです。

 

正直なところ、「ポケットの中に優秀な先生がいる」状態を完ぺきにつくり上げることができるのは、10年先か、それ以上かかるかもしれません。でも、この「ポケットに先生を」という想いは素敵な"Why?"だから、わたしはいつの間にか夢中になって制作を始めていました。

 

最近は、朝4時くらいに起きてプログラミングしていますし、時差があってなかなか直接コミュニケーションが取れないにもかかわらず、とても良い勢いで開発が進んでいます。「想い」が一致する人と出会い、遠くにあるゴールに向かって一緒に走れる環境こそ、技術者の発想とモチベーションを最大化させるということなのでしょうね。

 

ちなみに、わたしと羽根さんの関係がそうであるように、想いをともにする相手は上司と部下、同僚たち、ビジネスパートナーである必要なんてどこにもないのです。その昔、創業者がいたころのパナソニックやソニーは、きっと上司・部下という役職や、技術者や営業マンといった違いも関係なく、同じ想いを胸にゴールに向かって走っていたんじゃないかと思います。

 

仮定の話ではありますが、もしも今、わたしがソニーの社長になれたら、「AIBOの開発を再開しよう」と言うでしょう。理由は、あのロボットを完成に向けていく未来に、何かものすごく大きなゴールがあったように思えるから。それに、「AIBOを復活するよ」と宣言したら、想いに共感する優秀な人材が社内外から集まってきてくれる、と思うからです。

 

想いに共鳴できる人とのコラボレーションが、イノベーションを促進する。たくさんのエンジニアに、そういう体験を早く積んでほしいですね。

 

撮影/竹井俊晴(人物のみ)


ソフトウエアエンジニアがUX/UIを考える上で読むべき4冊の良書と名言たち【連載:五十嵐悠紀⑭】

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天才プログラマー・五十嵐 悠紀のほのぼの研究生活
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筑波大学  システム情報工学研究科  コンピュータサイエンス専攻  非数値アルゴリズム研究室(NPAL)
五十嵐 悠紀

2004年度下期、2005年度下期とIPA未踏ソフトに採択された、『天才プログラマー/スーパークリエータ』。筑波大学 システム情報工学研究科 コンピュータサイエンス専攻 非数値アルゴリズム研究室(NPAL)に在籍し、CG/UIの研究・開発に従事する。プライベートでは二児の母でもある

 

何か製品を考える時、そのものがカタチのあるものであっても、はたまたコンピュータの中で動くソフトウエアだったとしても、「ユーザーインターフェース(以下、UI)」について考える必要があります。さらには、わたしたちが日常生活においてストレスなく過ごせている裏側には、さまざまな人によって考えられてきたUIデザインが隠されていたりもします。

わたしは滞在先のホテルで、洗面所に入ったものの出ようとした時に扉があかなくて困ったことがありました。鍵は掛かっていないし、建てつけが悪くて開きにくいのかと何度も押したり引いたりしてみましたが全然開きません。中からドンドンドン!と扉を叩いて部屋にいる家族を呼び開けてもらうと、実はその扉は引き戸だったのです。

##

写真のような取っ手だと、つい「押したり引いたり」してしまう。この潜在意識を起こさせているのも、UIの存在なのです

それは、取っ手がこのような形状だったため、「押すか引くかだと思い込んでしまった」わけで、わたしは引き戸だとは思わなかったのです。

このように人間が「押したり引いたりしたくなるような取っ手」と、「スライドしたくなるような取っ手」があることが分かります。

日常生活をしていると気付かない至るところに、多くの人が考えてきたUI設計が隠されています。

初めて手にする人でもスムーズに使いこなすことのできるような設計をするために知っておくと良いこと、ノウハウなどもあります。

先ほど、ドアノブの例を挙げましたが、ソフトウエア開発でも同様で、UIデザインは欠かせません。例えば、ソフトウエアを閉じようとするとどのような表示が出るでしょうか?編集中のファイルであれば、「保存しますか?」という画面が出て、そこには「はい、いいえ、キャンセル」が並んでいます。それではこの順番が異なると使い勝手はどうでしょう?この並び順も一種のデザインです。

今回は、そんなUIデザインを考える上で、ソフトウエアエンジニアにとってもためになるであろう4冊の著作を、書籍内の印象的な言葉とともにご紹介しようと思います。

UI/IXのバイブル的一冊

「誰のためのデザイン?」(著者:D.A.ノーマン氏)
"人が技術を使うときに困ったことがあると自分を責めがちである"

D.A.ノーマン氏は本書で、「ヒトが技術を使う時、システムの操作を誤ってしまったり、使い方が覚えられなかったりすると自分自身を責めてしまいがち。しかし、『悪いのはデザインである』」と指摘しています。

わたし自身、開発途中のシステムを用いたユーザー評価実験で「UIがわかりにくい」、「コンピュータでいろいろデザインしたものの保存がしにくい」、「ペン入力での操作方法が覚えられない」といった事態が起きた時に、わたしは「このシステムで操作しづらいところがあれば、それはこのシステムを作ったわたし自身の責任です。使えない!使いにくい!という部分があったら、遠慮なく指摘してください」と必ず伝えるようにしています。

この本はUI/UX分野のバイブルでもあり、すでに読んだことがある人も多いかもしれません。本書では、身近なものに隠されたUIデザインにおけるさまざまな問題点について、認知心理学者的視点から考察・分析をしています。ユーザーにとって良いデザインとは何か、を考える上で普遍的な要素がたくさん詰まった良書です。

「設計・開発に重要なのは"骨"」を伝える一冊

「デザインの骨格」(著者:山中俊治氏)
"形を描こうとしてはいけない。構造を描くことによって自然に形が生まれる"

本書はプロダクトデザイナーである山中氏によるblogをエッセイ集としてまとめたものです。山中氏はプロダクトを新しくデザインする時には製品を分解して、骨格の理想形を探ったりもするそうで、まさに「骨格を知る」を体現されています。

「骨格を知る」ことが大切なのは製品だけではありません。同書では、"大切なものを言葉で表現するために、あいまいさや誇張を排除していくと、ドンぴしゃの言葉に行きあたる。この時この言葉がプロジェクトの骨である"とも述べられています。

わたしは小さい頃から文章を書くのが好きでしたが、父に見せると必ず「骨子は何だ?」と聞かれていました。このような「骨」の考え方は、ソフトウエアデザイン、UIデザインなどにも当てはまる考え方だと思います。

設計・開発をしていると、あれもこれもと機能をつぎ込みがちになることもありますが、それではダメ。何が一番大事か、つまり「骨は何か」を常に意識する必要があります。そして、その「骨」を目立たせるためにはあえて切り捨てる必要もあります。

「ユーザビリティとは何か」を読み解く一冊

「ユーザビリティエンジニアリング」(著者:樽本徹也氏)
"ユーザビリティはシステムや製品が完成してから付け足すものではありません"

本書では、技術優先の考えや作り手の勝手な思い込みを排除して、ユーザーの視点に立って設計を行う、ユーザー中心設計(UCD: user centered design)という手法について言及しています。

ユーザー中心設計とは、ユーザーから出される「こんな機能がほしい」「この部分を変更してほしい」といった不満・要求に応えることではありません。設計者自身がユーザーを観察したりインタビューしたりして、ユーザーの具体的な利用状況を把握した上で、潜在的なユーザーニーズまで探索したりすることを言います。設計段階からユーザビリティを考慮することが大事です。

この本には「ユーザー調査とユーザビリティ評価実践テクニック」という副題が付いており、ユーザー調査・評価のためのテクニックが具体的な例と共に記載されているのでその点からも参考になる一冊です。ユーザー調査・評価は、一般的に多くの時間やコストが掛かるものであり、やり直しもなかなか効きません。各章ごとに参考文献リストが付いていますので、自分に必須のところだけ深く掘り下げて調べるのにも便利でしょう。


分野を超えた知識力・対応力の必要性を教えてくれる一冊

「Designing for Interaction (インタラクションデザインの教科書)」(著者:Dan Saffer、訳:吉岡いずみ)
"各研究分野のスペシャリストが一人ずつ、組織内に必要なわけではない。大切なのは専門知識であって、肩書ではないのだ"

インタラクションデザインは、UXデザインやUIデザインのほかにも、ユーザビリティ工学、工業デザイン、コミュニケーションデザイン、ヒューマンコンピュータインタラクションなど......、さまざまな分野で考えられてきました。

これらの専門分野はどれも比較的新しい分野でお互いの境界線がはっきりしているわけではありません。つまり、必要に応じていくつかの分野にまたがって仕事をする知識・応用力が求められているということです。

本書では、インタラクションデザインにまつわる法則や、基礎的技術・要素など、まさに"教科書"として一通り勉強するのに適した内容が盛り込まれています。上に挙げた以外にも認知学,心理学といった分野も関係してきますし、それらの分野にある程度精通していないと他者と仕事をする際には効率的に作業できないといったことも起こってきます。

良書に出会い、「開発をデザインできるエンジニア」に

今回ご紹介した本は、多くの本の中から特にソフトウエア設計に携わる人、評価をして設計にフィードバックする人に有意義な名言をピックアップしてみました。

「それぞれの分野の境界線がはっきりしていない」と上記で述べましたが、このような境界領域・複合領域で仕事をする上で大事なことは、たくさん勉強することと、いろんな人と一緒に仕事をすること。これがより良い仕事につながるとわたしは考えています。

「もっとUI/UXに関する勉強をしたい」という方がいらっしゃれば、Amazonなどで検索をすると、今回ご紹介した本に近い本も出てきますので、きっと自分の感性や世界観を変える一冊に巡り合えると思いますよ。

『PostPet』産みの親に聞く、時代に先駆けたソーシャル・コミュニケーションの作り方 【連載:匠たちの視点-八谷和彦】

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「ネット上に綴られたさまざまな人の日記を集め、時系列に沿って読む」。これは、今われわれが慣れ親しんでいるTwitterの話ではない。さかのぼること約17年前、100人のユーザによる100日間限定で実施されたあるアート・プロジェクトの話だ。

 

「『メガ日記』っていうんですけど、このプロジェクトを実施したのは1995年のことで、ちょうど阪神淡路大震災が起こった年でした。震災直後からネットの掲示板には、被災者の経験談が上がり始めていて、それらを読んだ時、燃えさかる街の空撮映像以上に震災のリアリティを感じた。それがこのプロジェクトをやろうと思ったきっかけです。

 

見ず知らずの人の生活がうかがい知れる日記を、ネットを通じてたくさん集めることで、何を感じるか。それが知りたくて始めました」

 

この企画の発起者であり、中心人物である八谷和彦氏は、『風の谷のナウシカ』に登場する一人乗り飛行装置『メーヴェ』を実際に飛べるジェットグライダーとして制作するプロジェクト『OpenSky』など、多様なアプローチで作品づくりを行うメディア・アーチストとして知られる。

 

東日本大震災後、注目を集めた『うんち・おならで例える原発解説』も、八谷氏の発信した作品から生まれた

東日本大震災後、注目を集めた『うんち・おならで例える原発解説』も、八谷氏の発信したtweetから生まれた

最近では、福島第一原発事故直後、放射線にまつわる正確性が乏しい情報が錯綜する中、『うんち・おならで例える原発解説』をTwitterで発表。有志により動画化されるなど大反響を呼んだのは記憶に新しい。

 

「『メガ日記』を100人、100日間限定の活動したのは、長文におよぶこともある日記があまりに増えると読み切れないと思ったから。このプロジェクトのずいぶん後にTwitterが出てきた時、140文字の文字数制限は本当に絶妙だと思いましたね。あれならたくさんの人の日記が読めますから。ただ、当時は『日記』がこれほどのビジネスになるなんて考えもしませんでしたけど」
 

プロフィール

メディア・アーチスト
八谷和彦氏

1966年生まれ。九州芸術工科大学卒業後、CIコンサルティング会社を経てメディア・アーチストに。代表作は『視聴覚交換マシン』や『見ることは信じること』、『PostPet』、『OpenSky』など。現在はアーチスト活動と並行して株式会社ペットワークス取締役兼航空事業部部長、2010年からは東京芸大先端芸術表現科准教授も務める

「夢」から得た着想を、ソーシャルの力を借りて形に

八谷氏が、メディア・アーチストとして活動を開始したのは、九州の芸術大学を卒業し、CIコンサルティング会社に在職していた1991年のこと。当時まだ無名だった演出家の松尾スズキ氏や、現代美術作家の村上隆氏などのインタビュービデオを個人放送するプロジェクト『SMTV』や、『視聴覚交換マシン』、『Light/Depth』など、作品制作を通じてメディア・アートの世界に急接近していった。

 

「スケートボードで乗るパブリックアート『Light/Depth』」など、独自の世界観でモノづくりをしてきた八谷氏

「スケートボードで乗るパブリックアート『Light/Depth』」など、独自の世界観でモノづくりをしてきた八谷氏

しかし、当時はまだサラリーマンと二足のわらじを履く『兼業アーチスト』。そんな八谷氏に転機が訪れたのは、1995年のことだった。

 

「この年、ジャパンアートスカラシップという賞を受賞しまして、制作資金として1000万円をもらったんです。そのころはまだ、外注を使って作品づくりをする技術も経験もなかったので、平日は会社員、土日はアーチストという生活でした。このままだといずれ両立が難しくなる思っていた時の受賞でしたので、思い切って退職することにしたんです」

 

賞金は制作資金以外には使えないという制約もあったため、失業保険と貯金で食いつなぎながら、1995年『WorldSystem』を完成させ、公開にこぎつける。ちょうど前述の『メガ日記』と同時期のことだった。

 

そしてこの直後、八谷氏の名前を一般に知らしめるプロジェクトが動き始める。それが、後に多くのユーザを獲得する『PostPet』だった。

 

「理系と芸術系が一つになったような大学で学んでいたことと、CIコンサルティングの会社でプランナーだったバックボーンを活かすプロジェクトとして、いつかソフト開発に取り組みたいと思っていました。当時はまだインターネット黎明期で、使いやすいメーラーはありませんでしたから、この分野なら何か面白いことができるんじゃないかとやることにしたんです」

 

(c)So-net Entertainment Corporation 90年代後半から2000年代初頭に一世を風靡した『PostPet』は八谷氏の見た夢から生まれた

(c)So-net Entertainment Corporation

90年代後半から2000年代初頭に一世を風靡した『PostPet』は八谷氏の見た夢から生まれた

そもそも『PostPet』の着想は、八谷氏がある晩見た、『テディベアがメールを運ぶ』という夢が原点になっている。その夢の話を『メガ日記』プロジェクトの期間中、八谷氏が情報交換に使っていた掲示板に書き込んだところ、周囲が面白がり『PostPet』誕生の引き金になった。

 

実は、後にメインキャラクター『モモ』のデザインを手掛けることになる真鍋奈見江氏も、『メガ日記』の参加者であり、その掲示板のユーザだったことから、期せずして『メガ日記』が『PostPet』の産みの親の役割を果たした格好になる。

 

90年代から常識にとらわれずアジャイル的開発を実践

時代を先取りして、最近注目のコワーキング的な働き方をしていた八谷氏のチーム

時代を先取りして、最近注目のコワーキング的な働き方をしていた八谷氏のチーム

「開発には、デザイナー真鍋に加え、当時IMJに在籍していたプログラマーの幸喜俊(こうきたかし)、そしてわたしの3人で行うことになりました。あまり大人数で動くつもりもありませんでしたしね」

 

八谷氏は、『PostPet』をゲームとアプリケーションの要素を併せ持つメーラーと位置づけ、企画書を携え売り込みを掛けたところ、最終的にこの企画に目を留めたのがISP事業を立ち上げたばかりのSo-netだった。

 

「恐らく、愛嬌のあるキャラクターが、親しい友人たちに『勝手に』メールを送るという面白さが、会員獲得のためのコンテンツとして評価されたんだと思います。ただ、契約できたのはよかったのですが、当時はまだ僕らはフリーの集まり。オフィスも持っていなかったので、開発に加わった幸喜が所属していたIMJに間借りする形で開発を進めることになりました。期間はおよそ8カ月ぐらいでしたね」

 

そして1997年1月、『PostPet for Macintoshβ版』をリリース。ユーザの多いWindowsではなくMac向け、それもβ版としてリリースしたのは、当時はまだ対応アプリケーションが少なかったことや、新しモノ好きのMacユーザならバグフィックスにも喜んで協力くれるだろうという読みもあったからだ。

 

「プロバイダごと異なるメールサーバの挙動を、あらかじめ調べてからリリースする余裕が僕らになかったというのが本音です。今でこそ、β版を出してユーザーに使ってもらいながら少しずつ修正していくスタイルは当たり前ですが、あのころの常識からすると相当珍しいことでしたね。当時から少人数のアジャイル的なスタイルで開発していたので、自然とオープンなやり方になっていたのかもしれません」

 

その後『PostPet』は、会員制サイトの『PostPet Park』オープンやWindows版リリース、β版から1.0、1.1とバージョンを重ねながら、着実にユーザー数を増やしていく。そして、最初のリリースから10カ月後には、『マルチメディアグランプリ通産大臣賞』受賞、同じ月に発売したパッケージ版の『PostPetDX』は13万本。翌1998年に発売した『PostPet2001』に至っては、87万本の売上を記録。文句なしの大ヒットだった。

 

個人参加が可能になった航空・宇宙分野に深い関心を傾ける

 

八谷氏はこれまでの自分を振り返って、「会社を辞めた時にもらった賞にしても、狙って獲れるものではないし、『PostPet』も最初は受け入れられるかどうか分からなかった。運には相当恵まれた」と話すが、もちろんそれだけで乗り切れるほど甘い世界ではない。

 

「僕にはアーチスト、経営者、大学教員としての顔がありますが、その土台になっているのはプランナーとしての資質なんです。次にリリースするソフトのキャラ設定はもちろん、営業的に考えてこの会社と組めばイケるんじゃないかとか、次に取り組むべきテーマを探したり実現したりするのもそう。今これを作ったら面白いとか、これを作るべきだという判断は、一見アーチスト的に見えるかもしれませんけど、僕としてはプランナーの視点で判断している。そういう意味で、計算高いと言えるかも知れませんね」

 

もう一つ、八谷氏の行動を規定するものがある。それは、「一緒にいて面白いと感じるメンバーと行動を共にする」ということ。これが、ハードワークの中でも楽しく仕事をする秘けつだ。

 

「もともと僕らは会社を大きくしようとは思っていませんでしたし、どこかから投資を受け入れ、キツい思いをして売り上げを増やすくらいなら、自分たちのコントロールが利く範囲で楽しいと思える仕事だけをしていく方を選ぶ。ですから、なるべく小さなユニットで仕事がしたいですし、一緒に仕事をする人は知り合いの中から『これは』という人にしか声を掛けないようにしています」

 

そんな八谷氏が今最も注目しているのが、航空・宇宙分野だという。前回この連載に登場した牧野一憲氏や堀江貴文氏も所属する『なつのロケット団』や、「野生の研究者」(八谷氏)が集う『ニコニコ学会β』に手弁当でかかわるのも、こうした関心ゆえのことだ。

 

「今、世界的に『オープンソース・ハードウエア』や『パーソナル・ファブリケーション』の世界が盛り上がっていることもあって、航空・宇宙分野にはとても面白い人が集まっています。今のところ、あまりお金の匂いはしませんが(笑)。ただし、この世界には明らかにフロンティアがある。未開拓の荒野を旅するのって、やっぱり面白いものですね」

 

八谷氏の関心は技術的な興味だけに留まらない。プランナー的視点でこの分野を見直すと別の側面も見えてくる。

 

「ひょっとしたら、航空宇宙分野が日本の地方を救う可能性があるな、とも思うんですよ。日本には高度な加工技術がありますし、地方には広大な土地があるけど産業が乏しい。個人が参加する航空・宇宙分野は、この2つを組み合わせた地方振興のカギになると思うんです。まだまだロケット1つ打ち上げるのも、規制が多くて大変ですけどね」

 

困難さえプロセスとして楽しむ。そんな八谷氏の歩みは、われわれのあずかり知らぬところで、すでに次のステップに向かい始めているようだ。果たしてそこから何が飛び出すのか。もしかしたら、そうした期待感に胸を膨らませているのは、われわれよりむしろ八谷氏本人の方なのかも知れない。

 

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴

平鍋健児氏&Niigata.pm主宰者に聞く「地方で開発」のリスク分散法-カギは情報発信にあり【特集:脱・東京で働く】

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最近、プログラマーやクリエーター、コンサルタントやプランナーといった仕事に携わる人々の間で「ノマド」、「コワーキング」というワークスタイルが話題になっている。いずれも特定のオフィスに縛られず、その時々の状況にあった場を自律的に選択する働き方だ。

 

こうした働き方は、テクノロジーの進展、つまりPCやスマートデバイスがかつてないほど高性能かつコンパクトになったこと、また無線ブロードバンドや各種クラウドアプリケーション、ソーシャルネットワークの発達があってはじめて可能になった。

 

これにより、首都圏ではなく地方へ拠点を移して開発に勤しむ企業・個人も増え始めている。

 

テクノロジーの進展が企業を東京から解放しようとしている

例えば、ゲーム開発会社の空想科学は、昨年の震災以降、電力不足による事業継続性の懸念もあって、本社を埼玉県から奄美大島に移転。また『グランツーリスモ』シリーズで知られるポリフォニー・デジタルやソーシャルゲーム開発のgumiは、リスク分散と成長著しいアジア市場への窓口として、福岡に開発拠点を開設したことが業界内で大きな話題となった。

 

採り上げた企業にゲーム会社ばかりなのは、受託開発とは異なり開発者自身がユーザーと直接折衝する業種ではないこと、また、大がかりな生産設備を必要としないため、地方への拠点移転が比較的容易であることが理由として挙げられるだろう。そこに震災以降の高まったリスク分散志向と、デジタルツールの発達、高速な無線・有線通信網の整備という条件が整った。

 

デバイスのみならずインフラや通信、セキュリティー技術などの進歩が、エンジニアを「デスク」から開放した

デバイスのみならずインフラや通信、セキュリティー技術などの進歩が、エンジニアを「デスク」から開放した

今後、「ノマド」や「コワーキング」がオフィスから個人を解放したように、多くの業種・業態の企業が東京を中心とした大都市から解放される可能性がある。

 

もちろん、こうしたテクノロジーと通信インフラの発達は、"地方志向"のエンジニアに恩恵を与えることになる。フリーであれ会社勤めであれ、どこに暮らしていてもエンジニアとして活躍できる可能性が出てくるからだ。

 

エンジニア自身はこうした環境下にあって、これからの自分の働き方についてどう考えているのか。エンジニア56人に採ったミニアンケートから紐解いていこう。

 

「知ってはいるがよく分からない」多様化するワークスタイルの実態

今月、エンジニアtypeが行った『地方移住、ノマド、コワーキング...技術者の「働き方」についての意識調査』(20代~50代技術者へのアンケート調査/調査期間5月18日~21日の4日間/有効回答数56)によると、ノマドワーク、コワーキングに興味があると答えた技術者はそれぞれ62.5%と41.1%。首都圏以外で働くことに興味があるエンジニアは、それらを上回る75.0%という結果になった(下図参照)。

 

<ノマド、コワーキング、地方移住へのあこがれ度は...?>

『エンジニアtype』技術者の「働き方」についての意識調査』(ネットアンケート調査/有効回答数56)

『エンジニアtype』技術者の「働き方」についての意識調査』(ネットアンケート調査/有効回答数56)

 

ただ、いずれの項目についても、実践、もしくは実践に向けた取り組みをしている人の数は、興味を持っている人のうち約2割強ほど。潜在的な関心はあっても、実行に踏み出せない事情があるようだ。その理由はどこからくるのだろうか。

 

地方移住をする際、障害となりうる不安要素として挙げられたのは、主に「仕事(求人)の少なさ」、「交通の利便性の悪さ」、「生活基盤への懸念」など。一方、ノマドワーク、コワーキングについては、「離席が困難な業務に就いている」、「会社の理解が乏しい」、「セキュリティ上の問題」など、職場環境にまつわる制限や懸念を理由に挙げる回答が大勢を占めた。

 

また、ノマドワークやコワーキングに関しては、「具体的に何をすべきか分からない」など、認知度の低さを伺わせる回答も少なからずあった。

 

これらの結果から透けて見えるのは、さまざまなメディアを通じて働き方の多様化が叫ばれてはいるものの、まだまだ旧態然とした労働環境に縛られているエンジニアが大多数を占めているということだろう。それと同時に、いずれも漠然としたイメージが先行するばかりで、新しい働き方に対する具体的な挑戦方法が周知のものになっていないという課題が浮かんでくる。

 

では、すでに「脱・東京」を果たして地方で働くエンジニアは、自らの経験を通してこの状況をどう見ているのか。Niigata.pmの主宰者であるフリーランス・プログラマーの丸山晋平氏と、アジャイル開発のエバンジェリストとして名高い平鍋健児氏の2人に話を聞いた。

 

>> Niigata.pm主宰者・丸山晋平氏の「脱・東京」体験談に続く
>> 平鍋健児氏の「脱・東京」体験談はコチラ

 

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「脱・東京」の実践者①

フリーランス・プログラマー Niigata.pm主宰者
丸山晋平氏

1984年、新潟県長岡市生まれ。2006年に早稲田大学第一文学部を卒業後、東京で約5年間スマートフォンアプリのサーバサイド開発に従事。2011年新潟市に転居。現在はリモート開発環境を整え、新潟からスマホ向けアプリ開発を行う東京のスタートアップ企業の開発に携わる

仕事は「地元就職」以外にも見つけ方がある

都内でソフトウエア開発会社に勤めていた丸山氏は、通勤時間の長さと人の多さにうんざりし始めていた。

 

大学入学を機に、新潟県長岡市から上京して約8年。勤務先ではスマートフォンアプリのサーバサイド開発を任され充実感を感じてはいたが、この先も東京で暮らし続けるイメージはどうしても持つことができなかった。

 

「街の魅力でいえば、東京は今でも大好きな場所です。ただ、住み続けるとなると話は別でした。新潟に戻ってもいいかなと思い始めたのは26歳のころ。それから1年ほど経ち、たまたま新潟市内に家が見つかったこともあって、思い切って東京を離れる決心を固めました」

 

<参考資料>「脱・東京」希望者が地方で働きたい理由(複数回答) 

『エンジニアtype』のアンケートでも、地方移住を考える人の理由TOP3は「生活費」「通勤短縮」「自然を含めた環境の良さ」だった。丸山氏と同じような願望を持つ人は案外多い

『エンジニアtype』のアンケートでも、地方移住を考える人の理由TOP3は「生活費」「通勤短縮」「自然を含めた環境の良さ」だった。丸山氏と同じような願望を持つ人は案外多い。あとはどう仕事を見つけるかだが......

 

とはいうものの、この時点で次の仕事のアテがあったわけではない。新潟へ転居する準備を進めながら、これからの身の振り方を考えあぐねていたころ、たまたま東京で長年世話になっていた知人から「会社を立ち上げたので開発を手伝ってくれないか」という誘いを受ける。

 

「事情を話したところ、『新潟からリモートでかかわってくれればいいよ』ということでしたし、仕事内容も前職と同様、サーバ側の開発でしたから引き受けることにました」

 

これにより、向こう1年程度の仕事量が確保できたため、転居にまつわる不安が一つ消えた。任せられることになったのは、スマートフォン向けメッセンジャーアプリのバックエンド開発とサーバの管理。負荷分散の仕組みをどう設計すべきかなど、チャレンジングな仕事を任されているという実感がある。

 

丸山氏の自宅での仕事風景。サーバ運用・管理の仕事も、今ではリモートで行える時代に

丸山氏の自宅での仕事風景。サーバ運用・管理の仕事も、今ではリモートで行える時代に

「正社員ではありませんが、一応フルタイムでコミットさせてもらっています。リモート環境での開発・運用も、特に不都合はないですし、そもそも好きな仕事に携われているので不満はないですね」

 

ただ、これですべての不安が解消されていたわけではない。東京から新潟に行くことで、技術的な刺激が少なくなるのではないかという不安は、転居後しばらくの間つきまとっていたという。

 

「一生プログラマーでいたいので、技術力を高められる環境に身を置くことは重要なんですが、それをどうやって新潟で実現するか、正直不安でした」

 

今、IT・Web業界は空前の勉強会ブーム。しかし、そのほとんどは人口が多い都市圏での開催だ。もちろん、地方でもネット経由でプレゼン資料や当日のレポートを見ることはできるが、実際に参加する醍醐味とは比べようもない。

 

「それで思い立ちました。自分で場を作ればいいんだって」

 

「技術でつながり、学べる仲間」は意外なほど多かった

そんな時、かつてYokohama.pm(pm=perl mongers)やHachioji.pmに参加したことが頭をよぎった。「せっかく新潟に行くんだから、自分がNiigata.pmを立ち上げればいいじゃないか」。そのことに気付いた丸山氏は、さっそく行動を開始する。

 

「活動を始める前はなかなか見つけられなかったのに、Niigata.pmを立ち上げたら、意外なほど面白いエンジニアが集まってくれたのはうれしかったですね。この活動を通じて、NDS(長岡開発者勉強会)の方々や、長岡技術科学大学の学生さんたちともつながりが持てたのは大きかったと思います。商売っ気があまりない分、かえってトンがってる技術者が多いというのも、こちらに来るまで気付かないことでしたね」

 

2011年の『YAPC::Asia』で講演した際の一コマ。地方でコミュニティーを立ち上げた成果の一つでもある

2011年の『YAPC::Asia』で講演した際の一コマ。地方でコミュニティーを立ち上げた成果の一つでもある

今後は地元で知り合った仲間たちと、勉強会やハッカソンを通じて活動を場を広げていくつもりだが、こと仕事に関していえば、東京からの発注に依存している状態。新潟で自分の得意とする開発案件を得るには、もうしばらく時間がかかりそうだ。

 

だからこそ、東京を離れようと考えている人には「リスクがあることも知ってほしい」と丸山氏は訴える。

 

「地方でフリーランスになってみて分かったのは、会社員と比べ制約が少なくなる一方、新たに生じるリスクもあるんだということ。僕の場合、自分にあった仕事にかかわれている反面、もし今の仕事がなくなっても、何の保障もないというリスクがあります。今仕事をもらっている会社がもっと大きくなったら、同じワークスタイルで働けるか分からないという別の不安もある。最近、ノマド的な働き方がもてはやされていますけど、何らかのリスクがあることを知った上で取り組むべきでしょうね」

 

「リスクをとってまでやる価値があるかどうか」。それが試金石になると丸山氏は見ている。では、そのリスクをどう見極め、どう軽減していけばいいのか。

 

答えの一つは、福井県を拠点に活動する平鍋氏の話にあった。

 

>> 平鍋健児氏の「脱・東京」体験談に続く

 

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「脱・東京」の実践者②

株式会社チェンジビジョン 代表取締役社長/株式会社永和システムマネジメント 副社長
平鍋健児氏

1989年、東京大学工学部を卒業後、3次元CAD、リアルタイムシステム、UML+マインドマップエディタastah*(旧JUDE)などの開発を経て、オブジェクト指向技術、アジャイル型開発を実践するコンサルタントとして活躍中。現在、福井県大野市在住。ソフトウエア開発手法やアジャイル関連の翻訳書や著書を多数持つ

福井に移って実感した、自ら情報発信することの大切さ

今から15年ほど前、東京で3次元CAD開発に携わっていた平鍋氏は、第1子の誕生を控え大きな決断をしようとしていた。

 

「これから産まれてくる子どもを、果たしてどこで育てるべきか。そう考えた時、ふと頭に浮かんだのは故郷である福井の自然でした」

 

法政大学幸福度指数研究会が2011年に発表したこのランキング(出典はコチラ)では、福井県が1位という結果に

法政大学幸福度指数研究会が2011年に発表したこのランキング(出典はコチラ)では、福井県が1位という結果に

幼いころ、父親に連れられて遊んだ美しい川の流れや、秘密の場所に仕掛けた蜜に群がるカブトムシ......。「東京から福井に生活基盤を移そう」。それが平鍋氏の下した決断だった。

 

転職活動を始めた直後、現在、副社長を務める永和システムマネジメントとの出合いが訪れたことで早々に転職先も決まり、故郷の実家に移り住むことになった。

 

しかし、転居の日から数カ月も経たないうちに、家庭人としての満足感とは裏腹な感情がこみ上げてくるのを感じずにはいられなかった。

 

「福井で暮らして始めて感じたのは、想像以上の『単調さ』でした。東京での仕事していた時よりすっかり落ち着いてしまって、このままパッとしないエンジニアとしての僕の人生は終わっちゃうんじゃないか。そんな風に考えたこともありましたね」

 

自宅と職場を往復するだけの日々。この時感じた、えも言われぬ焦燥感が、やがて「東京に行って何かしなければ」、「外に向かって発言しなければ」という意識に転化していく。エンジニアとして学び続けたいという気持ちと、外部とのつながりを持ちたいという気持ちが、平鍋氏を新たな行動に駆り立てたのだ。

 

「自分でも不思議だと思いましたね。だって、東京から福井に引っ込んだことで、かえって意識が外に向いたわけですから。もしあのまま東京に居続けたら、そんなこと考えもしなかったんじゃないでしょうか」

 

平鍋氏が立ち上げた、『オブジェクト倶楽部(通称オブラブ)』。この活動で、多くの有名エンジニアを輩出

その直後から、本業である受託開発のかたわら、前職時代から取り組んでいたオブジェクト指向を詳しく解説するためのWebサイト『オブジェクト倶楽部』を開設。

 

さらに、XP(eXtreme Programing)やアジャイル開発など、最新の技術動向にも関心を寄せ続け、社外への発信活動を進めた。

 

その結果、次第に福井から東京へ出向いての勉強会企画や講演活動、執筆活動にも精力的に取り組むようになっていった。

 

「あの時『ちょっと待てよ』、『このままでいいのか』って感じなければ、まったく違った人生になったでしょう。最初はあくまでも個人的なモチベーションで始めたことでしたが、今では会社のビジネスにも貢献するようになりました。外に向けた活動を通じて出会った仲間も増えましたし、東京に出る機会も増えた。やはり、行く先々で新しい技術に取り組んでいる意識の高い方々に会えるのが東京のスゴいところでしょうね。こればかりは、いくらテクノロジーが進んでも変わることはないと思います」

 

顧客折衝と信頼関係の構築だけは、ネットで代替できない

最近は高速通信回線も整備され、Skypeなどコミュニケーションツールが発達したことで、ずいぶん仕事は便利になった。しかし、「どうしても対面でなければならない場面はある」と平鍋氏は考えている。

 

「それこそ勉強会に出席して感動を覚えるような体験は、実際に足を運んでいるからこそ感じるもの。これはわたしが長年携わってきた受託開発もそうで、契約前のネゴシエーションや折に触れて行われる重要なミーティング、そしてトラブル発生時の対応など、どうしても対面でなければならない場面は、これからも少なからず残ると思います」

 

相手の顔色や表情を読むこと、逆に感情や誠意を相手に伝えることも、大事なコミュニケーションの一つ。「これをすべてオンラインで代替できるとは思えません」と平鍋氏は続ける。

 

今回行ったアンケートで、地方移住を希望する人のポジション別割合がこれ。ポジションが高いほど割合が減っていくのは、平鍋氏が指摘する「仕事の種類」が関係している!?

だからといって、平鍋氏はノマド的な働き方を否定しているわけではない。自分一人で生産性を上げることに注力できるような仕事は、むしろノマドワークの方が向いていると話す。

 

「今は開発者個人とその周りの開発者のコミュニケーションをサポートするツールはたくさんありますし、ソーシャルコーディング環境も出てきていますしね。ただ、こうしたツールや環境を使ってノマドワークを実践するにしても、仕事を適切に機能させるには、顧客と直接対面しながらでないと難しい合意形成のプロセスにどう取り組むべきか、あらかじめ考えておかなければなりません」

 

この課題はツールが発達しても必ず残るはずで、もし自分一人でできないのであれば、ほかの人に担ってもらえるような仕組みを整えておいた方が良いと平鍋氏は言う。

 

「結局仕事って、信頼関係のないところに存在しないものなんです。仕事量でいえば、どうしたって東京をはじめとする大都市圏の方が圧倒的に多い。そこから仕事を獲得できるかどうかは、顧客や現職の上司・同僚、仕事関係の仲間との間にきちんと信頼関係があるかどうかにかかってくる。地方移住に踏み出す前に、それが自分にあるか、確かめた方が良いでしょうね」

 

実行前に自己検証を怠らないこと。これも、「脱・東京」を実践する上で大事なポイントと言えそうだ。

 

取材・文/武田敏則(グレタケ

郷田まり子×あんざいゆき「自分の名前で仕事を取る」2人に共通する働き方って?【連載:ギークな女子会-べにぢょ編】

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「エンジニアLoveなお姉さん」べにぢょさんが、第一線で活躍する女性エンジニアのON・OFFのホンネに迫るこのコーナー。今回は、「起業」「Android」「コミュニティー活動」など数多くの共通項を持つ2人の女性プログラマーが登場。なぜ彼女たちは「コードを書き続ける仕事」を選んだのか? そのきっかけは意外なところに......

 

司会

「ギークな女子会」ファシリテーター
べにぢょさん [@lovecall] 

ギークなお姉さんは好きですか』や『べにぢょのらぶこーる』などのブログで、プログラマーやエンジニアたちから注目を集める女性ブロガー。インターネットと宝塚とおいしいワインが大好き。詳しいプロフィールはコチラを参照

今回の参加者

株式会社鳥人間 プログラマ
郷田まり子さん [@MaripoGoda]

東京大学工学部・建築学科を卒業。設計事務所を経て現職に。人工衛星ウォッチング支援アプリ 『ToriSat』の開発者としても知られる。著作には『ジオモバイルプログラミング』(共著)『facebookアプリケーション開発ガイド』(単著)がある

今回の参加者

株式会社ウフィカ 代表取締役総長
あんざいゆきさん [@yanzm] 

東京工業大学を卒業。2011年にスマートフォン向けアプリ開発のウフィカを創業。経営の傍ら、Android女子部の副部長を務めるなど、コミュニティー活動にも積極的に携わる。Android関連の著作も多数。最新著は『Android UI Cookbook for 4.0 ICSアプリ開発術

 

べにぢょ 今日はお集まりいただきありがとうございます。わたしと郷田さんは、2009年の『LLTV(Lightweight Language Television)』っていうイベントでお会いしているんですが、お2方にご面識は?

 

あんざい ちゃんとお話するのは初めてですが、イベントとかで何度かお会いしてますよね。

 

郷田 そうですね。3~4回ぐらいですか? でも、前からあんざいさんとゆっくりお話してみたかったんですよ。

 

初めてAndroidに触れる機会となった『Google Developer Day 2009 Japan』について話す2人

お互い、初めてAndroidに触れる機会となった『Google Developer Day 2009 Japan』について話す2人

べにぢょ お話してみたかった理由は? やっぱりAndroidですか?

 

郷田 はい、あんざいさんはAndroidの超エキスパートで、わたしもAndroid関連の開発をしているので。わたしはいろんな分野に手を出している感じなので(笑)、そこに大きな違いはありますが。

 

べにぢょ あんざいさんがAndroidにかかわるようになったのは、いつごろだったんですか?

 

あんざい 学生のころですね。それまでずっとauケータイを使っていて、乗り換えると通信料も高くなりそうだし、iPhoneへの乗り換えはヤダなと(笑)。そしたら、2009年のGoogleさんのイベントでAndroidデバイスがタダでもらえて。それが、Androidに触り始めたきっかけです。

 

郷田 GDD Phoneですよね、その時のイベントで配られたの。

 

あんざい そうそう。グーグルさんの「端末配ればみんなやるんでしょ?」戦略に、まんまとハマった一人なんです(笑)。

 

郷田 確かに、「タダでもらえるなら、ちょっとHackすっか?」みたいな気にはなりますよね。

 

「オシャレな建築デザイナーになるつもりがプログラマーに」(郷田)

べにぢょ さすがギークなお2方(笑)。ところで、お2人は学生時代、何を勉強されてたんですか?

 

郷田 わたしは建築学です。その一環で、構造計算なんかも勉強してました。

 

あんざい へー、建築だったんですか。カッコいい。わたしは天文学でしたね。

 

大学卒業のころは「建築関連の仕事がしたかった」と話す郷田さん。その後プログラマーになったいきさつは?

大学卒業のころは「建築関連の仕事がしたかった」と話す郷田さん。その後プログラマーになったいきさつは?

べにぢょ それもマニアックですね。ではまず、郷田さんがプログラマーになったきっかけを教えてください。

 

郷田 当時は安藤忠雄みたいなオシャレな建築デザイナーになりたくって、いわゆるアトリエ系と呼ばれる建築設計事務所に入ったんですけど、たまたまその会社が、建物の構造をWeb上でチェックするためのCADと構造計算ソフトを併せたようなアプリを開発していまして、そのチームに配属されることになったんです。

 

べにぢょ じゃあ、最初からプログラマーを目指してたわけじゃないと。

 

郷田 えぇ。「あれ? なんかわたし、このままじゃプログラマーになっちゃう。ヤバイどうしよう」って思っているうちに、本当にプログラマーになっちゃいました(笑)。

 

一同 爆笑

 

郷田 でも、入社してしばらくすると、景気の落ち込みで少しずつ本業の建築設計も少なくなってきたんですね。このままだとわたし自身も経済的にも厳しくなるので、社長に直談判して「会社のプロジェクトを継続しながら、よそさまの仕事も請け負っていいですか?」と。言ってみれば出稼ぎです。

 

べにぢょ そんなことがあったんですか。

 

郷田さんの会社「鳥人間」は、AR(拡張現実)を用いた人工衛星観望支援アプリ『ToriSat』が有名だ

郷田さんの会社「鳥人間」は、AR(拡張現実)を用いた人工衛星観望支援アプリ『ToriSat』が有名だ

 で、その発注先の中に、今の鳥人間の社長もいたんです。彼はWindows用のスタンドアローンアプリ開発を個人で受けてくれる人を探していて、数ある仕事の一つとしてわたしが請けたんですよ。その後、九段下の中華料理に連れて行かれた時に、「今度独立するから一緒にやらないか」と。酔った勢いでOKしちゃいました。

 

あんざい すごい展開(笑)。鳥人間って名前もユニークですよね。

 

郷田 社長があの『鳥人間コンテスト』の出場者で、手作り飛行機を作っていたからこの社名(笑)。社長は、思いついたら何でも作っちゃおうみたいな、そういうマインドがある根っからのギークなんですよ。わたしもそういうタイプなので、意気投合したんですね。

 

ユーザーの反応がダイレクトに返ってくる環境は大事

起業する前に1年間勤めた会社で、並列処理用コードを最適化する高難易度な仕事に従事していたあんざいさん

べにぢょ あんざいさんも起業していらっしゃるじゃないですか。何で起業しようと?

 

あんざい 実はわたし、起業の前に1年間だけ会社員やってたんです。その会社は大学院の時からのバイト先で、学生時代に2年ほど働いていたんですね。で、就活が面倒で、そのまま入社しまして。辞めて今の会社を作ったのは、入社して丸1年経った後でした。

 

べにぢょ 前職は何をやる会社だったんですか?

 

あんざい PS3の『Cell』プロセッサを使った並列処理用のコードを最適化する会社にいました。従業員は100人くらいで、『Cell』や『CUDA』でコードを書く案件もあって、仕事自体は面白かったんです。が、半年でWindowsソフトの受託開発チームに異動になりまして。もし、あのまま並列処理コードを書き続けられたら、辞めなかったかもしれないですね。

 

べにぢょ じゃあ、辞めたのは異動のせい?

 

あんざい その案件がウォーターフォール型の開発スタイルで、がっちりドキュメントを書いたり、最終的なユーザーさんの意見を直接聞けない仕組みが、性に合わなかったんですよ。Androidアプリの開発だと、マーケットに出せばユーザーさんから直接メールが来たりするし、改善すれば感謝されるじゃないですか。

 

郷田 あ、それはわたしもすごく感じます。ユーザーさんの要望に応えたり、不具合を直したりした時に、すぐに「ありがとうございました」ってメッセージが返ってくるような環境って、作り手としてすごい幸せなんですよね。

(次ページに続く)

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べにぢょ その感覚は分かるなぁ。やったことに感謝してもらえると、仕事のモチベーションも上がりますもんね。

 

郷田 大規模開発だとユーザーさんとのつながりが持てないって話ではないんですが、やはり組織が大きくなると、お客さんの声が届きづらくなるのは確かですよ。営業、PM、プログラマーの間だけで、伝言ゲームをしているような状況に陥ってしまいがちなんです。

 

「うちは20どころか60%ルール。そういう会社にしたかった」(あんざい)

べにぢょ 最近でこそスタートアップが増えてますけど、あんざいさんも郷田さんも、前の会社を辞めて起業するまでに、不安だったり悩んだりされなかったんですか?

 

あんざい わたしは全然(笑)。実は入社した年の秋には、もう辞めるつもりでしたから。

 

べにぢょ あはは。たくましい。

 

あんざい でも、さすがにすぐ辞めるのはどうかと思い直して、最低1年は働いてみようと。退職する最終的なトリガーは、入社からちょうど1年後の4月1日、朝礼で社長の訓示を改めて聞いて「やっぱりビジョンに共感できないなぁ」と思ったことですね。それで、会社にはその日のうちに「辞めます」と伝えました。

 

郷田 決断が早い(笑)。

 

あんざいさんが2011年5月に設立したばかりだが、Androidアプリ関連のクリエイティブで知られる存在のウフィカ

あんざいさんが2011年5月に設立したばかりだが、Androidアプリ関連のクリエイティブで知られる存在のウフィカ

べにぢょ ご自分の会社では、どんなビジョンを掲げているんですか?

 

あんざい まだかっちり決まったものではないですが、中にいる人にとって、やりたいと思えることがちゃんとできる会社でありたいとは思っています。個人のスキルや価値が会社のベースになっていて、個人でもチームでも力を発揮きるような組織、ですかね。

 

郷田 ソロ活動でも食べていける人たちが、あえて一緒にバンドを組むみたいな感じ?

 

あんざい あ、そうです! グーグルの「20%ルール」ってあったじゃないですか。うちの会社、それを上回る「60%ルール」みたいな感じですから(笑)。みんなが好きなことを追求してるうちに、仕事になっていくというか。

 

プログラマーを職業にしたのは偶然。ハマッた理由は......

べにぢょ さっき郷田さんは「最初はプログラマーの仕事に抵抗があった」っておっしゃっていましたが、お2方とも、プログラミングで食べていこうと思った決定打って何なんですか?

 

郷田 当時は建築家になりたかったのに、名刺に「SE」って書いてあって、「えーっ」っていう思いがあったんですよ(笑)。これまで建築を勉強してきたのにって。

 

プログラマーの仕事にあまり興味のなかった2人が、なぜコードの世界にハマッたのかに興味津々なべにぢょさん

プログラマーの仕事にあまり興味のなかった2人が、なぜコードの世界にハマッたのかに興味津々なべにぢょさん

べにぢょ それでも、プログラミングを続けた理由は?

 

郷田 結局、コードを書く仕事が性格に合ってたんだと思います。作ったものをすぐ世の中に出せるし、たとえ文無しになってもPC1台あれば一発逆転できるっていうところも、いいなって思っているんですけど。

 

べにぢょ あんざいさんはいかがですか?

 

あんざい 中学校のころはゲームプログラマーになりたかったんですよね。わたし、飽きっぽい性格なんですけど、「なんでゲームだったら続けられるのか」と子どもながら関心を持っていて。今で言うところのゲーミフィケーションってやつですね。でも、わたしも就職するころ、「プログラマー」って名乗るのに躊躇があった気がします。

 

べにぢょ これまた郷田さんと一緒(笑)。何でですか?

 

あんざい 何というか、プログラマーって「エンジニアより下の人」という気がしてたというか。名刺にプログラマーって書いてると、肩書き的に「何かちっちゃいな」と(笑)。

 

郷田 そんなあんざいさんも、今じゃ名うてのプログラマーじゃないですか。

 

あんざい 高専から東工大の物理学科に編入して、天文学をやるようになってからはじめて、研究者よりこっちの世界の方か合っているのかなと思ったのが、職業としてのプログラマーを意識したきっかけです。天文学の世界では、衛星から取ったデータを解析するのにプログラミングが必須なんですが、それが思いのほか楽しかったんですね。

 

「いったん離れみて、それでも好きなことを仕事に」(あんざい)

べにぢょ 最初は乗り気じゃなかったけど、やってみたら楽しくって、いつのまにか超深掘りしちゃってたってパターンなんですね。夢中になれることを続けているうちに、キャリアにつながったというか。

 

あんざい これはわたしの持論なんですが、やりたいことからいったん離れてみて、それでもやりたいと思えることこそ、仕事にすべきことだって思っているんです。途中で受託開発に嫌気が差した時もあったけど、今もAndroidを通じてプログラミングをしているってことは、自分に合っている仕事なんだと思います。

 

郷田 わたしもそうなんですが、一周回って「プログラマーってカッコいいじゃん」って思えるようになったタイプじゃないですか、お互い。

 

べにぢょ 前にこの連載で、Yuguiさんが「小さい時に家電製品を分解してみるのは普通」っておっしゃっていたんですけど、もしかしてお2人も......?

 

前回登場のYuguiさんに続き、郷田さんとあんざいさんも「家電分解遊び」の経験があったと盛り上がる

前回登場のYuguiさんに続き、郷田さんとあんざいさんも「家電分解遊び」の経験があったと盛り上がる

郷田 あ! わたし、あんまり家電製品を分解するもんだから、親にネジ回しを隠されたりしてました(笑)。

 

あんざい わたしも祖父が電気屋さんだったので、家電製品の中身とか、モノの仕組みを見るのに自然と興味を持つようになってましたね。

 

べにぢょ やっぱり! そういう志向をお持ちだから、プログラミングにもハマッたんでしょうね。

 

外に出るのは視野を広げるため。本を書くのは知識の整理のため

べにぢょ あと、今日はこれもぜひ伺ってみたかったんですが、お2方ともプログラマーとして、勉強会やコミュニティーなどで外に向かって積極的にアウトプットされていますよね。なぜそういう活動を始めようと?

 

郷田 積極的に外に出るようにしているのは、組織の中にこもり続けていると、どうしてもその組織固有のBadノウハウに染まってしまう気がしたから。自分の「手ぐせ」って、気付かないものじゃないですか。

 

べにぢょ 職人っぽい考え方(笑)。でもその考え方、腕を磨くためには大事ですよね。

 

あんざい 視野の広いエンジニアになりたいっていう思いはわたしも強いかなぁ。小さな会社でやっているから、なおさら外に勉強の機会を求めるようになったのかもしれません。

 

べにぢょ それに本もお書きにもなっている。ただでさえ忙しそうなのに、掛ける労力に対しての報酬が見合わないと思うことってないですか?

 

郷田 あんざいさんは、見合ってます?

 

あんざい いや、まったく(笑)。

 

郷田 ですよねー(笑)。

 

べにぢょ では、どうしてご執筆を? "名刺代わり"みたいな部分もあるんですか?

 

郷田 もちろんそれもありますが、どんなに得意なことを書くにしても、何も見ずに思いのままに書けるわけじゃないんですよ。その過程でたくさん勉強するから。

 

あんざい それが自分のためになっているって感じですよね。だからわたしの場合、「このテーマで本を書いても、得るものが少ないなぁ」と思うと、執筆を頼まれてもお断りすることがありますね。結果的に、入門書というより、中級者向けの本が多くなっちゃうんです。

 

「"外にあるカオス"に触れるのが、仕事に飽きないコツ」(郷田)

べにぢょ そうやってお2方とも「自分の名前」で仕事しているわけですが、ネットをはじめ、いろんなところに自分をさらすのって、怖くなかったですか?

 

郷田 最初から怖さがなかったといえばウソになりますが、いろんなところに自分を出すことで、外部から予測不可能な刺激がやって来るわけじゃないですか。それって、学んだり、新しい気付きを得るのに、とても大事だと思うんです。

 

あんざい そうそう。わたしも、メリットの方が大きいかなぁ。

 

郷田 「外にあるカオス」に触れるのって、仕事に飽きないためのコツだと思うんですよ。

 

すっかり意気投合し、郷田さんの音頭で「全員でろくろ回し」の記念撮影。座談会の続きもお楽しみに!

すっかり意気投合し、郷田さんの音頭で「全員でろくろ回し」の記念撮影。座談会の続きもお楽しみに!

べにぢょ お2方とも、仕事やキャリア面だけじゃなく、考え方にもたくさん共通項があるんですね。今回、その一つでもあるコミュニティー活動や、最近増えている女子部のお話を詳しく伺いませんでしたので、お2方の将来プランも含めて次回ぜひうかがわせてください。

 

郷田 はい、ぜひ!

 

あんざい ぜひ!

 

≪この座談会の続きは6月中旬ごろに掲載予定です≫

 

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/赤松洋太

「基礎を磨け、SFを見ろ、ゴールを描け」PostgreSQL伝道師が若手に贈るメッセージの真意【対談:法林浩之×石井達夫】

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市場や技術の流れが、めまぐるしく変わるIT業界において、専門領域の技術者として己を磨くには、どうすればいいのか。ITイベンターとして幅広い人脈を持つ法林浩之氏が、それぞれの技術領域において親交の深いベテランエンジニアとの対話を通し、生涯技術者を目指す20代の若者に贈る「3つのメッセージ」を掘り下げる。

ITイベンター・法林浩之のトップエンジニア交遊録

日本UNIXユーザ会(jus) 幹事・フリーランスエンジニア
法林浩之(ほうりん・ひろゆき)

大阪大学大学院修士課程修了後、1992年、ソニーに入社。社内ネットワークの管理などを担当。同時に、日本UNIXユーザ会の中心メンバーとして勉強会・イベントの運営に携わった。ソニー退社後、インターネット総合研究所を経て、2008年に独立。現在は、フリーランスエンジニアとしての活動と並行して、多彩なITイベントの企画・運営も行っている。2012年には、「日本OSS貢献者賞」を受賞

今回の対戦相手

SRA OSS,Inc.日本支社 取締役支社長/PostgreSQLコミッター
石井達夫氏

1953年生まれ。1984年にSRA入社後、担当プロジェクトでハワイへ赴き、そこで当時「PostgreSQL」と名付けられる前段階にあった「Postgres」を知り、その魅力に取りつかれた。1995年にはPostgreSQLのメーリング・リストを立ち上げるなど、一貫して「伝道師」ともいえる開発・普及活動を展開。2008年には「日本OSS貢献者賞」を受賞した。主な著書に『PostgreSQL完全攻略ガイド』(技術評論社)などがある。日本PostgreSQLユーザ会初代理事長


法林 さて、「トップエンジニア交遊録」の対談も第2回となりました。もちろん、テーマは前回に引き続き「長生きする技術屋」について。今回もこのテーマにぴったりの大物にいらしていただきました。

石井 ちょっとやめましょうよ、そういう紹介は(笑)。改めて、おめでとうございます、「日本OSS貢献者賞」受賞。

法林 ありがとうございます。2008年にこの賞を受賞していらっしゃる大先輩に祝福していただけるなんて、うれしく思います。ようやく少しは先輩に近づけたかなぁ、と思っていますよ。それにしても、久しぶりと言いますか、石井さんとは不思議なご縁ですよね。

石井 そうですね。お互い昔から名前も知っているし、OSCやjusのイベントや記者会見などで会えば話もしているけれど、仕事では同席したことがない。だいたい2~3年に一度のペースで、どこかでばったり会うという感じでしょうか。

法林 今日はこういう機会を得たので、前から聞きたかったことをまず質問しますね。今や「PostgreSQL開発の顔」、「伝道師」とまで言われるようになった石井さんですけれど、いつごろからこの技術に取り組むように?

石井 ざっくり言うと今から20年前、1990年代の初めだったと思います。ハワイの某研究機関とのプロジェクトで知りました。当時はPostgreSQLという名前さえ付いていませんでしたが。

法林 当時はオープンソースなんて言葉もなくて、フリーソフトという呼び方をしていたはずですが、その1つにPostgreSQLの原形があったということでしょうか? 一体、どういう使い方をしたんですか?

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技術者とOSSのかかわり方が、今と昔で大きく変化しているが、そのこと自体は「喜ばしいこと」だと話す石井氏

石井 当時、多くの企業や組織は、COBOLなどで組んだレガシーの資産を「今後どうやって活かしていこうか?」という問題を抱えていました。この時のわたしのプロジェクトでも、プログラムを動かせるDB環境が必要になり、後のPostgreSQLプログラムが大いに役立ったというわけです。

法林 90年代はUNIX的なものとメインフレーム的なものとの間に壁があって、その壁にどう対処していくか、というのが大きな課題でしたよね。わたしもソニーで「壁との格闘」を体験していました。それにしても、石井さんの場合は最初から仕事の流れでPostgreSQLと付き合っていたんですね。今のエンジニアの場合、オープンソースと向き合う場面が、必ずしも仕事がらみとは限らなくなっていますが。

石井 まあ、そうですね。時代背景も技術環境も大きく違いますから。ただわたしは、今の若いエンジニアが、身近なものとしてOSSに触れていることは良いことだととらえています。わたしにせよ法林さんにせよ、技術を仕事主体で吸収していった世代とは、まったく違う発想を彼らはすることができるはず。その可能性を伸ばすバックアップを、わたしはしていけたら良いなぁ、と思っているんです。

法林 良いですね。50代を迎えて、社長業まで始められて、今なお現役の技術者である石井さんが、そういう視点で若いエンジニアを見ているということですものね。SRAやPostgreSQLコミュニティの人たちは幸せ者ですよ。では、この対談のテーマでもある、「スペシャリストを目指す若手エンジニア」に向けたメッセージを挙げてもらえますか?

石井 わかりました。説明は後にして、3つ提示しますね。

【1】 「自分を表現する基礎」となる技術をしっかり磨く
【2】 SF的な視点を併せ持つ
【3】 技術者としてのゴールを描く

法林 2番目がものすごく気になりますが(笑)、順番に教えていただけますか?

一つの技術に最低2年。それが技術者としての基盤になる

石井 まず1つ目について。技術が移り変わるスピードはどんどん上がっていますよね。短い間で次々と魅力的に見える新しい技術が登場したり、目覚ましい進化を遂げたりする。けれども、わたしはそんな時代であっても、と言いますか、こんな時代だからこそ基礎が問われてくると考えているんです。

法林 石井さんのいう基礎というのは、具体的に言うと何ですか? やっぱりDBであったり、ということでしょうか?

石井 そりゃあDBやPostgreSQLを勉強してくれる若者が増えてくれたら言うことなしですが、DBのほかにも例えばOSであったり、プログラミング言語そのものを深掘りして理解する、ということでも良いんです。大切だと考えているのは、少なくても2年とか3年、きっちり追いかけて学んでいくこと。それが、エンジニアとしての自分流の基礎になりますから。数カ月とか1年だけ携わって分かった気になると、損をしてしまいます。

法林 石井さんの場合は、それがPostgreSQLだったということですね?

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「自分の技術者としての基礎となる技術さえあれば、ほかの技術への応用は十分できます」(石井氏)

石井 そうです。法林さんの基礎となっているのはUNIXでしょ? そこでしっかりとした基礎を築いたから、ここまでの方になられた。同じことだと思います。


わたしは今もよく社員に話すんですが、「PostgreSQLをしっかり身に付けたエンジニアなら、仮にDBMSやMySQLを扱う場面が来ても、半月もあれば使えるようになる」と。

法林 すごく共感します。「身に付けた」、「分かった」、「使えます」と口で言うのは簡単ですが、UNIXにせよDBにせよOSにせよ、本当に深く理解するためには、それなりの時間と経験を費やさないといけませんよね。

石井 わたし自身、最初から「データベースの専門家になろう」と思っていたわけじゃないんです。興味があったのは「データというものをどう使ったら面白いことができるか」。たまたま知ったPostgreSQLが、わたしにとっての理想のツールとして役立ってくれたけれども、違うものをツールにしたって良いんです。今後は、いろいろな技術やツールが多様に組み合わさって、新しい価値を生み出していく様相が強くなっていく。

法林 だからこそ、1つの技術、1つのツールを基礎からしっかり身に付けろ、ということですね? でも、この提言を今の若い人にしっかり伝えるのって難しくないですか? PostgreSQL伝道師としては、ご苦労もあるのでは?

石井 法林さんもそうだったかもしれませんが、わたしぐらいの世代のエンジニアはある意味ラッキーだったんです。魅力的な技術というものが、今ほどあふれかえっていたわけでもない。90年代のOSSの領域でいえば、フリーソフトをビジネス活用して、それで食っていけるようになるには、どうしたら良いんだろうという明確な課題が用意されていた。

法林 そうですね。わたしも秋葉原で「オープンソースまつり」なんてイベントをやったりして盛り上がっていました。「フリーソフトで稼げるようになるぞ」というシンプルな課題があって、皆がそこに対して大まじめに取り組める背景があった。これはモチベーションになりましたよね。今はちょっと違う。

選択肢の豊かさが、逆に技術者を苦しめる

石井 恵まれすぎていてかわいそうだなとも思います。気になる言語や技術があれば、ネットで検索するだけで、おおかた見えてしまったりする。便利で自由である反面、最初から「自分はどれを追いかけようか」、「自分にとっての良いモノはどれなんだろうか」を決めなければいけませんから。

法林 石井さんの場合、PostgreSQLのコミュニティーをメーリングリストで浸透・拡大していきましたよね。当時はそういう手法しかなかったわけですが。日本PostgreSQLユーザ会の初代理事長になられたのは、いつからいつまででしたっけ?

石井 1999年から2004年の間です。

法林 コミュニティーをうまくマネージメントする上で、気を付けたことは何ですか? OSSの開発者を育成していく上で、そこは非常に大きなカギになったと思うんです。

石井 おっしゃるとおりです。やはり、せっかく興味を持ってくれた技術者に、どうすれば気持ち良く参加してもらえるかが重要。ですから、「初心者に優しく」というシンプルな姿勢は、徹底しました。

 

うれしいことに、PostgreSQLエンジニアは人柄の良い人材に恵まれまして、メーリングリストの炎上も1回くらいしかありませんでした。ただ、今は違う課題が生まれています。先ほど話したとおり、エンジニアには選択肢が増えていますから、どうすればPostgreSQLに興味を持ってもらえるか。そこが重要になっていますね。

法林 基礎となる技術をしっかり学べば、石井さんのようにずっと現役の開発者でいられる、というのは1つ大きな魅力にはなりますよね?

石井 わたしを引き合いに出すかどうかは別として、腰を据えてある水準までPostgreSQLを習得できれば、息の長いエンジニアとして活躍できる、という話はします。実際、わたしの他にも50代でバリバリやっている人がいますからね。

(次ページに続く)

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OSS領域も成熟化。普通の発想では世の中を変えられない

法林 さて、楽しみにしていた2つ目の条件です。どうして、エンジニアにSFが必要なんです? 一応聞いておきますが、「SF」って、SF小説、SF映画のSFですよね?

石井 そうです。本当は別の何かでも良いんですが、わたし自身SFが大好きなもので。要するに、発想を豊かに柔軟に保ちましょう、ということです。

法林 なるほど。じゃあ、わたしの場合はSFではなくてプロレスがそれに当たるかもしれません(笑)。ありきたりの発想を超えるような、そういう刺激を身近に持ちましょう、というメッセージなんですね?

石井 おっしゃるとおりです。さきほども言いましたが、OSSの世界にしても、今では「オープンソースで稼げるようにするには」という課題はある程度解決してきている。そして、若いエンジニアにとって、とても身近に存在するものになった。それ自体は良いことですが、同時に今言われているのが「OSSのコモディティ化」だったりしますよね。

法林 どんな世界でもそうでしょうけれど、1つのものが価値ある存在として定着するまでの段階には、独特の熱がありますよね。石井さんも僕も、その熱の中で育ってきた。けれども今のエンジニアは、この熱を味わうことはできない。

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「OSSが成熟しつつある中で、今は次のフェーズに入っている」という石井氏の話に、法林氏も真剣に耳を傾ける

石井 誕生して、成長して、定着する段階から、「次の段階に入った」ということなんでしょう。これはITの世界に限ったことではなくて、例えば電気がなかった時代、初めて電気を使ったランプに灯がともった時、人は感動したはず。馬車しかなかった時代に初めて自動車が現れた時も、きっと誰もが拍手喝采をしたはずです。

 

じゃあ、その電気や自動車の領域がどうなったかと言えば、灯がともって当たり前、動いて当たり前、となり、今ではどうすれば少ないエネルギーで動くかが双方ともテーマになっていたりする。

法林 OSSだけでなく、あらゆる技術が今、成熟期を迎えていて、感動や興奮やモチベーションを生みづらくなっている。「だからこそSF」なんですね?

石井 そうです。とにかく、当たり前の発想で目の前の技術だけを追いかけていたって、これからは価値につながりにくくなる。誰も発想しなかったような組み合わせを考えたり、それをクライアントに提案して納得してもらうようなエンジニアだけが、情熱やモチベーションを維持できる。稼ぐこともできるし、結果として長生きするエンジニアになっていくはずだと思うんです。

法林 何か、石井さんご自身がSF的展開をした例ってありますか?

石井 ありますよ。PostgreSQLのコミュニティは、わたしたち日本の関係者が早期に日本語化を果たしたこともあって、かなり日本が先進的な取り組みをしてきたんです。

法林 確かに、オープンソースDB領域は欧米の場合MySQLやFirebirdが強いけれども、日本では石井さんたちの功績もあってPostgreSQL利用の度合いが高いと聞いています。

石井 それもあって、今思うと無謀だったなあ、と感じるチャレンジをすることができたんですね。

法林 どんなチャレンジですか?

石井 世界で初めてWindows上でPostgreSQLを動かす、というチャレンジです。SRAの内部で「考えてみたら誰も挑戦してないよね」というところから始まり、気が付くと夢中になって開発していました。技術的に超えなければいけない難関も相当あったんですが、半年後には製品化にまでこぎつけて......。これが売れたんです。

法林 すごい話ですね。そもそも今のPostgreSQLは、石井さんが始めた当初よりもプログラム的にも大きくなっていますよね?

石井 そうですね。最初は20万行だったプログラムが、今では100万行ぐらいにはなっています。

法林 それをUNIXではなくWindowsで初めて動かしちゃった。恐れ入りました。

石井 根っからの技術者って、こういうちょっと普通じゃない発想に取りかかった時はモチベーション上がりますよね。

法林 間違いないです。先ほど石井さんは電気や自動車の話をされましたが、コンピュータテクノロジーの世界というのは、そういう技術よりもずっと後に生まれた若い技術ですもんね。ノーベル賞にコンピュータテクノロジー部門はいまだにないし。まだまだ面白いことはいくらでもチャレンジできる。そのためにも、固定観念を振り払うような「SF的思考」が必要ということですね。

石井 そうなんですよ。それがわたしの言った3つ目の条件にもつながってきます。

「技術者ほど面白い仕事はない」そう信じられたらOK

法林 3つめは「エンジニアとしてのゴールを持ちなさい」という提言でしたね。

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「キャリアを通して『何を成し遂げたいか』があれば、自然と仕事もおもしろくなる」というのが、二人の共通見解であった

石井 持ちなさい、というよりも、「面白いよね、オレたちの仕事って」と心から思えるかどうか、という感じでしょうか。

法林 それ、僕がイベントでのトークでずっと伝えていることと同じです。エンジニアの仕事って本当に面白い。でも、そのためにはやっぱり「なぜエンジニアをやっているのか」について明確なビジョンを持っていた方がのめりこみやすい。

 

持っている人は、多少の困難があっても、むしろ楽しんで乗り越えることができちゃうし。

石井 わたしも法林さんのトークは何度も聞いたことがあります。あんな風に上手にしゃべれたら、わたしも苦労はしないんですが(笑)、伝えようとしていることは同じですよね。世の中には解決しなきゃいけない問題は、まだいくらでもあって、その解決方法として期待されているのがわたしたちの仕事。ITエンジニアは、一生を捧げるのに値する素晴らしい仕事なんです。そこを信じられる人なら、確実に技術者として専門性を高められると思います。

昨年の3.11の時には、OSSの技術がどれだけ世の中に貢献できるかを示した方が大勢いらっしゃいました。そんな素晴らしい仕事に就いていること。そこに希望をしっかりと持って、信じることがこれからのエンジニアの最大の条件だと思うんです。

法林 そうですね。「エンジニアって面白い!」を心から信じられるなら、きっと僕らは世の中の役に立てる。こんなに誇らしいことはないし、本当に結果として長生きする技術者になれるわけですよね。本当に今日はありがとうございました。僕も今まで以上に、この部分をプッシュしたいと思います。

石井 わたしも、気合いを入れて若い人たちにアピールしていきます。ベテランにはベテランの役割がありますから。最後に言わせてもらえば、PostgreSQLはこれほど時間を経てもピュアにOSSのコミュニティとしての透明性を維持しています。今後も変わることなく、若い人たちにチャンスを与え、彼らにしか発想できない新しい息吹を加えてもらい、ともに成長していきたいと思います。楽しみながら、それをやりたいと思います。

取材・文/森川直樹 撮影/小禄卓也(編集部)

 

< えふしん氏も登場!『TechLION』、灼熱のvol.8開催決定 >

TechLION vol.8
IT 文化の振興と、UNIX/Linux文化の楽しさを広く伝え、エンジニア同士の連帯を図ることを目的とするトークイベント。日々多くの技術が生まれ、消えていくが、これらの技術を密林の動物たちになぞらえ、百獣の王となる技術を酒を酌み交わしながら発掘・探求しようというイベントです。

開催日:7/26(木) 19時半〜
MC:法林浩之、馮富久
ゲスト:砂原秀樹、藤川真一(えふしん)、山本祐介、高橋真弓
場所:
SuperDeluxe


★【祝!10周年】 Lightweight Languageイベントも今夏開催決定!

LL Decade

年に一度のLLイベントが今年も開催決定!記念すべき10周年目を迎えた今年も、LL魂を持った各言語界の虎たちが、一同に集結。みなさんを、Lightweight Languageのディープな世界へと誘います。

開催日:8月4日(土) 10時半~18時半(予定)
場所:銀座ブロッサム

育児も仕事も両立させたい人必読! 2児のママさん研究者が贈る「時間の有効活用」知恵袋【連載:五十嵐悠紀⑮】

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天才プログラマー・五十嵐 悠紀のほのぼの研究生活
先読み(5)五十嵐さん_100px.jpg

筑波大学  システム情報工学研究科  コンピュータサイエンス専攻  非数値アルゴリズム研究室(NPAL)
五十嵐 悠紀

2004年度下期、2005年度下期とIPA未踏ソフトに採択された、『天才プログラマー/スーパークリエータ』。筑波大学 システム情報工学研究科 コンピュータサイエンス専攻 非数値アルゴリズム研究室(NPAL)に在籍し、CG/UIの研究・開発に従事する。プライベートでは二児の母でもある

 

この連載が始まって1年以上が経ちました。連載開始当初、臨月間近だったお腹の子もすでに1歳。上の子は幼稚園に入りました。2人の子育てと仕事に追われている毎日ですが、仕事と育児を両立させる上で苦労するのは、なんといっても時間の使い方です。

 

今回は子育てをしながらも働くために、わたしが普段から心掛けている『時間の有効活用術』についてお話したいと思います。
 
共働き夫婦では、子供が熱を出した時に休むのはどっち?という話がよく出るようです。最近ではパパがお休みして子供の看病をする家庭もかなり増えてきていますし、育児休暇を取得する男性も増えてきましたね。現在子育て中の方も、まだまだ独身の方もこんな考え方もあるんだ、と読んでいただければ幸いです。

「自分にしか分からない」を作らない

From Dee Adams

From Dee Adams

仕事も育児もスムーズに進めるために、情報の「見える化」は重要だ

「情報はなるべく他の人と共有する」、「自分が休んでも大丈夫なように、ドキュメント化しておく」などを心掛けています。○○さんに聞かないと仕事が進まない、というような非常事態をなるべく避けるためです。また、どうしても大事な仕事を引き受けるときは2人体制にしてもらったりもします。

子どもの風邪のような不測の事態でいつ自分が休むか分からない、という面もあったりはしますが、二人いることで確認の目が増え、ミスも減ります。さらに、後輩と組ませてもらえると、次年度以降への引き継ぎの際にも経験者がいることで仕事がスムーズに進むというメリットも大きいです。引き継ぎのための会議なども少なくて済むかもしれません。

「自分にしか分からないことを作らない」というのは、仕事だけでなく家庭、育児に関しても心掛けています。フル回転で回る毎日。仕事もこなして家事もこなして、育児もしてというのは大変。どうしても家族の協力が必要です。洗濯用洗剤、アイロン台、裁縫箱......。ちょっとしたものが「どこにあるの?」と聞かなくていいように分かりやすい配置にしまっておくことも、当たり前だけど実は重要だったりします。

特に保育園・幼稚園に登園する際の荷物の準備など、「母親しか分からない」のではなく、配布物を家族で読めるところに貼る、分からなくなったらすぐに参照できるようにファイルをする、などの工夫をしています。

大学内の保育園に預けていたからというのもあるのでしょうが、上の子の通っていた保育園の送り迎えは半数は男性でした。家事、料理をする男性も育児をする男性も増えてきていますよね。男性だから、女性だから、ではなく、お互い助け合えるように、を心掛けて、相手への感謝の気持ちを表すようにしています。

締め切りは2割前倒し

From LenP17
「時間の前倒し」については、誰でも気をつけたいところだ

From LenP17 「時間の前倒し」については、誰でも気をつけたいところだ

締め切り間近になると人間はやる気・意欲が出てくるもの。「まだあと3カ月ある」という時と、「締め切りまであと1週間!」という時では仕事への集中力が違いますよね。

それを自己管理で集中できるようにしています。具体的には手帳に本来の締め切りとは別に2割ほど前倒しした締め切りを書いています。

「ここまでに提出書類は仕上げる!」、「論文の締め切りは1月中旬だけど、年内には完成させる」などを意識して、その目標に向かってラストスパートを切ります。

24時間すべてが自分の時間だった独身時代は、もちろんこんなことはありませんでした。テイクアウトしたご飯を片手にコーディングしたり、深夜2時~3時までコーディングしたり、論文を書いたりして翌朝起きれなかったり......。わが家は夫も同業者なので、結婚してからも子供が生まれるまでは帰宅後深夜までお互い黙々とコーディングしている日々なんてざらにありました。

けれど、子どもがいると話は別です。授乳やオムツ替えなどで夜中も起きなければいけなくて寝不足が続くし、突然熱を出すかもしれない。子どもが2人いると、風邪をひくのも2人分。締め切り間近だからといってラストスパートが切れないのです。なので、ラストスパートを早く始めることにしました。そうすると、仮の締め切りが来てもまだ余裕があるので、さらにクオリティを上げることができたり、終えてしまって次のプロジェクトに取り掛かれたりと、精神的にも体力的にも余裕が生まれます。

また、仕事をする前にあらかじめ時間の見積もりをした上で、完成度8割まで持っていく作業をなるべく先にやってしまいます。締め切り直前にまだ何もできていない状態なのと、8割完成したものを10割にする作業では大変さが全然違います。例え、最初に見積もった時間よりはるかに時間が掛かってしまったとしても、早いうちであれば計画の立て直しもできますし、8割完成していればその後のズレは誤差範囲と気楽に考えることができます。

特に感じるのは育児をするようになって時間の過ごし方がとても濃くなりました。これまで1時間かけてだらだらやっていた仕事は実は集中すれば30分で完成度高くできる仕事だったり......。仕事の経験を積んだという面もあるとは思いますが、集中力は強化することができる気がします。

「他人でもできること」はしない

ちょうど仕事が楽しい年代と子育てする年代って、かぶるんですよね。仕事もたくさんの仕事があって、だんだん責任ある仕事も任されるようになって......。でも、あれもやりたい、これもやりたいとやっていると全然時間が足りません。そういう時、わたしは「自分にしかできないこと」を基準にどれをやるかの取捨選択をしています。

他者に振り分けるのも仕事のうち。昔は全部自分でやりたがっていましたが、最近はそう思えるようになりました。次の研究ネタを考えるときにも、複数の案を出してその中から1つを選んで研究していきますが、わたしは10数個案を出した中で「自分にしかできないのはどれかな?」という観点で選ぶことが多いです。

また、「経験したことのないことで興味のあること」というのも積極的にかかわっていくようにしています。近ごろは、年齢を重ねるにつれてだんだん保守的になってきたと感じます。特に子どもがいるとどのように回るか予測しづらいプロジェクトなどにかかわるのをためらってしまいがちです。けれど、「分からないことを分からない」と聞けるのも今のうち。その意味でも若いうちにいろんな経験をしたいと思っています。

「自分にしかできないことが選択基準」と言いましたが、これもまた、仕事だけでなく家庭でもそうです。授乳はさすがに私しかできませんが、そのほかは気付いた人がやります。ウチでは、夫が食事を作ったり、3歳の息子がランチョンマットとスプーン・フォーク類を食卓に並べたり......。全部自分がやらなくては!と思うよりはるかに気が楽ですね。

人とのディスカッションは、講演"前"に

子どもがいると、講演会の懇親会などは「お先に帰らせていただきます」なんてこともしばしば。せっかくいろんな人と出会えるチャンスなのに、もったいないですよね。だからこそ、最近のわたしは、可能な限り開始時間より早く到着するように心掛けています。そうすることで同じ勉強会に参加している人、講演者等に先にお話したり名刺交換したりする時間が持てることが多いからです。

例え「講演が長引いてお迎えの時間が!」とあわてて途中退席してしまっても、講演の前に1対1でお話をして、名刺交換まで済ませている。おかげで最近は、「最後まで聞きたかったのに~。だから育児との両立って大変......(ぶつぶつ)」などと思ったりしなくて済むようになりました。

最近だと、ランチミーティングやブレックファーストミーティングも流行っていますよね。いつも一緒の人だけでなく、他業種の人と出会えるチャンスこそ、自分の可能性を広げる第一歩かもしれません。

完ぺきを追い求めてはダメ

仕事と育児との両立は大変と良く聞きますが、わたしは仕事のストレスを育児で発散し、育児のストレスを仕事で発散しています。どっちもストレスが溜まりますしね。"両立している"のではなく"両方中途半端"だよなぁともよく思います。でも、わたしはそれで良いんです。

何でも完ぺきな人はいないと割り切って、自分なりに何とかやってきました。研究者という職業柄、時間の拘束という面ではエンジニアの方々とは違うかもしれません。

 

特に人との共同作業が多ければ多いほど、時間の融通は利かなくなりますし、早めに終わらせたいというのは難しかったりもすると思います。しかし、エンジニアでも研究者でも、子持ちで働く人なら気持ちの持ち方などにおいては似た部分が多いのではないでしょうか。

最近は子持ちに限らず、独身の人も時間に追われているという記事をよく目にするようになりました。一度きりの人生。仕事も私生活も楽しんで生活していきましょう。

元Apple松井博「世界一イノベーションを生む企業で学んだ、凡人が生きる術」【特集:新人SEの教科書】

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6月11日から行われている開発者向け会議『WWDC』でも、Retinaディスプレイの新型『MacBook Pro』や3Dマップを搭載したiOS6を発表するなど、革新的なプロダクトを発信し続けるアップル。 

 

From Schill 「ジョブズ後」のアップル社の動向を探る意味でも、多くの開発者の注目を集めた今年のWWDC

From Schill 

「ジョブズ後」のアップル社の動向を探る意味でも、多くの開発者の注目を集めた今年のWWDC

研究開発費で比較すると、グーグル(約28億ドル/2009年)やマイクロソフト(約86億ドル/同上)の半分~1/8以下というアップル(約11億ドル/同上)が、世界で最もイノベーティブな企業であり続ける源泉は、エンジニアのパワーにあるのは間違いない。

 

では、同社で働く若手エンジニアたちは、日々どんな仕事ぶりで開発に取り組んでいるのか。

 

それを探るため、元エンジニアでアップル社に16年間在籍してきた『僕がアップルで学んだこと』の著者・松井博氏に話を聞いた。

 

プロフィール

元・米アップル社シニアマネージャー
松井 博氏(@Matsuhiro

米アップル社でシニアマネージャーまで務めた日本人エンジニア。オハイオ・ウエズリアン大学を卒業後、沖電気工業、 アップルジャパンを経て、2002年に米アップル社の開発本部に移籍。iPodやマッキントッシュなどのハードウエア製品の品質保証部で活躍。2009年に同社を退職し、教育事業を創業。当時の経験をまとめた自著『僕がアップルで学んだこと』が好評

 

アップルの行うプロダクト・ソフトウエア開発が、日本でいう「SE=業務系システムエンジニア」とは毛色の異なる仕事なのは承知の上だ。ただ、世界最高峰の企業で働く若手エンジニアがどう仕事と向き合い、どうポジションを築いているのかを知るのは、分野を問わず参考になるはず。

 

[特集:新人SEの教科書]の序章として、世界No.1企業の若手たちの仕事ぶりを紹介しよう。

 

「アップルの本当の強さは社員のストイックさにある」

「まずお伝えしなければならないのは、2000年代に経営が上向いてからアップルに入社してきた新入社員たちは、みんな超が付くほど地頭が良い連中だということです」

 

新入社員といっても、日本でいう「新卒エンジニア」はほとんどおらず、多くは他社で経験を積んで転職してきた精鋭たちとのこと。新卒入社組もわずかながらいるそうだが、「彼らはアイビーリーグ(米の名門私立大学8校の総称)をトップクラスの成績で卒業しているか、学生時代にアプリを開発して一山当てたような人たち」だ。

 

そんなスーパーなエンジニアたちの集まりゆえ、仕事ぶりもたいそう非常識なものを想像しがちだが、「皆ものすごくマジメに働くし、泥臭い仕事でも粘り強くやるところにこそ、アップルの強さがある」と松井氏は言う。

 

「アップルは驚くほどトップダウンの社風で、『イヤなら辞めればいい。ほかに入りたい人はたくさんいるから』というスタンスなんですね。だから、例えば『(あるソフトウエアの)パフォーマンスを数カ月で倍にしろ』というような無理難題が降りてきても、皆が文句一つ言わずに取り組みます」

 

「キャンパス」と呼ばれるアップル社のオフィス内では、日夜遅くまで開発が続いている

From blakespot

「キャンパス」と呼ばれるアップル社のオフィス内では、日夜遅くまで開発が続いている

誰もが尋常じゃない労働時間を会社に捧げながら、新しいソフトウエアや実験的なプログラムを提案するため、週末にテストコードを書いて持ってくるような職場だという。労働量を切り売りする姿勢では、絶対に評価されない。

 

だが、「在籍するエンジニア全員が天才肌でクリエイティブなわけではない」と松井氏は続ける。アップルといえど組織で開発に取り組む以上、例えば地道にバグ取りを行うような人たちも欠かせないからだ。

 

「野球のラインアップと同じで、技術屋としての実力で『メジャーの4番』にはなれない人でも、ほかの打順で存在感を発揮することはできます。そこで考えるべきは、自分はプロとして何で勝負するかということ。本当の天才はコードだけ書いていれば評価されますが、多くの凡人は入社後にメジャーでの戦い方を考えさせられるわけです」

 

では、その「戦い方」を体得するのに必要なステップとは何か。松井氏は、日本の若手エンジニアにも真似してほしいポイントとして、3つの項目を挙げる。

 

① Read Write, Write!! とにかく「質より量」で人を凌駕しよう

 

From mh.xbhd.org 書いて、書いて、書きまくる。コーディングスキルはどの世界でもエンジニアにとっての生命線となる

From mh.xbhd.org

書いて、書いて、書きまくる。コーディングスキルはどの世界でもエンジニアにとっての生命線となる

エンジニアとしての基本中の基本であるプログラミング能力は、どの製品開発部門で働くにせよ重要視されると松井氏。人のコードを読みあさり、ひたすらコードを書き続ける時期がなければ、「メジャー」に挑戦することすら許されない。

 

まずは「量こそすべて」と割り切って、プログラミングに没頭する時期を作るのが、若いエンジニアには必要不可欠なのだ。

 

「わたし自身も、20代の5~6年間はがつがつコードを書いていて、四六時中コードのことを考えているような生活をしていました。寝ている時、夢にソリューションが出てきて、起きてから実装してみたらうまくいった、という経験もあります。そのくらい"ゾーン"に入り込む経験を最低限していないと、小学生のころからコードを書き続けてきたような世界のトップエンジニアとは一緒に働けないのです」

 

② 1.5流の腕前×別スキルの合わせ技で存在意義を作ろう 

 

四の五の言わず「量」で基礎を作った後、次に考えなければならないのが、スキルの掛け合わせだ。

 

先述のとおり優秀な人材のるつぼであるアップルでさえ、プログラミング能力だけで認められるエンジニアはごくわずかしかいない。その他大勢は、企画力や調整力、マーケティングセンスなど、別のスキルとの掛け合わせでオリジナリティーを作るほかないのだ。

 

松井氏の場合は、日本のマーケットに明るかったことと、エンジニアが問題に突き当たった時に「どう悩み、どう動くか?」を実体験として知っていた強みを活かして、管理職として重宝されるようになっていった。

 

「ただし、これは『技術がダメならマネジメントを学べ』という単純な話ではありません。自分も1.5流レベルのプログラミングスキルを身に付けていなければ、一流プログラマーの悩みや行動特性を理解できないからです。若いうちはまず、そのレベルまで腕を磨くことに腐心しながら、その上で何のスキルを掛け合わせたいかを探っていくのがベターでしょう」

 

③ 「早く自転車に乗れる子ども」の行動をマネよう

 

From jonny.hunter 初めて自転車に乗る時の恐怖心を、好奇心が上回る子どもほど、早く上達するという

From jonny.hunter

初めて自転車に乗る時の恐怖心を、好奇心が上回る子どもほど、早く上達するという

3つ目のアドバイスの意味を、松井氏は現在手掛けている保育園事業での経験を引き合いに出して説明する。

 

「早く自転車に乗れるようになる子は、たとえ転んでもすぐに起き上がってまた乗るんですね。自転車に乗れるようになりたくて仕方がなくって、何度でも思考錯誤するからです。逆に、なかなか自転車に乗れない子は、最初にサドルにまたがるまでにいろいろ考えてしまう。そして不安いっぱいで漕ぎ出し、転ぶとまたしばらくヤメてしまう。だから、どんどん差が開いていくのです」

 

これとまったく同じことが、アップルで頭角を現す若手エンジニアにも当てはまるという。

 

「会社に与えられたミッションは120%の力でこなしながら、週末の空き時間でソフトウエアを自作して持ってきた若手がいたとしましょう。彼は、仮に上司に認められず失敗したとしても、どう改善すれば使えるのかを知れる分、ほかの若手よりも学びがあるのです」

 

大切なのは、最初の一歩とその後のリアクション。世界一の企業アップルで働くエンジニアですら、「早く自転車に乗れる子ども」と同じロジックで大成していく。このシンプルな成功法則を、日本のSEがマネしないのはもったいない。

 

<特集:新人SEの教科書 本編はコチラ

>> 和田卓人、倉貫義人、萩本順三「会社に頼れない時代」の技術屋が知るべき6つのこと 

 

取材・文/伊藤健吾(編集部)


和田卓人、倉貫義人、萩本順三「会社に頼れない時代」の技術屋が知るべき6つのこと【特集:新人SEの教科書】

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昨日アップした本特集の序章:元Apple松井博「世界一イノベーションを生む企業で学んだ、凡人が生きる術」の一節に、「2000年代に経営が上向いてからアップルに入社してきた新入社員たちは~」というものがある。

 

今でこそ世界中で賞賛されているアップルだが、90年代の経営不振時は、マイクロソフトや他企業の攻勢の裏でもがき苦しんでいたのだ(詳しくは松井氏の著書『僕がアップルで学んだこと』にて)。

 

これと似たような現象が、ここ2、3年間のSI企業にも起こっている。それまでマーケット自体が右肩上がりで、100人月を超えるような大規模プロジェクトも多数受注できていたが、顧客企業の「開発内製化」や「システム開発のスピードアップ」などを背景に、従来型の受託開発は逆境にさらされている。

 

そして、マーケットがシュリンクし出すと、プレーヤーもリストラ・再編成されるのが世の常。そんな「変わり目のフェーズ」にSI企業に就職した新人SEは、どうキャリアメイクしていけばよいのか。長年、エンジニアとして業界内で評価されてきた3人の先輩に、そのヒントを聞いた。

 

第一章:"作れないSE"にならないためのアドバイス

「新人SEの教科書」第1章の講師

タワーズ・クエスト株式会社 代表取締役
和田卓人氏(@t_wada

テスト駆動開発(以下、TDD)の普及役として知られるプログラマー兼経営者。学生時代、オブジェクト指向分析/設計に傾倒。その後、ソフトウエアパターンやXP(eXtreme Programing)を実践する人たちと出会い、TDDの誕生を知る。現在は講演活動やハンズオンイベントを開催しながら、TDDの普及運動を行っている

 

市場拡大期におけるSEには、「作る」ことよりも協力会社やオフショア開発のマネジメント力が求められた。若いうちから開発現場を離れ、PL、PMの役割を任されるケースが増えた結果、一時期は「SEに開発力はいらない」という風潮さえあった。だが、リーマン・ショック以後、この流れは確実に変わっている。

 

「わたしが見聞きしている感触では、たとえ大手であろうと、開発力のあるSEの重要性が非常に増してきています」

 

そう話すのは、大学生のころからプログラマーとしてのキャリアをスタートした和田卓人氏だ。現在はTDDの伝道師として知られる和田氏は、これまで大小さまざまな受託開発に従事してきた。そんな同氏が考える、"作れるSE"になるためのポイントとは何か。

 

本特集の導入として、あえて腕利きのプログラマーが語る「若手にオススメの技術習得のコツ」を聞いてみた。


【Advice 1】

技術習得はノウハウ(Know-How)よりノウフー(Know-Who)が大事

 

学生時代からプログラマーとして仕事をしていたため、常に独学で技術を学んできた和田氏

学生時代からプログラマーとして仕事をしていたため、常に独学で技術を学んできた和田氏

「わたしが仕事を始めた当時は今ほどネットでの情報収集ができなかったので、大学の図書館で『Cマガジン』のような技術専門誌のバックナンバーを取り寄せて独学していました」

 

"作れるSE"になるためには、何よりもまず言語・フレームワークといった技術習得が欠かせない。SI企業では担当プロジェクトごとに使う言語が限られるが、和田氏は少なくとも「考え方、パラダイムが異なる2、3の言語をたしなむようにしておいた方が良い」と話す。異なるプロジェクトにアサインされたり、トレンドが移り変わっても、短期間で対応できるからだ。

 

和田氏が熟読していたような技術専門誌のメリットは、巻頭特集に最新の技術動向や流行の言語が載っており、後半にある連載では基礎的な内容を深く取り上げたものがまとまっていること。

 

「プログラミングの原理原則を掘り下げて学ぶこともできるし、近い将来に必要となるプログラミング言語や開発手法を知ることもできるんですね」

 

今ならネットやSNSなどでもっと幅広くスピーディーに情報収集することができるが、逆に情報過多だったり、どの言語・開発手法に注目すべきなのかが判断しづらいというマイナスもある。

 

そこで和田氏が勧めるのが、ネット上に"仮想師匠"を持つことだ。

 

「何かを学ぶ時は、ノウハウと同じくらいノウフーも重要です。最近は言語やフレームワークが乱立状態ですから、技術系サイトやSNSのタイムラインをチェックし続けても『トレンドを追っているだけ』になってしまいます。そこで、まずは開発について"濃い情報"を持っている人たちを先に探すのです」

 

「濃い情報」とは、オープンソースコミュニティーや特定技術の専門集団で動いているエンジニアが持つ、実践を伴った開発情報だ。また、すでに各技術分野で第一人者として認知されている人を探し、その人物が発信している情報やTwitter、ソーシャルブックマークなどを注視するのも手だという。

 

「注意してほしいのは、フォロワーにしろブックマーク数にしろ、『数の多さ』は必ずしも重要ではないということ。多くの人が注目しているのは『今が旬の技術』という証拠ですが、濃い技術や話題は、むしろブックマーク数が2ケタ程度のものだったりするのです。だからなおさら、誰が注目しているかが大切になります」

 

和田氏自身が現在注目しているのは、Node.jsやJSXのような、JavaScript関連の技術に精通する人たちの言動だそうだ。では、そもそも「どんな人」に注目すればいいか分からない新人はどうすればいいか。さらなるアドバイスとして、推薦書籍2冊を挙げる。

 

「1冊は、手前味噌ですがわたしが監修した『プログラマーが知るべき97のこと』。もう1冊は『100人のプロが選んだソフトウェア開発の名著』です。この2冊の共通項は、数多くの著名エンジニアが寄稿している点です」

 

例えば『100人のプロ~』は、国内最大級の開発者向けカンファレンス「Developers Summit」のスピーカー100人が薦める名著案内だ。世界・日本で活躍するプログラマーがどんな本、著者から何を学んだかを知ることができる。

 

「Webサイトの関連リンクと同じように、有名エンジニアの『学びのソースをたどっていく』のも、有益な勉強法の一つ。たどっていく過程で見つかるコードを検証していくことで、プログラミングのヒントがいくつも見つかります」

 

【Advice 2】

自習用のサンドボックス(実験環境)を準備しよう

 

注目すべき人・技術を見定めたら、次にやるべきは実践。自分自身でコードをいじってみなければ、頭でっかちのまま終わってしまう。

 

ただ、上記したように、企業に勤めながら仕事として学べる開発言語はそう多くはない。「30歳までを目安に、2つ以上の得意分野を身につけておく」ことを勧める和田氏は、自己投資をして個人のPCに自習できる環境を準備しておくべきだと力説する。

 

「最近では、VMWareなどを利用すれば個人でも数万円程度の投資で仮想環境を持つことができます。クラウド環境のAWSや、PaaS(ネット上のソフトウエア構築・稼働プラットフォーム)で知られるHerokuなども、比較的安価で(Herokuは無料から)利用することができますから、こうした環境構築は将来への投資だと思ってどんどんやるべきです」

 

自宅でもすぐに手を動かし、開発を試せる環境を持っておく最大のメリットは、会社のプロジェクトに依存せず自分だけのソースコードを持つことができるという点。

 

「オープン化が進むこれからのIT業界では、エンジニアとして『自分はどういう人か?』というセルフブランディングがより重要になってくると思います。そんな中で、自分でコードを書き、githubなどで発信していくことは、その習熟度にかかわらず大きな財産となるはずです」

 

第2章:会社やPJTの方針に不満を持った時のアドバイス

「新人SEの教科書」第2章の講師

株式会社ソニックガーデン 代表取締役社長 CEO
倉貫義人氏(@kuranuki

大学院を修了後、東洋情報システム(現・TIS)に入社。同社の基盤技術センターの立ち上げや、社内SNSの開発と社内展開、オープンソース化などに携わる。2009年、社内ベンチャー「SonicGarden」を立ち上げ、2011年にMBOを行ってソニックガーデンを創業。クラウド&アジャイル環境を駆使した「納品のない受託開発」を展開し、業界の内外から注目を集める

 

良い悪いは別にして、規模の大きなSI企業ほど、新人・若手SEは「会社の理屈」を最優先しなければならない立場に置かれているものだ。中には勤め先やプロジェクトに対する違和感や不満が募り、早いうちに他社への転職やフリーランスへの転身を考え出す人もいるだろう。

 

倉貫義人氏も、「入社2年目くらいの時に、(前職であるTISからの)退職してフリーになろうと考えたことがある」と振り返る。学生時代からアルバイトでプログラミングをやっていた倉貫氏にとって、オフショアや協力会社のマネジメントが重視される職場が、自身の居場所ではないと感じ始めたからだ。

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「どこでも必要とされる技術屋」になるのに、立場や境遇は関係ない 

社内起業、独立と、技術力を武器に自立した人生を歩む倉貫氏。だが新人時代は悩みも

社内起業、独立と、技術力を武器に自立した人生を歩む倉貫氏。だが新人時代は悩みも

おりしも、当時(2000年代初頭)はSI企業がこぞって「技術会社」から「ソリューション企業」への転換を模索し始めた時期。SI市場の拡大を受けて、元請け会社のSEは開発業務よりプロジェクトマネジメントを任されることが増えていった時期だ。

 

しかし、倉貫氏はいろいろ考えた結果、会社に残る道を選択。

 

「会社を辞めたとして、フリーランスで100%元の会社からの仕事を受けてる限り、ただの会社員と違わないし、不安定さが増すだけ。フリーランスになったつもりで会社員を続けて、どこからも必要とされる人材になる方が得策だな、と考えるようになったんです」

 

そしてこの時期を境に、自身が疑問に感じるところや、もっと変えていけると思う部分を積極的に提案するようになっていく。同社の基盤技術センターの立ち上げや、社内ベンチャー「SonicGarden」の立ち上げを実現し、自分自身で環境を変えてこれた背景には何があったのか。

 

【Advice 3】

「自分にとっての顧客は誰か?」を知ろう

 

倉貫氏が新卒当時の先輩に教えられ、起業した今でも心に残っている教訓の一つに、「SIerはモノづくりを行うだけではなく、課題解決を実現する企業である」という言葉がある。この大原則に則れば、立場がプログラマーであれSEであれ、フリーランスでも会社員でも、自分自身が何に取り組むべきかが見えてくると倉貫氏は言う。

 

「一番シンプルなのは、『自分が今やっていることが顧客の課題解決になるかどうか?』ということです。それには、『自分にとっての顧客は誰か?』を考えてみること。よく、それは発注先だという人がいますけど、会社は顧客から得た報酬を社員に給料として支払うわけですから、フリーランスになった気持ちになれば、自分の会社も自分にとっては『お客さま』みたいなものなんですよ」

 

そう考えれば、会社や開発の現場がおかしいと感じたら、どうすれば良くなるか改善案を考えて提案するのが、「自分にとっても会社にとっても良い結果を生む」と示唆する。

 

事実、倉貫氏自身も、あるプロジェクトがうまく進まず悩んでいたのを機にアジャイル開発の勉強を始め、社内に導入の提案をして採用されたことがあるという。こうした働きかけが評価を高め、後の企業内起業へと結び付いていったのは言うまでもない。

 

では、現在でもまだ一部にしか普及していないとされるアジャイル開発に、数年前から注目できた理由はどこにあったのか。その答えが、続くアドバイスとなる「社外交流」だ。

 

【Advice 4】

半径3mより外の人と、意識的に会おう

 

現在も積極的に「社外交流」を行う倉貫氏は、自身のブログ『Social Change!』で学びの成果を発信している

現在も積極的に「社外交流」を行う倉貫氏は、自身のブログ『Social Change!』で学びの成果を発信している

「僕自身が早くから『日本XPユーザグループ』や『オブジェクト倶楽部(通称オブラブ)』に参加して、そこからほかの勉強会やエンジニアを知って人脈が広がっていったからこそ、早い段階でアジャイルの優位性に気付くことができたんです」

 

同じ会社にい続けて、しかも配属が2年以上続くような長期プロジェクトになったりすると、次第に「おかしな状態」に疑問すら抱かなく危険性がある。それを防ぐ意味でも、「半径3mより外の人、つまり外部のコミュニティーや勉強会に参加する」(倉貫氏)ことを強く勧める。

 

「今はFacebookやTwitterなどSNSが普及しているので、自分が興味を持つ技術分野で、どんな人がどんな情報発信をしているのかがすぐ分かります。だけど、社内や担当プロジェクトで行われていることが本当に正しいのか? を確かめるためには、外の世界を覗いてみるのも必要だと思いますね」

 

実は、先ほど例に挙げたアジャイル開発の提案を行っていた前後、倉貫氏は「本当に開発現場で使えるのか?」という不安を持っていたという。だが、ある勉強会に参加した際、とあるメーカー系SIに勤めるエンジニアがアジャイル開発の事例発表をしていたのを聞いて、確信を得たのだそうだ。

 

それだけでなく、「SI企業のプロジェクトは守秘義務があるから、社外で話してはいけないのでは?」という思い込みも、この発表を聞いて払拭された。

 

「僕らはプロなわけですから、本当に話しちゃいけない部分まで口外することってそうそうないはず。過度に気にして何もしないより、社外で発信してみる方が、絶対にたくさんの知見を得られます」

 

さらに、立場や置かれた状況の異なるエンジニアと接していくうち、ある気付きも得ることができた。それは、「結局このビジネスで一番価値があるのはソースコードだ」という結論だ。

 

「もし、今の勤め先でプログラミングの仕事から離されそうになっているなら、『良いソースコード』、『後々修正もしやすい価値のあるソースコード』とは何か?ということを客観的に知るためにも、早いうちに社外の人たちから学ぶ機会を持つべきだと思います」

 

地方にいる、プロジェクトが忙しいなどといった理由で、なかなか勉強会や交流会に参加する余裕を持てないのであれば、「githubなどでソースコード交流を図る方法もある」と話す。ここでも、担当プロジェクトの都合で公開できるコードがないという人は、自習内容をアップしてみるという手があるだろう。

 

こうして、在籍する企業の規模や環境にかかわらず、エンジニアとしての「個のチカラ」をどう磨いていくかが成長のカギ、というのが倉貫氏流の自己研鑽法だ。

 

第3章:数年後、「余剰SE」にならないためのアドバイス

「新人SEの教科書」第3章の講師

株式会社匠BusinessPlace 代表取締役社長
萩本順三氏(@haggy335

2000年にオブジェクト指向技術の企業、豆蔵を立ち上げ、以降ITアーキテクト、メソドロジストとして活躍してきた大ベテラン。2009年7月、匠BusinessPlaceを設立。現在は、ビジネスとITの可視化を行うための要求開発をさらに洗練・拡張させた手法「匠Method」を開発。自らユーザー企業で実践している

 

オブジェクト指向技術を専門とする豆蔵を立ち上げ、現在は独自の「匠Method(リンク:オープンコミュニティ『要求開発アライアンス』の2012年4月定例会発表資料より。15P以降が匠Methodの解説)」を通じて、ビジネスとITの"見える化"を推進する萩本順三氏。自身がSEとしてのキャリアをスタートしたのは、27歳の時だった。

 

事業会社の経理担当者からIT業界へ転身した当時はMS-DOSが出始めたころ。「なのに、わたしは前職の仕事を通して少しだけ触ったことのあったCOBOLや簡易言語、そして情報処理技術者の知識くらいしか持っていなかった」と振り返る。

 

同年代のほとんどが自分より多くの開発経験を持ち、プログラミングに勤しむ現場で、一人ゼロからスキルを積み上げながらスキルアップを実現してきた。

 

自らを「落ちこぼれプログラマー」だったと話すが、2000年には前述のように豆蔵を共同設立。現在の会社「匠Lab」を創業する前後の2009年3月までは、内閣官房IT室GPMO補佐官として政府のIT化戦略・実施マネジメント(e-japan)にも携わるなど、業界内でも屈指の戦略家として名を馳せるようになる。

 

萩本氏がプロジェクト構築・推進のエキスパートになれた理由はどこにあったのか。その答えは、IT業界に入った当時から意識してきたという独自のノウハウにあった。

(次ページに続く)

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「退屈な作業のくり返し」が創意工夫を生み出すチャンスに

IT業界に身を転じた後、当面は「いわゆる閑職に追いやられていた」と話す萩本氏。だが、その期間が後の糧となる

IT業界に身を転じた後、当面は「いわゆる閑職に追いやられていた」と話す萩本氏。だが、その期間が後の糧となる

27歳で初めてこの業界に入った萩本氏は保守中心のプロジェクトに配属されたが、その後「マシン室」と呼ばれる開発現場でも働くように。「当時はアセンブラすら分からない状態だった」(萩本氏)ため、スキル不足という壁に直面した。

 

「だから、とにかく分からないことがあると先輩や上司に質問するわけですが、周囲は迷惑だったと思います(笑)。プログラムの捨てられたゴミ箱をあさったり、"逆アセンブラ"してC言語を覚えたりと、ホントに必死になって学んだ時期でしたね」

 

こうした下積みの期間を過ごした萩本氏だが、日々同じことをくり返す中で、想像以上にスキルアップができることにも気付いた。

 

「保守のプロジェクトを『退屈だ』と『(キャリア形成上)意味がない』と感じる人もいると思いますが、わたしはいろんな創意工夫をすることで、いわゆる閑職にいてもスキルを高めることができると思っています。わたしの場合だと、空き仕事に知らない言語や技術を学ぶだけでなく、ITをビジネスに活かすヒントについてもじっくり考える時間を持つことができましたからね」

 

この「空き時間活用術」に象徴されている、「未来について考えるクセ」が、その後の萩本氏を形作ることになったという。具体的には、以下の行動習慣だ。

 

【Advice 5】

複数の言語・手法を学んだら、共通項から原理原則を理解しよう

 

From Dennis from Atlanta 膨大にある開発言語や手法を手当たり次第に学ぶことより、いくつかの共通項が見つける方が身になる

From Dennis from Atlanta 

膨大にある開発言語や手法を手当たり次第に学ぶことより、いくつかの共通項が見つける方が身になる

COBOLとわずかな簡易言語だけでエンジニアとしてのキャリアを始めた萩本氏だが、常に学ぶことを自らに課す貪欲な姿勢を持つことで、やがてCやC++、C#、Javaなど、現在も主流となる開発言語を習得していく。

 

ただ、これらの言語を「流行だから」と覚え続けてきたわけではない。萩本氏が学ぶ際に注目してきたのは、異なる言語間に共通する関数やコーディングメソッドだ。

 

「言語は違っても、コードの中で同じような関数やメソッドが使われていることに気付くと、プログラミングの原則のようなものを理解できるようになっていきます。これは開発プロセスについても同じことが言えます。一見、別々な要素から類似点を見いだして、抽象化・パターン化する思考回路を持つことで、流行が移り変わっても次へのブレイクスルーにたどり着きやすくなるのです」

 

この習慣を継続していくことで、どんなビジネスも「ロジカルさ」、「プロセス」、「モデル」、「プロジェクト進行」の4つが成功のカギになると理解できるようになったと萩本氏は言う。

 

オブジェクト指向の伝道師として、また現在推進する「匠Method」の考案者として業界内で一目置かれるようになれたのは、こうしたパターン化思考のクセづけがあったからともいえる。

 

「ちなみにこの4つの要素について、仕事を通じて学べる職種ってSE以外あまりないと思うのです。ですから、どんな苦境であったとしても、ほかの仕事ではなかなか身に付けられない普遍的な経験を積んでいると考えることも、若手SEにとっては大きなプラスになると思います」

 

【Advice 6】

「目先の仕事」と「未来の仕事」を分けて考える習慣をつけよう

 

「未来のSI」を創るのは若手の役割だと萩原氏。だが一方で目先を疎かにする危険性も示唆

「未来のSI」を創るのは若手の役割だと萩本氏。だが一方で目先を疎かにする危険性も示唆

そうエールを送る萩本氏も、現在のSI業界が迎えている転換期を乗り切るのは難しいと認める。

 

「最も大きな課題は、従来型のSIプロジェクトではビジネスを企画する側とシステムを開発する側との間に大きな溝があったこと。現在は、開発サイドも企画側へ加わり、一体となってプロジェクトを進めるのが求められています。すると、これまでのようにSI企業が大量の人月を投じるのは非効率になっていく。今後、どんな解決策や手段が必要かを、若手は危機感を持って考えていかなければなりません」

 

しかし、「先輩たちのやり方はおかしい!」、「だから自分はやらない」とそっぽを向くのも間違いだ、と付け加える。

 

「仕事には、『今、求められる仕事』と『将来、求められるかもしれない仕事』の2つがあります。特に若いうちは、まず目先の仕事から学ぶ、という姿勢も絶対的に必要です。だから、今担当しているプロジェクトを一生懸命にやりつつも、会社や配属プロジェクトの常識を疑い続けることが肝心なのです」

 

会社の常識を疑うとは、つまり「顧客は何を喜ぶのか、という視点で考え続けること」だと萩本氏。抽象化のクセづけとこの視点があれば、開発プロセスの変化や技術トレンドの変化にも、即応できるSEになれると力説する。

 

「自分自身を振り返っても、新しい技術、新しい技術と前へ前へ進んでいる時より、単純なくり返し作業の中で創意工夫をしていくと、いつのまにか自分が求めていた分析力や創造力、問題解決力がアップしていた経験があります。脳が活性化されていくような感じですね」

 

近い将来に廃れてしまうかもしれないと感じながら、与えられたプログラミングや開発手法を実践していくのは、一見、ムダな努力と思えるかもしれない。が、やや遅れてキャリアをスタートさせた萩本氏が自身の経験を通して得た確信は、

 

「変わり続ける流行を追いかけて消耗するより、普遍の理(ことわり)を見つけた人の方が、プロとして長生きできる」

 

ということ。揺れるSI業界の中で次へのステップを模索している若手SEにとっては、心強いアドバイスの一つではないだろうか。

  

<特集:新人SEの教科書 序章はコチラ>

>> 元Apple松井博「世界一イノベーションを生む企業で学んだ、凡人が生きる術」

 

取材・文/浦野孝嗣 撮影/小林 正、赤松洋太

Mozilla製品の普及に貢献した「ブラウザの母」が見据える、オープンソース文化の未来【連載:匠たちの視点-瀧田佐登子】

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プロフィール

Mozilla Japan 代表理事
瀧田 佐登子さん

1986年、日電東芝情報システムに初の女性SEとして入社。富士ゼロックス情報システム、東芝を経て、1996年米国Netscapeへ。ブラウザ製品の国際化および日本語化を担当。日本法人撤退後も1人で国内企業ユーザーへのサポートを継続した。2004年、Mozilla Japan設立を果たし2006年に現職。2007年から慶應義塾大学大学院・非常勤講師も務める


「1999年から2003年ころまでの間は、あくまで企業人のマインドでオープンソースの世界にかかわっていた気がします。フラットな立ち位置でこの世界と向き合えるようになったのは、Mozilla Foundation ができた2003年ころからなんです」

現在、国内でFirefoxやThunderbirdといったMozilla製品の普及や開発支援を行うMozilla Japan代表理事の瀧田佐登子さんは、そう打ち明ける。

1999年当時、瀧田さんはNetscape Communications社で日本語版の開発を担当する国際化エンジニアとして活躍。出産準備のため、2年間におよぶ滞米生活を終えて日本に戻ったばかりだった。

時はおりしも、Netscape NavigatorとInternet Explorerによる「第一次ブラウザ戦争」の末期。この年の前年、Netscape Communications社は、劣勢が続く事態を打開するためソースコード公開に踏み切るなど、大胆な策に打って出ていた。AOLによる同社の買収劇も、その時期の出来事だ。

「Netscape Navigatorがオープンソース化されたのは1998年のこと。とはいえわたし自身はそれまで営利企業での経験しかありませんでしたし、オープンソースプロジェクトとなったMozilla.orgも、当時はAOL傘下のNetscape 社との協業でした。そのせいか、オープンソースコミュニティーについて真剣に考える機会って、それまでほとんどなかったんです」

帰国後、瀧田さんに与えられた役割は、金融機関を中心とした顧客へのサポート業務。しかし第一次ブラウザ戦争の勝敗が明白になった2001年、Netscape Communications社は日本からの撤退を表明。その後も本社直轄のプロダクトマネジャーとして国内のサポート業務に孤軍奮闘していたものの、2003年には本社の直属チームが解散することを知り、一時はこの世界から本気で離れることも考えたという。

「子育てと家事に専念しようと思ったこともありましたね。でもあの時、今までとは違う距離感で自分の仕事を見つめ直せたおかげで、はっきり分かったことがありました。それは『自分たちが大事に育ててきたプロダクトのDNAだけはこれからも絶対に残したい』っていう強い気持ちだったんです」

ちょうどそのころ、瀧田さんは本国アメリカでMozilla Foundationが発足したのに伴い、国内でもMozilla Japan設立に向けた動きがあることを知る。彼女にとって次に取り組むべき大きな仕事に出会った瞬間だった。

Mozilla Japan設立に向け、コミュニティーと真摯に向き合う

「ITを使ってクリエイティブなことをしたかった」と話す牧野

「Mozilla Japan設立のころから、企業人としてではなく、よりフラットな目でコミュニティーを見ることができた」と話す

「Mozilla Japan設立にあたっては、まずコミュニティーが活動しやすくするために自分たちに何ができるか。そして、わたしたちは何をするための組織なのかをはっきりさせなければならないと考えました。同時にコミュニティーの皆さんからオープンソースの本質を学ばなければとも思いましたね」

Mozilla Japanが目指すべきは「Webの文化を守り技術を発展させ、その成果を次の世代に伝えていくこと」。これが明確になることで、改めて気付かされたのは、Mozillaコミュニティーの重要性だった。

「そこで、コミュニティー内の主要メンバーのもとに出向いて行っては、Mozilla Japanの設立趣旨や自分たちの思いのたけをお話ししながら、率直にお願いしました。『1人じゃできないからぜひ助けてほしい』って」

瀧田さんの真摯な申し出に、賛意を示すメンバーは多かった。一方で、「過去の成果を横取りされるんじゃないか」という疑念の声が上がったのもまた事実だった。瀧田さん自身もこれまでの経験上、批判の声を覆すには言葉だけでは足りないことは十分分かっていた。それを可能にするのは、自らの態度によって示すよりほかに道はない。

「今思うと、初めてアメリカに行った時と同じことをしていたんですよね。突然現れた日本人が向こうで信頼されるには、まずはやるべきことをきっちりやってからじゃないと誰も付いてきてはくれません。やっぱり行動によってでしか、伝わらないことってあるんですよ」

圧倒的な仕事量と実績で勝ち取った信頼の証し


瀧田さんがNetscape本社でプロダクトの国際化に携わっていた当時、アメリカに次ぐ大きな市場は日本とドイツ。中でも日本人が製品に求めるクオリティーは、本国の開発者にとって理解不能なほど高いと思われていた。

「わたしが不具合のリストを開発者に見せると、『本当にこれは直さないといけないの?』って何度言われたか分かりません。例えば『文字化け』や『コスメティックバグ』と呼ばれる些細な不具合は、開発者の中でも軽視されがち。だから『これを直したらきっとシェアも伸びるし、あなたにも良いことがあるから』なんて言いながら、しぶしぶ修正してもらったりしていましたね」

半ば強引なやり方のようにも見えるが、それでも開発者が付いてきてくれたのは、瀧田さんが現場に入ったことで日本市場の評価も好転したからだ。これに加え、仕事にかかわってくれた同僚たちが、その功績によりポジションを上げたこともある。だが、それだけではなかった。

「向こうで仕事をしていると、日本のオフィスが開くのがちょうど夕方。やり取りしているうちに、気付くと夜中の12時を回っているなんてこともしばしばでした。でも『こんな時間に駐車場に出るのは怖いし』なんて思っていると、いつの間にか朝(笑)。アメリカに滞在していた時は、たいていそんな毎日でしたね」

「Chibi(瀧田さんの愛称)はクレージー」。これが彼女の働きぶりを見た同僚たちの印象だった。しかし、彼らはその言葉の後、多くの場合「でも」と言葉を継いだという。

「でも......彼女の言うことを聞けば日本のシェアは保てる。彼女に付いていけば間違いない」。その言葉こそ、異文化に飛び込んだ瀧田さんが圧倒的な仕事量と実績で勝ち取った信頼の証しだった。

信条は「トライなくして結果なし」。結果は後からついてくる

1986年に入社した日電東芝情報システムで、女性初の汎用機SEとしてキャリアをスタートさせた瀧田さんは、その後もITの歴史と歩調を合わせるかのように、UNIX、Java、ブラウザ、そしてオープンソースコミュニティーと出会い、自分のキャリアと結び付けてきた。先々を見据えたキャリア戦略を持ち合わせた結果のようにも見えるが、自己評価は異なる。

技術を身につけることを「手に職」というが、牧野の場合「手が職」といった方が当てはまるかもしれない

「成功したことがない」と瀧田さんは話すが、その思いが挑戦し続けるためのモチベーションなのかもしれない。


「先々のことが分かったら、こんなに苦労しないですよ(笑)。それにわたし自身、自分のことを成功したなんて全然思っていませんし、どちらかというと失敗の多いキャリアだったと思っているくらいです。水鳥が水面下で必死に足を動かしているじゃないですか。あれと一緒。ひたすら努力して、その時々で必要とされるところに行っただけなんです」

この思いは、非営利団体の長となった現在も変わらない。しかし彼女の関心は、かつてのようにプロダクトのシェア拡大によって世界を変えることではなく、より広く世界を見渡した時に感じる不具合を、いかにオープンな手法で解決していくかに変わりつつある。

「オープンソースコミュニティーとのかかわりを深めることで、この世界の素晴らしさを感じる機会は増えましたね。例えば、若くて経験が乏しかったある開発者が、勇気を出してコミュニティーに参加したところ、世界中の開発者から得た有益な助言によって成長を促され、コミュニティーの中で重要な存在に成長していくのを間近で見たことがあります。こういうことが現実に起こるのが、オープンソースコミュニティーの素晴らしさだと思うんです。それに、誰がどんな貢献したのかはっきりと示すことができる世界ですから、自分の成果を上司や他人に取られてしまうようなこともない(笑)。こうしたフェアでフラットな文化を、もっと若い人たちに実感してほしいと考え、最近あるプロジェクトを立ち上げました」

技術を身につけることを「手に職」というが、牧野の場合「手が職」といった方が当てはまるかもしれない

『Mozilla Factory』ホームページ


それが、『Mozilla Factory』という新プロジェクトだ。このプロジェクトはMozilla Japanが主体となり、高校生や大学生による『チューター』と各分野で経験を積んだ『メンター』が、中高生を中心とした『プレイヤー』とともにモノづくりの面白さや醍醐味を共有する学びの場。今後、デザインやコミュニケーション、アートなど、ITに限らず活動を広げていく計画だという。

「日本の企業はアメリカの企業に比べ、まだまだオープンソースを上手に使いこなせていませんし、利用するばかりで得た成果をコミュニティーに還元しないケースも目立ちます。このプロジェクトは日本の企業に、オープンソースやオープンイノベーションの持つ本当の価値を体感してもらうための取り組みでもあるんです。この活動を通じて、わたしたちは将来のWebのあり方を探るだけでなく、次の世代のコミュニティーを支える人材を輩出していきたいと考えています」

リアルとバーチャル、個人や組織の枠にとらわれず、オープンな発想でITとそれを取り巻く未来を考える。瀧田さんが好んで使う「トライなければ結果なし」というフレーズにも符合する試みだ。

「プロジェクトの成果も自分のキャリアも、後からついてくるものだと思うんです。好きこそ物の上手なれって言いますよね。まずはできることから始めてみることが大切だと思います。失敗だって成功の糧になる。どんなことにもどん欲に挑戦することを、若い世代にどんどん伝えていきたいと思っています」

瀧田さんのことを、日本が生んだ「ブラウザの母」と呼ぶ声がある。その母の目には、すでに子どもたちの明るい未来が映っているのかもしれない。

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴

ソーシャルグルメ写真アプリ『miil』開発チームが目指す、"ニットのような"チーム作り【梅木雄平の億単位調達ベンチャー「開発の非常識」】

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世の中に新しいWeb(アプリ)サービスを生み続けるWeb系スタートアップたち。本企画では、その中でも今後大きく成長する余地のある注目企業として、1億円以上の資金調達を行った企業の開発スタイルに迫る。自身のブログメディア『TheStartup』も人気を集める梅木雄平氏をインタビュアーに招き、Webサービスやアプリに"魂を込める"開発チームの特徴を明らかにしていく。
インタビュアー

フリーランス マーケター
梅木雄平

フリーランスにてWebサービスの新規事業のコンサルティングやマーケティング、ライティングを手掛ける。VC業界での経験を活かした事業分析や投資家関連の記事を展開するブログメディア「The Startup」を主宰。有料オンラインサロン「Umeki Salon」は会員100名突破間近

miil』を運営するFrog Appsは2012年5月に2.4億円の資金調達を実施しており、今後さらなる成長が期待されるスタートアップだ。今回はFrog AppsのCTO、増井雄一郎氏に『miil』の開発の概要について伺った。

 

増井氏はフリーランスのエンジニアとして渡米していた際に写真共有アプリを制作した経験があり、その経験を元に写真共有アプリのフレームワークを作ろうと考えていた。そんな折に、食べ物の写真共有アプリをやりたいと思っていたFrog Apps代表取締役の中村(仁)氏と出会う。増井氏は同氏の話を聞き、自身のノウハウを活かして『miil』に取り組めれば面白いのではないかと思い、『miil』を開発するFrog AppsにCTOとして参画することになった。

 

ソーシャルグルメ写真アプリ『miil

『miil』は2011年10月にリリースされた「食事をもっと楽しもう」をコンセプトとしたソーシャルグルメ写真アプリで、特に主婦が投稿する手作り料理の写真を中心にコミュニティを醸成している今注目のアプリである。コミュニケーション機能の一つである「食べたい」ボタンは現在(2012年6月13日)までで約200万回以上押されている

 

サーバ・iOS・Andoroidの3名を1チームにし、2ライン体制を構築したい

2011年10月にアプリをリリースした際は、サーバサイドを増井氏が手掛け、iOSエンジニア1名がフロントエンドを開発していた。今はAndroid開発を担当するエンジニアが1名加わった3名体制となっており、賄い切れない部分は外注している。適材適所の開発スタイルを進めているため、今までiOSエンジニアは4名変わっており、みなフリーランスエンジニアであった。

 

「開発チームを作るよりも、まずはサービスの土台作りを優先してきた」と話す増井氏

「開発チームを作るよりも、まずはサービスの土台作りを優先してきた」と話す増井氏


スピードを優先したため、チームを組んでじっくり開発するよりも、能力が高くて勘が良い人を短期間で採用してきた。4名が入れ替わり立ち代わりiOSアプリ開発にかかわっていてもソースコードは一度も破綻しておらず、引き継ぎもスムーズ。能力の高い人で素早く立ち上げるという開発方法は、一つの手法として機能していた。

 

また、増井氏自身がTitaniumのエバンジェリストとしてオープンソースコミュニティに携わっていることもあり、大人数で一つのシステムを作ることに関しては一日の長がある。『miil』の開発でも、プログラムをパートで分けたり、後でマージしやすい開発環境を作れたりしたのも、その経験が活かされているそうだ。

 

だが、「今後さらにサービスを拡大していくには、現状では開発速度が追いつかず、フルタイムのエンジニアを採用したい」と、増井氏は話す。サーバサイド、iOSエンジニア、Androidエンジニアの3名を1チームとし、既存のチームに加えてもう1チーム組成し、平行して2ライン体制を整えたいと考えている。チーム内でプロジェクトを1カ月くらいずつ回すサイクルを作りたいようだ。

 

オンラインベースのつながりで、ニットのような開発チームを目指す

普段オフィスで隣り合わせの席で仕事しているわけではなく、それぞれがオフィス外で仕事をしているFrogApps。Facebookグループでのコミュニケーションを中心としているのが、開発の決めごとだ。

 

口頭だけのコミュニケーションではなく、オンラインだとすべてログが取れているため、結果として抜け漏れがない密なコミュニケーションができている。例えば、Facebookグループで仕事の相談や情報共有をしたり、タスク化した事項に関してはRedmineに落とし込んで管理したりしているそうだ。その他に週に2度、1時間ほど『miil』関係者全員参加のグループチャットで業務連絡を行い、週に1度、全員がオフラインで顔を合わせた打ち合わせをしている。

 

プロジェクトの進め方に関しては、増井氏が以前1人の部下にプレゼンするために作成した資料もあり、プロジェクトの方針をチームに分かりやすく伝える努力をしている。

「ニットのようなチームであることが良い開発チームの条件」であると、増井氏は考える。「ニットのような」とは、交互に編み込みができているという意味である。

 

スタートアップにおいては、コミュニケーションの取りやすさが特に重要であり、呼吸が合うか否か、相性の要素も強い。相性の良さは第一印象でパッと判断できることも少なくないそうだ。あとは、サービスのプロデューサーがやりたいことをどう実現するか。プロデューサーが言っていることを把握して、サービスをどう作れるか。そういう機転を利かせられるか否かも重要だと語る。

 

小さい会社のチームビルディング体験はエンジニア人生の資産になる

今まではすべて知り合いのツテで採用しているということもあり、Frog Appsの平均年齢は30代後半。特にエンジニアは自らのソースコードを公開しているメンバーが多く、講演でスピーカーを務めるようなメンバーもおり、能力が高いフリーランスが多数携わっていた。資金調達したばかりということもあり、Frog Appsではエンジニア採用に力を入れていくようだ。

 

開発チームは3名1チームの2ライン体制にしたいと上記でもあったが、現状は1ラインのため、新規に1ライン組成したいと考えており、中でもサーバサイドとiOSエンジニアの採用ニーズが強い。2ラインで大きなタスクを進めるチームと、細かいタスクに対応するチームに分けて開発を進めるのが効率的であると増井氏は考えている。ちなみに開発言語はRubyであり、サーバサイドはRubyを書けることが望ましい。

 

開発体制強化のため、今後はフルタイムでコミットできるエンジニアを歓迎していると言う

開発体制強化のため、今後はフルタイムでコミットできるエンジニアを歓迎していると言う


『miil』では基礎的な部分の作り込みはすでにできているので、今後はUIの作り込みや、マーケティングの施策と連動した素早い実装ができるエンジニアを求めている。スマートフォンアプリが好きで、新しいことに対して興味があり、ビジネスサイドのメンバーとコミュニケーションが取れる人材が望ましいようだ。現状のチームに20代はいないが、より幅広い年齢層にするためにも、20代のメンバーも歓迎している。

 

『miil』の立ち上げに関しては、チームメンバーがノウハウを持ったベテランが多かったということもあり、ノウハウを結集して効率的に素早く立ち上げた。若手が多いチームであれば、時間を大量に投下し、こたつでレッドブルを飲みながら開発するというのも悪くないし、自身も若いころにそういう時期があったと増井氏は振り返る。チームメンバーに合わせたカルチャーの醸成はチーム力を高めるために必要なことであろう。

 

「若いうちに小さい会社のチームビルディングを体験し、共に試行錯誤しながら一緒に勉強できることは、エンジニア人生の資産になるだろう」と増井氏は語る。増井氏も上記の「プロジェクトの進め方」のノウハウを公開しつつ、メンバーと共に、良いチームを作っていきたいと考えているようだ。

 

今の時代、入社した会社に一生在籍することは考えにくく、スタートアップであれば2~3年程度の周期で転職や独立などでステップアップしていくエンジニアが多いのではないかと増井氏は考えている。だからこそ、『Frog Appsを踏み台にステップアップを狙いたい』というようなエンジニアも歓迎したいそうだ。

 

撮影/小禄卓也(編集部)

黎明期の終わり―これからのアプリマーケットは「語れる技術屋」だけが生き残る【連載:中島聡②】

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中島聡の「端境期を生きる技術屋たちへ」

株式会社UIEジャパン Founder
中島 聡

Windows95/98、Internet Explorer 3.0/4.0のチーフアーキテクトを務めた世界的エンジニア。NTTに就職した後、マイクロソフトの日本法人(現・日本マイクロソフト)に移り、1989年、米マイクロソフト本社へ。2000年に同社を退社後、UIEを設立。経営者兼開発者として『CloudReaders』や『neu.Notes』といったiOSアプリを開発している。シアトル在住。個人ブログはコチラ

 

こんにちは、中島です。連載の第2回は、アプリマーケットの端境期についてお話ししたいと思います。

 

このテーマについて考えるきっかけとなったのは、「アプリの終わりの始まり」という記事でした。記事の筆者である小川敦さんは、2012年2月27日から開催されていたMobile World Congress 2012で、コンサルティング会社frogのScott Jenson氏によるプレゼンテーションを聴いて共感し、同氏の論旨に沿いながらアプリマーケットの今後を展望しています。

 

そこで提示されたのが、「アプリの海」という問題点。以下は、記事からの引用です。

 

ユーザーはアプリをウィンドウショッピングし、見つけ、試用し、ダウンロード/インストールし、利用し、アップデートし、
最後はアンインストールするという管理作業に膨大な
時間的・経済的コストを費やしている。
(中略)
現行のアプリ・システムはまだ何とか維持できている状態だが、
今後、アプリの数が2倍、3倍、さらには10倍に増えればもはやサステナブルではない。
このように「アプリの海」の問題は現在進行形で深刻化している。


AppStoreのように世界にアプリを流通できるマーケットが「商売」を変えたが、それも今はレッドオーシャンに

App Storeのような世界にアプリを流通できるマーケットが「商売のあり方」を変えたが、現在はレッドオーシャンに


ここで指摘されている問題は、わたしも同感です。現在のアプリマーケットは、ユーザーの選択肢があまりに増え過ぎて、何が本当に良いアプリなのか分かりにくくなっているでしょう? それに、「アプリの海」問題は、開発する側にとってもコスト回収を難しくしています。


アップルのApp Storeだけでなく、Google PlayやWindows Phoneなどのマーケットに対応していこうとすれば、各デバイスへの対応まできっちり行わなければなりません。特にAndroidアプリの開発は、デバイスごとにテストしなければならない手間を考えると、ビジネスとして成立させるのが非常に難しい。


これは日本でもシリコンバレーでも、世界中で同じ状況です。つまり、世界のアプリマーケットは、アプリ単体の開発で「アイデアと腕一つで誰でも大儲けできる」という黎明期が終わり、これからは成熟期に入っていくのです。


では、アプリ開発者は、この成熟期をどう生きていけば良いのでしょうか。

 

技術だけで革新は起きない。潮目をつかむため「妄想」を語れ

記事内で、Jenson氏と小川さんは「これからの主流は『ジャスト・イン・タイム』のインタラクションになる」と予測していますが、わたしはこの示唆にとても共感しました。要するに「その場限りで使えるアプリ」への期待は、スマートフォンの普及やジオ系技術の進歩などとあいまって、もはや時代の趨勢だと思っています。

 

例えばディズニーランドの案内図。遊びに行った時にだけ自動的にアプリが作動し、案内図やお得な情報を示してくれたら、とても便利ですよね。また、ある商業施設のレストラン街に行った時、各レストランのメニューを提示してくれるアプリが自動的に起動すれば、いちいちお店を見て回る労力を省けるでしょう。



ジャスト・イン・アプリの構想を90年代から持ち続け、パテントも持っている中島氏

ジャスト・イン・タイムアプリの構想を90年代から持ち続け、関連パテントも取得している中島氏


実は、わたしはこのようなジャスト・イン・タイム構想を、マイクロソフトにいた1998年ごろから考え始めて、社内で提案していました。仕組みはこうです。


例えばメールでパワーポイントの資料を添付した場合、受け取る人のPCにMicrosoft Officeがインストールされていなければ見ることができませんよね。閲覧専用のビューアーを無料で配布する、という方法もありますが、汎用的ではありません。


そこでわたしが提案したのは、ドキュメント自身にインテリジェントを持たせて、アプリケーションなしでもユーザーとのやり取りができてしまうというアーキテクチャです。


この考え方は、技術者には評判が良かったものの、実際のプロジェクトとして承認されることはありませんでした。ソフトウエア販売で利益を得続けるというマイクロソフトのビジネス構造を、根底から覆すものだったからです。


ただ、それについて恨み節を言うつもりはありませんし、当時のマイクロソフトが判断を誤ったとも思っていません。技術というのは、外部環境、つまりインフラやデバイス、マーケットが整わないと、どんなに先進的なものでも普及しないからです。


新しい技術には、機が熟すタイミングが必ずあります。そして、そのタイミングを考えると、既存のアプリマーケットの終わりは、ジャスト・イン・タイムアプリが普及し始める絶好機なわけです。


では、こうした新しい流れを先取りし、具現化していく開発者になるには、何が必要なのか。わたしが皆さんにお薦めするのは、「妄想を語れ」ということです。


「スタバのマンガ喫茶化」構想に見る、成熟期の仕組みづくり

「アプリの終わりの始まり」を読んだ時に思い出したのは、わたしが数年前から妄想していた「オンデマンドアプリ」の発想です。具体的には 、「スタバのマンガ喫茶化」と考えてもらっても良いと思います。


スターバックスに行くと起動するスマートフォン用メタアプリを作り、各店舗にはそのアプリにデータとしてマンガ閲覧アプリとか、クーポンアプリなどを送るシステムを用意しておく。で、スターバックスにコーヒーを買いに行くと、お店にいる間だけマンガが読み放題になったり、値引きポイントがたまるようにして、来店率を上げるのです。



中島氏が「妄想」で生み出したジャスト・イン・アプリを使えば、スターバックスの楽しみ方も倍増!?

中島氏が「妄想の中」で生み出したオンデマンドアプリを使えば、スターバックスの楽しみ方も倍増!?


現実的には来店客の回転率の問題や、システム構築費用など、いろいろ検討しなければならなりませんが、これが実現できたらたくさんの人が利用したがると思いませんか?


こうやって妄想を膨らませて、「われながら面白い構想だ!!」なんて自画自賛していたわけですが(笑)、当然ながらわたし一人の努力だけでは実現できません。仮にわたしがメタアプリを開発したところで、先ほどお話したシステムしかり、マーケティングの観点からこの取り組みが有益なのかなど、ビジネスサイドの人たちと協力して仕組み全体を作り上げなければなりません。


これが、黎明期から成熟期に入るアプリマーケットで、開発者に問われる視点だと思うのです。つまり、アプリ開発者にもマーケティング、ビジネス的な発想が求められるようになる。生粋のエンジニアにありがちな「良いモノさえ作れば売れる」という考えは、もう通用しなくなると思っています。


とはいえ、わたしを含め、アプリ開発者が一人でビジネスのエコシステム全体を作り上げるのは不可能に近い。そこで、うまく仕組み化してくれそうなビジネスサイドの人を探したり、社内外でそういう人との出会いを引き寄せるために、半分くらいまで開発した後に「妄想を語る」必要が出てきます。


浮かんだ妄想をソシアルなネット上で披露すれば、もしかして優秀なマーケッターや起業家の目に留まるかもしれません。そして、今度はそのマーケッターの要望を技術面で見直せば、具体的な仕組みづくりのきっかけが得られるかもしれない。こうして、アプリ単体では生み出せない、新しい価値を構築していくんです。


もし、わたしがここで語った「スタバのマンガ喫茶化」に賛同してくれるビジネスパーソンがいたら、ぜひ声をかけてほしいです(笑)。


マーケットが変容しても「良いプロダクト」を作り続ける条件

最後に、この仕組みづくりにエンジニアもかかわるべき理由を、ちょうど今わたしが開発を進めている教育アプリを例にしてお話しましょう。


スマートフォンアプリを使って勉強をしてもらうには、アプリそのものの利便性も大切ですが、「勉強をついつい続けてしまうような仕掛け」も大切です。一度ダウンロードしてみたけれど、数回使って利用しなくなる、というアプリはごまんとありますからね。


わたし自身、この「使い続けるための仕掛け」をどう構築するかで、いろいろと悩んでいる最中です。そして、この命題を技術者だけで解決するのは、前述の通りなかなか難しいでしょう。UIであったり設問の出し方だったり、技術以外の部分で検討しなければならないことがたくさんあるからです。


わたしの場合は、このアプリ開発には教育者である羽根拓也さんという仲間がいるので、羽根さんに仕掛けづくりの相談をすると、「わたしがユーザーなら、そばについて応援してくれるサポーターが欲しいかも」などと、何気なくヒントをくれる。そうやって得た気付きを開発面からとらえ直すと、「学習内容をFacebookにポストするような機能があれば応援者が増えるかもな」というように、さらに妄想が広がるわけです。


アプリであろうがWebサービスであろうが、開発で最も重要なのは「何を作るのか?」を決めること。ここがあやふやだと、でき上がったモノも中途半端になりますからね。その意思決めの段階で、企画と技術の両面から仕様を固めていくのが、良いプロダクトづくりの必須条件になります。

 

だからこそ、エンジニアが「語る」ことの大切は、これからもっと際立ってくるのです。


撮影/竹井俊晴(人物のみ)

 

<過去の中島聡連載>

FacebookとGoogle+の違いから、ソシアルな時代の「優秀な開発者」を定義する

コアコンピタンスにリソースを集中させ、少数精鋭でクリティカルな開発を行う印刷ポータルサイト『raksul』【梅木雄平の億単位調達ベンチャー「開発の非常識」】

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世の中に新しいWeb(アプリ)サービスを生み続けるWeb系スタートアップたち。本企画では、その中でも今後大きく成長する余地のある注目企業として、1億円以上の資金調達を行った企業の開発スタイルに迫る。自身のブログメディア『TheStartup』も人気を集める梅木雄平氏をインタビュアーに招き、Webサービスやアプリに"魂を込める"開発チームの特徴を明らかに していく。
インタビュアー

フリーランス マーケター
梅木雄平

フリーランスにてWebサービスの新規事業のコンサルティングやマーケティング 、ライティングを手掛ける。VC業界での経験を活かした事業分析や、投資家関連の記事を展開するブログメディア「TheStartup」を主宰。有料オンラインサロン「Umeki Salon」は会員100名突破間近


『raksul』を運営するラクスルは、2012年4月に1.1億円の資金調達を発表しており、今後さらなる成長が期待されるスタートアップだ。今回は同社CEO・松本恭攝氏と技術担当取締役の利根川裕太氏に『raksul』の開発スタイルと今後の展望を伺った。

ルーペで印刷の品質をチェックするラクスル利根川氏

ルーペで印刷の品質をチェックするラクスル利根川氏

ラクスルは2009年9月に松本氏が創業。それから1年半ほどフルタイムの社員は松本氏一人だったが、知人を通 して利根川氏と出会う。氏はラクスルのビジョンや松本氏の人柄に惹かれ、ラクスルに興味を持ち始めていった。

およそ1年半の間、会社勤めをしながら事業を手伝っていた利根川氏は2011年5月には前職を退社し、2人目の正社員として正式にラクスルに参画。ラクスルではLAMPでのWebアプリケーションの開発を行なっている。

その後2011年の夏にはインターン生の採用を始め、5人のインターン生とエンジニアチームを発足。エンジニアの中には外国からの留学生もいた。学生インターンの中の1人は2012年4月に新卒で入社し、2人目のエンジニアとなる。彼はもともと大学院に進学予定だったが、自分が開発したサービスが世に出ることの楽しさをラクスルで知り、大学院進学をやめて入社したそうだ。当初は大学での研究で利用していたC言語のみであったが、他の言語を習得するペースも早く、すぐに戦力となり活躍したという。

印刷ポータルサイト『raksul

2010年4月に『印刷比較.com』として運営を開始し、その後2010年9月に『raksul』にリニューアル。印刷通販価格比較印刷一括見積もり、印刷関連のコンテンツを配信するラクスルマ ガジンなど幅広く印刷関連の事業を手掛け、国内市場5.5兆円の印刷業界で、その仕組みを変えていくことを目的としたスタートアップである。


必要に迫られた」開発がチーム力を底上げ

談笑するお二方の後ろには、気にせずくつろぐ社員も

談笑するお二方の後ろには、気にせずくつろぐ社員も

現在の開発体制は前述の社員2名のほか学生インターンが3名、スポット的な開発を外部のエンジニアに委託するという体制になっている。主な業務内容は運営サイトの改善、新規事業のサイト開発である。

これまで利根川氏と新卒エンジニアという体制で開発を続けてきたが、サービスが成長するにつれてそれまで手をつけたことがないような開発事項が次々に出てくる。その時々で必要なものを開発していった結果、スキルが身に付いていった。

スタートアップという、スピードが求められる環境の中で開発を続けていくことで、力が磨かれてゆく。それは、ドラゴンボールでいう「精神と時の部屋」に喩えることができるかもしれない。短期間でさまざまな課題を解決しなくてはならないという必要に迫られて、急速にスキルが磨かれるのであろう。

内製するのは、事業のコアコンピタンスのみ

「自分たちで持つもの、持たないものを戦略的に考えて、スピード重視の経営をする」松本氏

「自分たちで持つもの、持たないものを戦略的に考えて、スピード重視の経営をする」松本氏

ラクスルの経営思想として「得意分野で高いパフォーマンスを出すことに注力すべき」という考え方がある。

開発業務すべてを内製する必要はなく、事業のコアコンピタンスとなるものに優先的にリソースを配分することで事業のスピードが速まると考えている。

事業のコアコンピタンスにならない、スポット的な実装については外部のリソースを積極的に活用する。例えば、今後オープン予定のEC事業のクレジットカードなど決済機能の実装は外注している。スタートアップにしては委託費に大きなコストを掛けているというが、スピードと品質を両立させる手段だと松本氏は考えているようだ。

サイトの設計についてはエンジニアと企画担当が仕様を話し合って決めるが、実際の開発の現場では実装の優先順位や実装方法はエンジニアが決めており、個人に裁量がある。それゆえ、プロデューサーの指示を待つエンジニアではなく、ビジネスサイドと膝を付き合わせて仕様定義からできるエンジニアを歓迎したいと話す。また、厳密に仕様を決めてから開発を始めるというよりは、まずは開発をリリースしてからPDCAを回すというカルチャーもある。

未体験の課題をも楽しめる人がラクスル向き

今後開発を進めていくにあたって、今後の開発課題は3つあり、中長期的にはこれに合わせて開発セクションを3つ設けたいと思っているようだ。1つ目はラクスルのWebサイトのユーザーエクスペリエンス及びコンバージョンの向上、2つ目はPDFや印刷データのやり取りの効率化、3つ目は印刷の製造および流通部分の効率化だ。

例えばAmazonはWebサイトのユーザビリティだけではなく、倉庫のオペレーション改善など、ビジネスの裏側の業務改善で業界全体の効率化を実現している。ラクスルでも「印刷業界の効率化」を掲げており、流通の世界を変えたAmazonのように、エンジニアの自由な思想で効率化を推進することで、印刷業界という古い市場にイノベーションを起こしたいと考えている。

そんなラクスルでは、「体験したことのない課題の解決方法を自分自身で見つけ出すことができる人」が求められるエンジニア像。ルーティン業務ではなく、新しい課題にチャレンジしていくことになるので、そのような気概のあるエンジニアを歓迎している。「まだ解決されていない課題を解決したい、というエンジニアに向いている職場」だと松本氏は言う。

開発メンバーを増やし、事業のスピードを加速させたいラクスルでは、現在エンジニアを絶賛募集中。自分自身の開発力で会社をけん引してやるという気概のあるエンジニアは、ぜひラクスルの門を叩くことをお勧めする。

自分で考えて動けるエンジニア、待ってます!

自分で考えて動けるエンジニア、待ってます!

最大の気付きは岡本太郎から!? 「HTML5とか勉強会」主催者が若手エンジニアに贈る三位一体のメッセージ【対談:法林浩之×白石俊平】

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市場や技術の流れが、めまぐるしく変わるIT業界において、専門領域の技術者として己を磨くには、どうすればいいのか。ITイベンターとして幅広い人脈を持つ法林浩之氏が、それぞれの技術領域において親交の深いベテランエンジニアとの対話を通し、生涯技術者を目指す20代の若者に贈る「3つのメッセージ」を掘り下げる。

ITイベンター・法林浩之のトップエンジニア交遊録

日本UNIXユーザ会(jus) 幹事・フリーランスエンジニア
法林浩之(ほうりん・ひろゆき)

大阪大学大学院修士課程修了後、1992年、ソニーに入社。社内ネットワークの管理などを担当。同時に、日本UNIXユーザ会の中心メンバーとして勉強会・イベントの運営に携わった。ソニー退社後、インターネット総合研究所を経て、2008年に独立。現在は、フリーランスエンジニアとしての活動と並行して、多彩なITイベントの企画・運営も行っている。2012年には、「日本OSS貢献者賞」を受賞

今回の対戦相手

株式会社オープンウェブ・テクノロジー  代表取締役
白石俊平

1978年生まれ。Javaエンジニアとして業務システム開発に従事した後、2006年にテクニカルライターに。Java、JavaScriptなどの技術に関わる執筆を続ける中で、『Google Gearsスタートガイド』(技術評論社)を発表。2009年以降はHTML5に傾倒。開発者コミュニティ「HTML5 Developers JP(現在のhtml5j.org)」を立ち上げ、また月1回ペースで「HTML5とか勉強会」を開催。2010年には『HTML5&API入門』を出版した


法林 「トップエンジニア交遊録」第3回は、今をときめくHTML5の第一人者、白石俊平さんにご登場いただきます。白石さんとじっくりお話ができるのは今回が初めてなので、わたしも楽しみなんですが、まずは独特の経歴をお持ちだと聞いているので、そこから教えていただけませんか?

白石 はい。今でこそわたしは「Webの人」と思われていますが、もともとは業務アプリケーションの世界にいたんです。まあ、そうはいってもWebの業務アプリ開発が大部分。Javaでガシガシコードを書いていた時期が長かったんです。

法林 世代的にもIE6がブラウザシェアのほぼ100%という時代ですよね、きっと。その時代に業務用Webアプリのプログラミングということになると、あまりOSSを使うようなことはなかったんですかね?

白石 その辺は恵まれていました。当時はOSSの使用を禁止するところもけっこうあったんですが、Tomcatなどを使えるプロジェクトに当たることが多くて、ベースはOracleだけど、ツールはかなり自由に選べたんです。一時期、会社といっても技術者を派遣するのがメイン業務みたいな、いわゆる出向が多いベンチャーにいたんですが、そのころからはアーキテクト的な位置付けで仕事を任せてもらえる機会が増えていきました。そういう部分も、後々の自分の仕事に活きていますね。

法林 でも、転機があったわけですよね? それって、いつごろ、どんな風に?

白石 アーキテクトの仕事って面白いんですよ。でも、わたしとしてはずっと続けていると正直あきてくるところもあって。技術領域的にも「そろそろ自分を転換していきたいな」と考え始めたタイミングで、ちょっと事件がありまして、それが最初の転機でしたね。

二人の出会いは、法林氏がイベント運営にかかわるLLイベントだったという

二人の出会いは、法林氏がイベント運営にかかわるLLイベントだったという

法林 事件って(笑)、いったい何が?

白石 非常にタフな案件を担当している時にリーダーが逃げ出しちゃいまして(苦笑)、プロジェクトが頓挫したんです。それをきっかけに別のベンチャーへ移ってアーキテクトの仕事をしたものの、そこも志が高いとは言えない環境でした。

そこでくすぶっているうちに、自分のことを真剣に考え始めたんです。一言で言えば「自分の人生は自分でドライブしたい」と強く望むようになった。それでフリーのエンジニアになりました。

法林 「自分でドライブしなきゃ」という考え方には共感しますね。わたしの場合はそう思えるまで15年くらいかかったけれど、白石さんは比較的早くその思いで動き出したわけですね?

白石 そうなんですが、実はフリーになっても「ドライブ感」は得られませんでした。リスクを背負って自分一人で立ち上がる、というような本当の意味での自立が怖くて、結局それまでと同様、頼まれた仕事をコツコツやる感じが続いたんです。本当の転機がどこだったかというと、もうちょっと先、ライターになろうと決めた時がそうだったんだと思います。

法林 そこですよね、白石さんのご経歴の特徴的な部分って。でも、そろそろこの対談の毎回のテーマでもある部分を先に聞いちゃってもいいですか?

白石 「長生きする技術屋」の3つの条件でしたよね。ちょうど今、その1つにつながるところをお話したところですし、残る2つもここで言っておきますね。

【1】 自分のやりたい方向にドライブを掛ける
【2】 意識的に「つながる」
【3】 とにかく学び続ける


法林 なるほど、1番目の話にちょうど差し掛かっていたわけですね。じゃあ、続きを教えてもらいましょう。

ライターという職務を通じて出会った「やりたいこと」

Javaエンジニア→テクニカルライター→技術フェローという、異色の経歴を持つ白石氏が持つ3つのメッセージは、すべてがひとつながりの、普遍的なメッセージだ

異色の経歴を持つ白石氏が持つ3つのメッセージは、すべてがつながる普遍的なものだ

白石 わたしはすでに結婚もしていて、多少の迷いや、モヤモヤ感はあったんですが、『JavaWorld』から「Javaのフレームワークの特集をやるので記事を書いてみないか」と言われ、ライターという仕事を考えたんです。

新しい技術の情報を仕入れて、それを読者であるエンジニアに向けて文章でアウトプットしていく。これって自分の勉強や成長にもつながるんじゃないか、と考えたんです。

法林 じゃあ、メディアで書いていくうちに、著書を出す依頼も来たんですね?

白石 その辺はラッキーでしたね。そもそもJavaWorld誌で書かせていただいた経緯もそうでしたけれど、ライターというのは人と人とのつながりで仕事というのが発生するんです。そうしていろんなところで書いていくうち、『Google Gearsスタートガイド』のお話もいただきました。そして、これがきっかけになってGoogleともつながることができ、Google API Expert(現Google Developer Experts)の一員にしてもらったんです。

法林 じゃあ、そのあたりで再びエンジニアとしての生き方を考え始めた?

白石 ライターという仕事のおかげで、例えば当時は今ほど注目されていなかったJavaScriptや、ちょうど出始めのころのAjaxを詳しく知ることもでき、それが後々HTML5の仕事でも役に立ったりしています。そういう意味では、ライターをやったことが自分にとってすごく大きかったとは思うんですが、「50歳を過ぎた時にライターをしている自分がイメージできるか」と問いかけてみると、自分としてもピンと来なかった。

法林 その後、白石さんが「ドライブをかけていく対象」として選ぶHTML5との出会いは、どういうところから?

白石 偶然です。そもそもわたしが書籍を執筆したGoogle Gearsというのは、簡単に言うとWebアプリケーションをオフライン状態でも使うことができる技術だったんですが、その当時友人と作った会社で、オフラインWebアプリのプロトタイプ作りの仕事なんかをずっとやっていたんです。それしかやっていなかったと言ってもいい。

ところが、GoogleはいったんこのGoogle Gearsの技術開発から撤退して、新たな展開を目指そうとした。まあ、焦りましたよ。このままじゃマズい、と。でも、2009年にGoogleは、標準技術としてのHTML5を強くプッシュし始めたんです。

法林 「なぜGoogleが自社テクノロジーではなく、標準技術を?」と思いますよね。

白石 そうなんです。ぼくもそう考えて、ちょっと興味を持って調べてみると、HTML5の枠組みの中に、実はGoogle Gearsの蓄積が全部入っていたんです。だからわたしとしてもこれはチャンスにしなければ、と考えた。言い換えれば、Google Gears漬けの日々を送った自分にとって、そのノウハウを活かすには「ここしかない」という感じでもあったんです。

法林 なるほど、html5j.orgの前身を立ち上げたり、「HTML5とか勉強会」の開催を始めたのもこの時期ですよね?

白石 そうです。今と違ってHTML5は世界的にもそれほど注目されていませんでしたが、とにかくこの技術の裾野を広げていかなければいけない。それで、及川卓也さんと羽田野太巳さんとわたしの3人でコミュニティを作ったんです。けっこう早くから人は集まってくれましたし、HTML5がその後急速に浸透したおかげで、今ではメーリングリストの登録も4700人になりました。
(次ページに続く)

 

岡本太郎から学んだ「今を生きる」ことの大切さ

法林 3つのメッセージの一番最初、「自分のやりたいことにドライブを掛けろ」というのを、白石さん自身はHTML5との出会いで体現された、ということですよね?

白石 結果的にはそうなんですが、実はまだ紆余曲折がありまして。話が長くなるので手短に言いますが、わたしはHTML5の世界に没頭しつつも、違う道筋にも動いていたんです。ある投資家と会社を作って、HTML5とは別に事業をしていこうと考え、その流れの中で今で言うソーシャルベンチャーをやりたくなったんです。

要するに社会貢献のための事業作りで、プランコンテストに合格したりもしたんですが、結局は挫折。世の中の役に立ちたい、という情熱はあるけれども、同じ社会起業を志す若い人と比べたら、自分はどうなんだろう、と思ってしまう部分もあった。苦労をかけてきた妻に申し訳ないという気持ちも高まっていたし、技術の勉強やコミュニティの育成もやりたかったし、社会貢献という大きな目的にまっしぐらに進んでいけない自分に悶々としてしまった。そんな時出会ったのが岡本太郎さんの本でした。

法林 岡本太郎って、あの芸術家の?

一度きりの人生だからこそ、「今を生きないともったいない」と話す白石氏

一度きりの人生だからこそ、「今を生きないともったいない」と話す白石氏

白石 そうです。その本で岡本さんが、自分は常に目の前のやりたいことにすべてを注いできた、と書いていたんです。ハッとしました。一つの挫折を受け入れる気持ちにもなれました。自分は今やりたいことがある。それはHTML5にかかわる世界。だったら、それをひたすら追いかけよう、と吹っ切れたんです。

法林 では、「ドライブをかける」ことの意義や意味を教えてもらえますか?

白石 振り返ると、わたしはいつも「自分のやりたいことって何だろう」、「自分のやりたいことができる場ってどこだろう」と悩みながら、やりたい仕事を追いかけた結果、今につながっています。

いろいろ回り道をしたわたしと違って、今のWebの世界ならば、エンジニアは自由に自分を「やりたいこと」に近づけていけるはず。転職したり、会社を作ったり、というチャレンジも恐れることはない、と今なら言えます。

法林 まさに岡本太郎さんの発想ですね。もっと早く岡本さんの言葉に出会っていたら、という気持ちもあるのでは?

白石 今、若いころの自分が目の前にいたら、強く言い聞かせますね(笑)。今やりたいことに集中しろよ、と。やりたいならやれよ、と。そのために場を変えることはそれほどのリスクにはならない。もしも技術に関わる仕事をしていくならば、やりたいことを今やらないことこそが一番のリスクになる。回り道した部分もあるわたしだからこそ、という部分もあるんですが、これは2番目のメッセージにも結び付きます。つながることの大きさ、重さですね。


 

技術が書籍執筆を、書籍執筆がGoogleを引き合わせてくれた


法林 そこは本当に共感します。一見無駄に見えることでも、ちゃんと大切に自分のものにしておけば、必ずいつか活きてくるということですよね、技術でも人でも。

白石 その通りなんです。わたしの場合でいえば、Javaとの出会いが雑誌というチャンスにつながったり、雑誌で出会った編集者の方が本を出す機会につながって、それが今度はGoogleとのつながりになり、HTML5との出会いにつながりました。やりたいことにドライブをかけていけば、その都度出会う技術や人に無意味なものなんて1つもなくて、思いも寄らないチャンスになったりする。今、シーエー・モバイルという会社でわたしはHTML5を軸にした事業を任せていただいていますが、それも「つながり」がもたらしてくれたものですし。

法林 Google Gearsと出会ってなければ、HTML5とのつながりもなかったわけですもんね。どの技術に自分を持って行くか、と考えるなら、基準はやりたいか、やりたくないか。やりたいものと出会う場で人とも出会うわけだから、それがまた次の出会いにつながる。

白石 今なんてソーシャルの時代ですから、つながることってとても楽にできますよね。利用しない手はないと思います。実際、フリーランスで活躍するエンジニアとお会いしたい、とTwitterでつぶやいた時も、あっという間に10名ほど集まってくれました。彼らは仕事を求めている部分もあるわけだけれども、つながることの重要性を身をもって知っている人たちでもある。だから動きが速かったんだとわたしは思いますね。

エンジニアって、学び続けないと死んじゃう(笑)


法林 3つめの「学び続けろ」は、ある種、王道を行く教えですね。

とにかく学び続けないと技術屋として生きていけない、という点も踏まえて、白石氏と法林氏は技術コミュニティーに参加することを勧める

とにかく学び続けないと技術屋として生きていけない、という点も踏まえて、白石氏と法林氏は技術コミュニティーに参加することを勧める

白石 そうですね。そういう意味では、今回わたしが話した(1)も(2)も(3)もセットだと思うんですよ。技術者は、やりたいことを追いかけ続けなければ、つながりを得られないし、つながりを得たらそこから学ぶことができる。3つをセットにして回し続けていないと、エンジニアって死んじゃうんじゃないか、と(笑)。

法林 そういう生き物ですよね、僕らは。常に不安はあるし、おそらくわたしだけでなく、今の白石さんもそうでしょ?

白石 ありますねぇ、不安。それはもう、たくさんあります。思わず大きな会社に入れてもらっちゃおうかと思ったり。

法林 そうそう、それそれ(笑)。

白石 今わたしの身近なつながりと言えば「HTML5とか勉強会」になるんですが、ほかにも「Web先端技術味見部」というコミュニティーがありまして。とにかく、先端の技術を味見していこうよ、という主旨なんです。先日もDeNAが発表したJSXの勉強会を、発表当日にDeNAの会議室でやることができた。しかも、JSXを開発したエンジニアが講師として参加してくれて。世界一早い勉強会です。こういう学びが、また「やりたいこと」の発見や、新たな人やチャンスとの出会いになって、良いサイクルが回っていく。だから、エンジニアの皆さんには、是非この3点セットを回転させてほしいんです。いくらでも長生きできますから。

法林
 逆に言えば、「回さないと死んじゃうぞ」くらいの気持ちを持つということが、白石さんのメッセージということで良いですよね。

白石 はい、そうやって今を生きましょう。そうしたら、気づいた時には大きなゴールに近づいているはずですから。

文/森川直樹 撮影/小禄卓也(編集部)

 

< えふしん氏も登場!『TechLION』、灼熱のvol.8開催決定 >

TechLION vol.8
IT 文化の振興と、UNIX/Linux文化の楽しさを広く伝え、エンジニア同士の連帯を図ることを目的とするトークイベント。日々多くの技術が生まれ、消えていくが、これらの技術を密林の動物たちになぞらえ、百獣の王となる技術を酒を酌み交わしながら発掘・探求しようというイベントです。

開催日:7/26(木) 19時30分 開演
MC:法林浩之、馮富久
ゲスト:砂原秀樹、藤川真一(えふしん)、山本祐介、高橋真弓
場所:
SuperDeluxe


★【祝!10周年】 Lightweight Languageイベントも今夏開催決定!

LL Decade

年に一度のLLイベントが今年も開催決定!記念すべき10周年目を迎えた今年も、LL魂を持った各言語界の虎たちが、一同に集結。みなさんを、Lightweight Languageのディープな世界へと誘います。

開催日:8月4日(土) 10時半~18時半(予定)
場所:銀座ブロッサム

ビーズデザイン設計に見る、「今の当たり前を疑う」ことの大切さ【連載:五十嵐悠紀⑯】

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天才プログラマー・五十嵐 悠紀のほのぼの研究生活
先読み(5)五十嵐さん_100px.jpg

筑波大学  システム情報工学研究科  コンピュータサイエンス専攻  非数値アルゴリズム研究室(NPAL)
五十嵐 悠紀

2004年度下期、2005年度下期とIPA未踏ソフトに採択された、『天才プログラマー/スーパークリエータ』。筑波大学 システム情報工学研究科 コンピュータサイエンス専攻 非数値アルゴリズム研究室(NPAL)に在籍し、CG/UIの研究・開発に従事する。プライベートでは二児の母でもある

ビーズ細工で作られた作品

ビーズ細工で作られた作品

右のような作品を、見たことがありますか?

これは"ビーズ細工"と呼ばれるもので、小さなビーズ一つ一つを1本のワイヤー(テグス)でつないで立体的な作品を作っていきます。

以下の図のような制作手順が書かれたイラストを頼りに作っていくもので、手芸関連のショップなどに制作キットが売っていたりします。

制作キットを購入してきて作る。これまではこれが手芸を趣味として嗜む人の常でした。はたして、初心者が自分だけのオリジナル作品をデザインすることはできないのでしょうか?

専門家がデザインした制作キットの作り方説明図。通常はこれを見ながら1つ1つのビーズをワイヤーに通して作っていく

専門家がデザインした制作キットの作り方説明図。通常はこれを見ながら1つ1つのビーズをワイヤーに通して作っていく

わたしが最近行った研究は、コンピュータを用いることで、ビーズ細工初心者の方でも簡単に設計できるようにするというものです。

コンピュータで設計をしたいので、3次元メッシュと呼ばれる、頂点、辺、面の組み合わせで形状を表現していきます。

当たり前のことを逆にしてみると何が起こる?

ここで一番簡単に思い付くのが、頂点をビーズ、辺をワイヤーとして3次元メッシュを作ればいいのでは?ということです。しかし、試行錯誤を繰り返していくうちに、少し違和感があるかもしれませんが、辺をビーズに対応させるとうまくいくことが分かりました。

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図のように配置するだけで、より自由度の高いデザインの作品が生み出せる

また、3次元メッシュというと、通常、面が三角形から成るものが多く使われています。シミュレーションのために四角形メッシュをわざと使う、ということもありますが、たいていが三角形メッシュです。

三角形である理由は、3点決めれば平面が1つ決まるため、形状が歪むこともなく一意に決まるからです。よって、多角形のものをモデリングする時にも、わざと三角形の集合としてデザインすることがほとんどです。

しかし、わたしはあえて六角形を主とした構造を用いました。そうすることで、ハチの巣でも知られている、「ハニカム構造」というものに近づきます。1つ1つの面は平面ではなくなってしまいますが、その代わりに「自由度の高い形状を少ない辺の総数でデザインできる構造」になります。

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従来の発想から思考を停止させるのではなく、「もっと良い方法があるかも」と疑問を持つことで、新たな技術を発見するかもしれない

ビーズは辺に対応させたので、形状を表現するための辺の数はなるべく減らしたい。六角形を使うことで自由度が高くなるので、表面が滑らかな形状を少ない辺の本数で作ることも可能になります。

従来の三角形メッシュで作られた3次元モデルも頂点と面の対応関係を入れ替えることで、簡単にこの構造へと変換することができます。
 
一見当たり前のように思われていることを、入れ替えてみる。そうすると、そこには新たな構造が生まれ、違った意味を持ち始める。今回の研究では、これをいろんな箇所に適用することができました。当たり前のことを疑ってかかる、これが技術の新発見につながる第一歩です。

ヒトとコンピュータ、それぞれの「得意」を活かす

辺をビーズに対応させたことで、同じ大きさのビーズを使って作成する場合には「すべての辺の長さが等しいメッシュをモデリングすること」が問題となります。

3次元モデリングで大変なことの一つに、「頂点の位置の決定」が挙げられます。頂点をどこに置くかによって、形状の見栄えが変わってきますが、この頂点の位置を3次元座標(x,y,z)を使ってユーザーがいちいち指定するのがとても大変なのです。しかもすべての辺の長さが等しくなるように人間がモデリングすることは到底できません。

どのような形状にしたいかをユーザーがジェスチャーで操作していくと、コンピュータが自動で頂点の位置を計算して対応する形状を作っていく

どのような形状にしたいかをユーザーがジェスチャーで操作していくと、コンピュータが自動で頂点の位置を計算して対応する形状を作っていく

そこで、辺の長さ、頂点座標をコンピュータがシミュレーションして自動計算できるようにしました。一方、どのような形状にしたいかのデザインはユーザーにしかできません。逆に言えば、ユーザーはこの形状デザインだけを指定すれば良いのです。

コンピュータがやるべきことと、ユーザーがやるべきこと。これをはっきり分けて考えることでこのアイデアが生まれました。ユーザーは明確に頂点の位置を指定しなくて良いことから、ジェスチャーだけで編集操作ができると判断したわけです。ジェスチャー操作だと、直感的にデザインできますし、PCだけでなく、スマートフォンでも簡単に操作できそうですね。

実は大切な、ビーズと数学の意外な関係

ビーズを実際に制作するためには1本のワイヤーでつないでいきます。つまり、一筆書きですね。一筆書きは「オイラー経路問題」といって、一筆書きできる図形(オイラーグラフ)とできない図形が数学的に証明されています。ビーズを辺に対応させておき少し工夫をすることで、オイラーグラフに帰着させることができたのです。これで実際に制作するためのワイヤー経路も自動計算できます。

1本のワイヤーで制作するということは、一筆書きと同じ

1本のワイヤーで制作するということは、一筆書きと同じ

このように、数学は手芸などの一見関係なさそうな構造にも隠されていることが分かります。

ここに述べたアイデアは簡単に思い付きそうですが、実際には2年ほど掛けてやっとたどり着いたものです。裏には多くの試行錯誤とボツになったアイデアがたくさんあります。

既存のビーズ作品をひたすら観察したり、プロのビーズデザイナーの方にインタビューをしたり。ワークショップで研究途中のシステムを発表したり、デモ展示をしてシステムを実際に触ってもらったり。たくさんのご意見をもらいました。ワークショップの際の様子はニコニコ動画でも生放送で配信されたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

パーソナル・ファブリケーションで、「欲しいものは自作」が当たり前?

特に近年「パーソナル・ファブリケーション」という概念が急速に注目を浴びるようになりました。これは個人レベルで欲しいものを何でも作れる社会を実現することを意味しており、レーザーカッターや3次元プリンタなどの個人利用を前提とした技術開発や施設も増えてきています。

ビーズデザインシステム「Beady」でデザインしたオリジナルなビーズ作品

ビーズデザインシステム「Beady」でデザインしたオリジナルなビーズ作品

コンピュータがパーソナル化しPCとして一般家庭に普及したように、ファブリケーションもパーソナル・ファブリケーションとなり、当たり前のものになる社会がもうやってきているわけです。

大量生産された商品の中から欲しいものを「選択」するのではなく、自分が欲しいものを自分で「製造」することが当たり前の世の中になる。そんな時こそ、自分の欲しいものを設計・制作する支援ツール・技術は必要不可欠になるでしょう。

今の当たり前が未来の当たり前とは限らない。わたしたち研究者は、そのような5年先、10年先の世の中を想像しながら日々研究を行っています。

本研究の詳細にご興味がある方は、こちらのサイトをご覧ください。システムの動く様子など動画も掲載しています。

『みんなのウェディング』は、「100%内製化」と「新規開発を新人に一任」で、サイトも開発チームも強化する【億単位調達ベンチャー・開発の非常識】

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世の中に新しいWeb(アプリ)サービスを生み続けるWeb系スタートアップたち。本企画では、その中でも今後大きく成長する余地のある注目企業として、1億円以上の資金調達を行った企業の開発スタイルに迫る。自身のブログメディア『TheStartup』も人気を集める梅木雄平氏をインタビュアーに招き、Webサービスやアプリに"魂を込める"開発チームの特徴を明らかに していく。
インタビュアー

フリーランス マーケター
梅木雄平

フリーランスにてWebサービスの新規事業のコンサルティングやマーケティング 、ライティングを手掛ける。VC業界での経験を活かした事業分析や、投資家関連の記事を展開するブログメディア「TheStartup」を主宰。有料オンラインサロン「Umeki Salon」は会員100名突破間近

連載第3回目に登場するのは、結婚式場選びNo.1口コミサイトとして、着実に知名度を高める『みんなのウェディング』。最近ではワールドビジネスサテライトに取り上げられるなど各種メディアで報じられることも増え、分社化から2年足らずだが、今ウェディング業界で最も勢いのある企業である。

結婚式場選びNo.1口コミサイト『みんなのウェディング

2008年2月にDeNAの新規事業として運営を開始。その後2010年10月にDeNAより分社化し、グロービス・キャピタル・パートナーズから1.56億円を調達。事業を拡大してきた。2012年1月にはウェディングプランナー選びのプラットフォームである『みんなのウェディングプランナー』2012年5月には2人のための小さな結婚式プランを検索できる『ふたりのウェディング』と続々とウェディング業界に一石を投じる新規事業を立ち上げている

そんな同社の開発チームを率いる小川隆之氏に、みんなのウェディングの開発裏側を聞いた。

「コンシューマー向けビジネスも楽しいですね」と語る小川氏(写真:左)

「コンシューマー向けビジネスも楽しいですね」と語る小川氏(写真:左)


入社したての新人に新規開発を任せる、攻めの内製開発

学生インターンに和やかに指導する小川氏

学生インターンに和やかに指導する小川氏


2011年末までは社外のエンジニアも登用していたが、現在は100%内製で開発を行っているという。新サービスの展開や、既存サービスのチューニングのために、開発の機動力を上げたかったことが理由である。

2012年に入ってから入社したエンジニアが全体の半数を占めるのだが、驚くことに、その新人エンジニアに新規事業の開発を一任しているという。新サービスの開発に着手するにあたり、担当エンジニアが開発環境を決め、『みんなのウェディングプランナー』はRubyを選択して開発を進めていった。ちなみに『みんなのウェディング』と『ふたりのウェディング』はPerlで開発している。

エンジニアの平均年齢は30代前半で、全員が30代。開発経験が豊富なエンジニアが多いため、上記のように新規事業のサービス開発を新人エンジニアに一任するとは言え、サポート体制は抜群だ。また、新規開発に各々の好きな技術環境を試せるのも、「技術者として技術に興味を持ち続けてもらいたいし、好きな技術を使える場を提供したい」というチームの思いがあるからなのだという。

30代のメンバーが揃っているチームということもあり、一人一人がプロフェッショナルとして責任を持ち、進ちょく管理はプロジェクトを担当している当人に任せているという。最近入ってきたメンバーとも知識の相互補完などで新たな気付きを得て、刺激し合える良好な関係が築けているという。

新規プロジェクトの企画段階から必ずエンジニアが参加

開発のルールやチームマネジメントについて力を込めて語る小川氏

開発のルールやチームマネジメントについて力を込めて語る小川氏


同社では、新規開発を新人エンジニアに一任することのほかに、もう一つ開発のルールがある。それは、新企画を立ち上げる際には必ずエンジニアとマーケティング・営業など、その企画に関連する部署のメンバーも同席の上で打ち合わせに参加し、エンジニアにも企画段階から積極的に携わってもらうことだ。

最初からエンジニアが加わることで、検討されている企画や機能の実現性が判断できる。必ずしもエンジニアの中での優先順位ではなく、その企画がサイト運営にどれほどのビジネス的なインパクトを与えるかの効果をしっかりと予測し、その上で開発の優先順位を決めている。

例えば、営業担当も、開発プロジェクトに対して意見を述べることもしばしばあるという。みんなのウェディングは事業特性上、営業担当が結婚式場と日々接しているため、結婚式場のニーズは営業担当が一番良く分かっている。結婚式場が掲載され、ユーザーの口コミを見ることができるという事業モデルであり、結婚式場がサイトに対して感じていることをプロジェクトの中で営業担当からエンジニアに直接フィードバックする機会を設けているそうだ。

重要なのは、ビジネス視点で開発を考えること

開発チームのリーダーとして、小川氏がチームマネジメントで気をつけていることは2つある。
 
1つ目は透明性のある情報共有だ。開発メンバーは昨年から今年は2倍近くに増えたこともあり、開発のスケジュール感や問題意識などを適切に情報共有することが重要であると考えているようだ。2つ目は当事者意識をメンバーに持ってもらうこと。自分が何を作っていて、サイトや社会にどう貢献しているのかを認識してもらったり、日報を通じていろんな気付きを共有できるようにしているという。

開発チームだけでなく社内全体では、週に一度全体の定例ミーティングを実施し、KPIを達成できていない場合はビジネスサイドだけでなく社内全体で施策を考えることもあるようだ。KPIの進ちょくが芳しくなければ、それを担当している誰かのせいというのではなく、全員が責任感を持って考える文化があるという。エンジニアもビジネスマインドが高く、ビジネスの成功のためにITを駆使しているという感覚が社内にはあるようだ。

「何のために機能を改善するのか」や、「ここを変えることでユーザーにどんな影響を与えられるのか」など、ただ開発するだけでなく、ビジネス的な観点で開発を進めることができるからこそ、サービスとしての価値も高くなり、億単位の資金調達につながっているのかもしれない。

このような和やかで協力的な文化のある同社だが、事業に対する想いは強く、事業に共感して参画したいというエンジニアを歓迎したいようだ。みんなのウェディングが手掛けるウェディング業界は、多くの人にとっては生涯で一度しか購買機会がない市場であるということもあり、情報の非対称性の強い業界である。

結婚式といえば平均で300万円前後の高額な買い物であり、十分な情報を得られなかったがために購買者が不利益を被ることも多いという。ウェディング業界の情報の非対称性を埋める事業は、社会的な意義が大きい事業であり、この事業を大きく育てて社会に貢献したいという社員が多いようだ。こうした理念に共感する人を求めている。

求める人物像としてはほかに、コンシューマ向けの事業を手掛けた経験がある、もしくはコンシューマ向けの事業が好きな人を挙げている。結婚という事業特性上、エンジニア職腫でも女性が活躍できる場は広いのではないだろうか。エンジニアでは女性社員は1名だが、会社全体の男女比率は6:4で女性が4割いる。創業2年未満のスタートアップでは女性4割というのはかなり珍しい比率であり、女性比率は高い。

社会的な意義が大きい事業の中で、自分が携わった仕事が社会を少しでも良くしていることを実感したいエンジニアには、ぜひみんなのウェディングを検討してみてもらいたい。これから入社するエンジニアにも新規事業を手掛ける門戸も開けているようだ。

ウェディング業界を変えたい方、お待ちしています!

ウェディング業界を変えたい方、お待ちしています!



撮影/小禄卓也(編集部)

郷田まり子×あんざいゆき 興味のある技術をハックし続けるために、今2人が考えていること【連載:ギークな女子会-べにぢょ編】

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「エンジニアLoveなお姉さん」べにぢょさんが、第一線で活躍する女性エンジニアのON・OFFのホンネに迫るこのコーナー。郷田さん&あんざいさんと迎えての座談会第2弾は、「起業」「Android」「コミュニティー活動」など数多くの共通項を持つ2人が考える将来像について。第一線で勝負してきた2人ならではの考え方が披露される!

 

司会

「ギークな女子会」ファシリテーター
べにぢょさん [@lovecall] 

ギークなお姉さんは好きですか』や『べにぢょのらぶこーる』などのブログで、プログラマーやエンジニアたちから注目を集める女性ブロガー。インターネットと宝塚とおいしいワインが大好き。詳しいプロフィールはコチラを参照

今回の参加者

株式会社鳥人間 プログラマ
郷田まり子さん [@MaripoGoda]

東京大学工学部・建築学科を卒業。設計事務所を経て現職に。人工衛星ウォッチング支援アプリ 『ToriSat』の開発者としても知られる。著作には『ジオモバイルプログラミング』(共著)『facebookアプリケーション開発ガイド』(単著)がある

今回の参加者

株式会社ウフィカ 代表取締役総長
あんざいゆきさん [@yanzm] 

東京工業大学を卒業。2011年にスマートフォン向けアプリ開発のウフィカを創業。経営の傍ら、Android女子部の副部長を務めるなど、コミュニティー活動にも積極的に携わる。Android関連の著作も多数。最新著は『Android UI Cookbook for 4.0 ICSアプリ開発術

 

べにぢょ 前回の座談会ではお2方がプログラマーになるまでのお話が中心でしたが、今回は、今お2方が注目されていること、そして将来について話を伺いたいと思います。まずはあんざいさんからお願いします。 

 

あんざいさんが副部長を務めているAndroid女子部は、今年2月で2周年を迎えている

あんざい はい。まずAndroid女子部の活動でいうと、これからは少しずつ世代交代していければなって思っています。例えば講師を頼んだり、会場を押さえたりするノウハウは多くの人と共有した方がいいでしょうし、アウトプットする人も、少ないよりは多い方がいい。

 

べにぢょ おぉ、世代交代ですか。

 

あんざい まぁ、徐々にそうなっていけばいいかなぁと。自分自身ももっと上を目指していかなければとも思っているので、そろそろAndroidだけにこだわらず活動をしていきたいなと。なので、わたしとしては、新しい人にどんどん参加してもらって、後ろから生暖かく見守っていきたい(笑)。

 

べにぢょ 女子部にはすでに開発者だけでなく、デザイナーやガジェット好きまで幅広いメンバーがいらっしゃいますから、今後も新しいメンバーが増えていくと、これまでにない化学変化が起こるかもしれませんね。

 

あんざい 確かにいろんな人がいるんですよ。女子部で友だちになった人の中には、昔はフォークリフトの運転、今は居酒屋の店員をしているんだけど、Androidアプリも出している、なんて女性もいたり。

 

郷田 それすごい! 

 

技術で通じるものがあれば、性別も年齢も関係なく付き合える

べにぢょ お仕事や会社の方はいかがですか? 

 

経営者としては「small is beautiful」のポリシーを持つあんざいさん

経営者としては「small is beautiful」のポリシーを持つあんざいさん

あんざい 今会社は3人なんですけど、会社にしたとはいえ、規模を大きくしたいっていう欲はあんまりないんですよね。 

 

べにぢょ どうしてですか?

 

あんざい 規模よりも自分たちらしさを優先したい、っていう思いの方が強いからかもしれませんね。 

 

べにぢょ 前回「やりたいと思えることがちゃんとできる会社でありたい」って、おっしゃっていましたね。1人より3人であることのメリットって何でしょう? 

 

あんざい 一言で言うと「楽しい」んです。最近、週替わりで興味のある技術ネタを持ち寄って、ハンズオンで取り組んでみるっていう勉強会をやっているんですけど、やっぱり人に伝えようとすると勉強もするし、新しいことに取り組むきっかけにもなります。こういうのって、楽しく仕事をする上ではとっても大事だなって思うんです。

 

べにぢょ ところで、社員のみなさんはどんな方々なんですか? 

 

あんざい 2人とも30代半ばから後半の男性です。 

 

べにぢょ 年齢が離れていることに、違和感とかありません? 

 

郷田 エンジニア同士だと、性別とか年齢に関係なく通じるものってありますよね。妙な一体感ってありません? 

 

あんざい ありますね(笑)。ですから、直近に入社してくれたメンバーに「前職にいたころより、自分で勉強する意欲が湧くようになった」って言われた時は、本当にうれしかった。

 

べにぢょ となると、あんざいさんにとって理想的なのは、規模は小さくてもプロフェッショナルな社員がイキイキ働いている会社ってことになりそうですね。 

 

あんざい はい。できれば「あの会社すごい楽しそう!」って言われるような会社にしていけたら、って思っています。

 

できそうで、できないことに直面するとハックせずにいられない

べにぢょ では、郷田さんはいかがです? 

 

郷田 うーん、わたしの場合、最終的な目標のようなものは特にないんですよ。何十年も先のことを決めちゃうと、身動きが取れなくなってしまうような気がして。

 

べにぢょ 分かる気がします。

 

エンジニアとしての

エンジニアとしての"寿命"を長く保つためにも、柔軟性の大切さを説く郷田さん

郷田 あるとしたら、その時その時のホットな分野に食いついて一番乗りを目指す、ってことになるでしょうか。プログラマーって職業は、ほかの仕事に比べたら誕生自体が最近なわけで、環境もどんどん変化していくわけじゃないですか。大切なのは、そうした変化を恐れないこと、そしてリスクを見極める目を養っておくことだと思うんですよ。新しい分野が生まれた時、すぐに対処できるようにはしておきたいですね。 

 

べにぢょ 技術分野だと、どの辺りにご興味をお持ちですか? 

 

郷田 パーソナル・ファブリケーションとか、ADK(Open Accessory Development Kit)、NFC(Near Field Communication)辺りですね。うちの会社でもADKのキットを販売しているので、もしご興味があればぜひ(笑)。 

 

あんざい わたしもAndroidの次を考えると、ハードは面白いと思っていたところなんです。AndoroidでNFCが出た時、ハックしましたもん。 

 

郷田 あんざいさんも? 

 

あんざい はい! ちょっとSuicaの利用履歴を取ってみようと思って始めたら、反応はするのになぜかデータが読み取れなくて。できそうなのに、できないってことになると、もう止められない(笑)。その時は3日間ぐらいかけて、深夜までずっとハックしてましたね。 

 

べにぢょ そんな時って、何日でも徹夜できちゃうもんなんですよね。 

 

あんざい できた時に出るアドレナリンが忘れられなくて(笑)。 

 

郷田 そういう時、ついうっかり寝ちゃうと夢の中で実装するハメになっちゃうから、寝ないで続けた方がいいんですね(笑)。次はADKでハッカソン、やりましょうよ。 

 

あんざい いいですね! 

 

郷田 でも、わたし思うんですけど、女性の"隠れギークな人"ってもっと多いんじゃないかって思いません?

(次ページに続く) 

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あんざい えぇ。女子会の集まりでも、手持ちのガジェットをズラッと並べて写真撮ったりしますけど、そういう時に「わたしたちギークだなー」って思ったりもしますもんね。 

 

一同 笑 

 

今は子育てするにしても社会と接点を持ちやすい

べにぢょ 今度は女性としての生き方についてお伺いしたいと思います。結婚や出産など、仕事との付き合い方が変わる女性ならではのライフイベントってあると思うんですが、そうした出来事とご自分のお仕事の関係について、お2方はどうお考えですか? 

 

郷田 事実として、フルタイムで仕事にコミットできなくなると、会社を辞めてしまう女性って多いと思うんです。でも、プログラマーだったらちょっと仕事を離れたとしてもまた勉強すればいいし、ライフイベントがあっても乗り切れると思っています。 

 

べにぢょ プログラマーを辞めるって選択肢は? 

 

郷田 それはまったく。辞めようとは思いませんね。 

 

From kongsvinger  PCがあればどこでも仕事ができるという点で、プログラマーは育児とも両立しやすい職業

From kongsvinger

PCがあればどこでも仕事ができるという点で、プログラマーは育児とも両立しやすい職業

べにぢょ もしお子さんを産んだとしても、PCさえあればできるお仕事ですしね。 

 

郷田 えぇ。妊娠したら、いつものようにおなかの上にノートPCを置いてプログラミングしちゃいけなくなるんだな、とは思いますけど。 

 

一同 爆笑

 

べにぢょ あんざいさんも、やっぱりずっとこのお仕事をやっていきたいですか? 

 

あんざい そうですね。わたしはもう結婚をして子どももいるんですが、やろうと思えばけっこうできるなっていうのが正直な印象です。 

 

べにぢょ なるようになるって感じでしょうか? 

 

あんざい そうですね。でも、保育園を探したりするのは大変でした。公立は数が少ないし、私立は高い。とはいえ、今はソーシャルメディアも発達しているし、子育てするにしても、「社会と接点を持つ」ことはやりやすくなっているんじゃないかって思いますね。 

 

郷田 地元に仲間が見つからなくても、ネットで探せば誰かしらとつながれますしね。 

 

べにぢょ 結婚、出産を抜きにしても、外部とのつながりを持つことは重要ですよね。 

 

あんざい そう思いますね。女子部の活動も、そうした受け皿になっていると思います。知り合いを増やすことだったり、外に向かってアピールするための場だったり、望めばいろんな経験ができますから。わたしもイベントなんかで話すことを通じて、いろいろチャンスをもらったので、恩返しの意味でも、これからそういう場を広く提供していければな、って思っています。 

 

郷田 経験者の知恵や力を借りられるし、一人でやるより新しいことにチャレンジもしやすいっていうのがコミュニティーのメリット。最初の一歩が踏み出せないと思っている人も、ちょっと勇気を出して参加してほしいですね。 

 

技術の組み合わせで価値を出す仕事は、経験がないとできない

「これからもっと『技術好きな女性』が増えていけば、さらに働きやすくなるのでは」(べにぢょさん)

「これからもっと『技術好きな女性』が増えていけば、さらに働きやすくなるのでは」(べにぢょさん)

べにぢょ 今あんざいさんがおっしゃってたように、次の世代の"隠れギーク"をもっとオープンにしていきたいとか、育てていくっていうことって考えられたりします? 

 

郷田 わたし自身はあんまり考えないですね。自分が一方的にモノを教えたり、伝える立場だと思っていないせいかもしれません。どの世代にあっても、できる人から学べばいいだけの話だと思っているので。 

 

べにぢょ でも、郷田さんを見て「あんな風になりたい」って思っている女性エンジニアは多そうですね。 

 

郷田 いえいえ、そんな人はいないと思いますよ。 

 

あんざい どうして? そんなことないでしょう!(笑) 

 

郷田 まぁ、いいかな、って思うところだけパクっていただければ。もうそれで。 

 

べにぢょ お2方とも、やりたいことをやられているのが魅力だと思うんですけど、ご自身ではどう思われているんですか? 

 

郷田 やりたいことをやっているのは確かですね。 

 

べにぢょ あんざいさんは? 

 

あんざい 自分がやりたいと思うことをやり続けるってスタンスは、これからも変わらないって思うんですが、徐々に自分の立ち位置も変わっていくんだと思っています。 

 

べにぢょ どういうことですか? 

 

あんざい 最新技術は、自分より若い世代の方が得意っていう場面はあっても、技術や物事の組み合わせを考えて価値を生むような仕事は、ある程度経験がないとできませんよね。だから、そういう方向に自分もシフトしていくんだろうなとは思っています。 

 

べにぢょ なるほど。 

 

郷田 それは確かにそうかも。わたしはあえて育てるってことはしないと思うけど、アウトプットし続けていれば、誰かが拾うだろうし、わたしも勝手に拾いにいく。それでいいんじゃないかって思っています。 

 

べにぢょ そういうものかもしれませんね。では最後に、この対談を読んでいるかもしれない女性エンジニアに何かメッセージがあればお願いします。

 

エンジニアとしての将来予測をする2人だが、結論は「何事も『やること』でしか変わらない」と一致

エンジニアとしての将来予測をする2人だが、結論は「何事も『やること』でしか変わらない」と一致

郷田 一言で言うと"女は度胸"ってことですね。一昔前だと、女性エンジニアは数が少ないから技術コミュニティーに参加するのも尻込みしちゃうってことがありましたけど、今はネットで仲間も見つけやすくなっていますし、女子部のようなコミュニティーだってある。開発ツールも豊富だし、個人でアプリを売りたければできちゃう時代じゃないですか。

 

あんざい ホントそうですよね。

 

郷田 ですから、「やりたくてもやれない理由」なんてもうないんです。もし自分が何カ月もかけてサービスを作ってみて、もしアドレナリンが出たなら、やり続けてほしいですね。 

 

あんざい 同感です。「やりたいんだよねー」じゃなくて、やったかやらないか。アウトプットさえし続けていれば、きっと誰かが見つけてくれるし、郷田さんがおっしゃるように、自分が今やっていることにピンと来ているんなら、続けた方が幸せなんでしょうね。 

 

郷田 そうそう、アプリでもWebサービスでも、いったんリリースしたらサポートし続けざるを得ないわけですしね。 

 

べにぢょ 漕ぎ出したら止まらない? 

 

郷田 そうです、人生、自転車操業でいいかな、と。

 

一同 爆笑 

 

べにぢょ 本日も長時間お話しいただき、ありがとうございました!

 

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/赤松洋太

 

これまでの「ギークな女子会」記事一覧

「良い開発に必要なのはエンゲージ」、「mixiは世界で勝負できた」~公開インタビュー【みんなで作る中島聡連載】レポ

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中島聡の「端境期を生きる技術屋たちへ」

UIEvolution Founder
中島 聡

Windows95/98、Internet Explorer 3.0/4.0のチーフアーキテクトを務めた世界的エンジニア。NTTに就職した後、マイクロソフトの日本法人(現・日本マイクロソフト)に移り、1989年、米マイクロソフト本社へ。2000年に同社を退社後、UIEを設立。経営者兼開発者として『CloudReaders』や『neu.Notes』といったiOSアプリを開発している。シアトル在住。個人ブログはコチラ

 

こんにちは、中島です。今回の連載は、先日7月18日に実施した公開インタビュー「みんなで作る中島聡連載」の中から、気になったトピックを拾い上げて紹介していこうと思います。

 

当日来場してくれた方や、USTREAM中継を視聴してくださった皆さんからいただいた質問は、今後のエンジニアに必要なスキルの話であったり、広い意味での開発環境の話であったり、具体的な言語や技術の話などなど。質問に返答していきながら、わたし自身も大いに刺激をもらいました。

 

詳細を知りたい方、漏らさず聞きたいという方は、当日のUSTREAMアーカイブがありますので見てください。

 

 ※デバイスやブラウザによって、表示されない/観れない場合があります。その際はこちらにジャンプしてください。

 

Part-1 編集部からの質問「これから求められる開発スタイル」

Q. さまざまなビジネスが端境期を迎え、ソーシャルな機能を有効に導入しようという傾向や、新しいエコシステムそのものを構築するような傾向が目立ってきていると思いますが、中島さんが考える「今求められるユーザーオリエンテッドな開発スタイル」とは?

 

この連載やブログで前から紹介してきた教育アプリ『neu.Tutor』(詳しくは中島氏のblogにて)の話をしますね。わたしはこのところ、このアプリの開発に夢中になっていたわけですが、理想としてきたのは「ユーザーのポケットの中に先生がいて、いつでも勉強をすることができる」環境を創り出すこと。

 

それをどう具現化するか考えた末、「ユーザーが自分でコンテンツを作れるようにしよう」という一つの結論めいたものに到達しました。出来合いの教育プログラムをWebやアプリ経由で提供するだけでは、既存の教育プログラムと変わらない。けれど、ユーザーの全員とまではいかなくても、100人に1人、200人に1人の割合で「自分にとって有効なコンテンツ」を自作してくれたなら、今の質問にあったように「ユーザーオリエンテッド」な仕組みにしていくことができる。

 

自身が最近手掛けてきた「教育アプリ」の開発談から、ユーザーオリエンテッドな開発スタイルを語る中島氏

自身が最近手掛けてきた「教育アプリ」の開発談から、ユーザーオリエンテッドな開発スタイルを語る中島氏

だから、作り始めたころは「そんなに大変じゃないな」なんて思っていたのですが、そうはいかなかった(笑)。

 

開発の後半で、一緒に開発をしてくれているアクティブラーニング社の羽根拓也さんをはじめ、何人かの教育関係者にテストをしてもらったのですが、「中島さん、それならユーザーが作ってくれたコンテンツを皆でシェアできるといいですよね」と言われて、単体のアプリだけで完結する閉じたプログラムでは済まなくなっていったんです。

 

わたし自身も彼らの助言はもっともだと納得しましたから、どうすればユーザーが楽にコンテンツをシェアして、ダウンロードして利用できるようになるか、あれこれ考えました。そうすると、やっぱりFacebookに行き着くんですよね。

 

で、Facebookの公式アプリに近いものにして、シングルサインオンでFacebook画面上からすんなり遷移し、グラフィックAPIを利用できるようにしよう、としたんですが、そのままではダウンロードできないことに気付きました。サインオンした後、結局もう1回ログインをしてもらわないと、ダウンロードできないからです。

 

ちょっとカッコ悪いけれど、まぁしょうがないと思って羽根さんたちに見てもらったところ、今度は「中島さん、バグがありますよ。2回ログイン画面が出てくる」と言われまして(笑)。こりゃあダメだ、と観念して、作り直すことにしたんです。

 

このように、開発者が「この程度なら許される」と考えていても、プログラミングに詳しくない人の目に「バグ」だと映ったのなら、それはバグなんですよ。ユーザーオリエンテッドとは全然言えない。

 

ですから前にも連載で書いた通り、開発者は羽根さんのように客観視してくれる存在を持つべきだし、そういう存在からもらった意見を受け入れながら、どこまで完成度を上げていけるか。これが大事なんだと改めて思いましたね。

 

短い期間でソフトウエアのクオリティを高める、中島流の開発法 

Q. お話を伺っていると、大事になってくるのはアジャイルなんだと思いますが、中島流のアジャイル開発の秘訣はあるのでしょうか? また、それは例えば(中島氏が過去に在籍した)NTTやマイクロソフトのような「大きな組織」でもできますか?

 

わたしは「アジャイル」って言葉があまり好きじゃないんですが、やっぱりいったん形にして初めて見えてくる問題点というのはあるわけで、iPhoneアプリなどを作るのなら、「まずはバージョン1ということで出しちゃおう。改善はその後で」というやり方もアリだと思います。

 

じゃあ、同じような開発手法を大きな組織でもできるのか。えーと、僕がいたころのNTTでは無理ですね(笑)。

 

今は知りませんが、わたしのいたころには外部にコーダーがいて、彼らに「コード1行○円」という単価でプログラミングを請け負ってもらっていました。つまり、長いコードを書くほど儲かる人が参加していたんです。そういう体制だと、アジャイル開発は難しい。

 

マイクロソフト在籍時に常用していた「独自の開発法」を明かす

マイクロソフト在籍時に常用していた「独自の開発法」を明かす

一方、マイクロソフト時代にわたしが見つけた開発の進め方は独特でしたよ。この会社で高く評価されるのは、「1週間で作る」と言ったものを、確実に1週間で仕上げる人です。正しく見積もりをできる人が出世する。

 

でも、ソフトウエア開発では、プログラミングしてみなければ分からないことの方が多いじゃないですか。じゃあどうしようかと考えた結果、導き出したのが、依頼が来てから見積もりを出すまでの1日2日で、先にプロトタイプを作り上げちゃう、というやり方です。

 

「そんなの無理だ」と思う方も多いかもしれませんが、できるんですよ、実はその気になれば。というか、マイクロソフトでの日々で、わたしはそういうスピードを手に入れたともいえます。

 

エンジニアというのは、毎日均等に開発をするわけじゃなく、〆切りが迫ってきたところでワァーっとモチベーションを上げて作り上げちゃう人が多いですよね。じゃあ、「見積もりについて考えさせて」と言って確保した1日2日の間に、プロトタイプをある程度集中して作ってしまえば、正確な期限を答えられるぞと思ったんです。

 

もうプロトタイプができているんだから、本当はあと3日で完成すると分かっていても「1週間ですね」と答えれば、余裕もできるし。

 

まあ、そんなこんなで、わたしはマイクロソフトで認められるエンジニアになれた。このペース配分だと、例えば、最初に考えたコードが間違っていたことも早い段階で分かるようになるし、時間的余裕があるから、躊躇せずに捨ててしまえる。

 

もしも「1週間」と見積もりをしてから5日目に失敗に気付いても、なかなか捨てる勇気が持てなかったりしますよね。結果的に良いソフトウエアを作れないというリスクも、このやり方で回避できたんです。

 

良いものづくりは、ほとんどの場合「エンゲージの有無」で決まる

Q. では、中島さんがFounderを務めるUIEvolutionの開発体制はどうなんでしょう? BtoB案件が多いということですから、そうそうアジャイルな開発はできないと思いますが。

 

さきほどお話した『neu.Tutor』開発のようにはいきませんが、ほかの大手ゼネコン的なIT企業との違いは明らかですよ。

 

これはアメリカでの実話なんですが、ある大手IT企業とともに参画したプロジェクトで、UIのチェックボックスを1つ追加してほしいという話が出ました。

 

UIEvolutionとしては「はい分かりました」とその場で追加しちゃったんですが、一緒に参画していた大手企業は丸2日もかかった。

 

このスピードの違いは、企業の規模にもよるけれど、やはり開発を実行する上での仕組みとか組織のあり方の違いで生まれてくるものです。

 

もっと言えば、プロダクトマネジャーとエンジニアがどんな関係でつながっているか、で左右されると思いますね。

 

Q. UIEvolutionではその関係性が優れているということでしょうか? どんなプロダクトマネジャー、どんなエンジニアが、スピーディーでユーザーオリエンテッドな開発を実現するのでしょうか?

 

答えは「エンゲージの有無」でしょう。やるべきことに納得をして、しっかりモチベーションを上げているエンジニア、つまりエンゲージしているエンジニアとそうじゃないエンジニアの差というのが大きい。そして、優秀なプロダクトマネジャーとは、エンジニア全員を常にエンゲージできる人ということです。

 

アメリカではプロダクトマネジャーを「ベビーシッター」と呼ぶのも、そのせいかもしれませんね。多少問題のある仕事でも、プロダクトマネジャーが上手にエンジニアのやる気を引き出せれば、そのプロジェクトは一気にスピードもクオリティもアップするんです。

 

じゃあ、エンジニアはどういう人が良いのかといえば、抽象論かもしれませんが「仕事や人生に誇りとか面白味とかをちゃんと見つけられる人」ということになる。そういうエンジニアが良いプロダクトマネジャーと出会えたら、開発環境は飛躍的に良くなります。

 

UIEvolutionは日米ともエンゲージしたエンジニアが集まっているところに強みがあります。日本法人のWebサイトの『UIEvolutionで働く魅力』というページを見てもらえば、UIEvolutionのエンジニアがどういう働き方をしているのか、イメージが伝わるのではないかと思います。ちょうど採用募集をしていますので、エンジニアとして成長したい方は、ぜひエントリーしてみてください。

 

もっとも、敷居は決して低くはありませんが(笑)。

(公開インタビュー参加者からの質問に続く)

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Part-2 公開インタビュー参加者からの質問

※デバイスやブラウザによって、表示されない/観れない場合があります。その際はこちらにジャンプしてください。

 

Q. 以前、中島さんがどこかで「1流の技術者と1.5流の技術者の違い」について書いていた記憶がありますが、改めて、どんな人が1流で、どんな人が1.5流なのかを教えてください。

 

この線引きは、実は難しい話なんですが、まずわたし自身の話をすると、わたしはUIにかかわる技術ならば自信を持っていますし、その道の1流でありたいといつも思っています。そういう風に考えると、分かりやすいと思いますよ。

 

例えば「わたしはサーチエンジンのアルゴリズムについては1流でありたいと思っている」とか、「画像認識については絶対の自信がある」とか。そういうことで良いんだと思うんです。野球にたとえると、この人は1流のセカンド(二塁手)だ、ということになればキャッチャーもやらなければ外野手もやらない。キャッチャーや外野手としても1流である必要なんてないんです。

 

「ソフトウエア開発に必要な脳」について持論を語る中島氏

「ソフトウエア開発に必要な脳みそ」について、持論を展開する中島氏

もう一つ違う観点で、ソフトウエア開発で使う脳みその話をさせてもらうと、わたしは小さなころ、「一次方程式を使わず、鶴亀算とかで問題を解くのが好きで得意な子ども」だったんですね。で、今思うと、それがソフトウエア開発に適した脳みそなんじゃないか、と。

 

どんな問題でも解けてしまう一次方程式は便利なんですが、実際にプログラミングを始めてみると、この世界に一次方程式的なものは存在していなくて、その都度問題の解き方を考えなきゃいけないわけです。それを不便で苦痛だと思うか、「面白い!どうやって解こうかな」と思うかの違いが、ひょっとしたら1流とそうでない人を分けてしまうのではないか。そう思います。

 

最近、中学生が素晴らしいプログラムを書いた、というようなニュースをちょくちょく見ますけれど、実際、彼らの年代はちょうどそういう脳みそができあがる時期。むしろ高校より上に行ってから習う数学なんて、プログラミングには必要ないですから。

 

まぁ、そういうわけで、中2数学の脳みそこそが1流エンジニアの条件なんじゃないか、と考えたりしているわけです。

 

Q. 中島さんは、「これからはJavaScriptがオススメ」だとよくおっしゃっています。それでわたしもトライしているんですが、どうもハマる感覚というか、のめり込んでいく感覚になれません。プログラミングにハマる環境を自ら作り出す方法はあるでしょうか?

 

まず、わたしの場合は環境に恵まれたところがありますね。NTTを辞めてマイクロソフトに移ってからは、わたしが何かを作り出すと、ちゃんと驚いてくれる人がいつも身近にいた。これはとても大きかったと思います。喜んでくれる人、驚いてくれる人がそばにいると、人間って一生懸命になるし、結果としてハマっていくわけです、どんな言語や技術だろうと。

 

で、編集部からの質問でもユーザーオリエンテッドなプログラミングの話題が出たけれど、例えばここにA・B・Cという3通りの開発手段やプロセスの選択肢があったとしますよね。どれをユーザーは喜ぶかと考えた結果、「それはCだ」と分かる。でも、たいていの場合、そのCはAよりもBを選択するよりも面倒なプログラムになります。

 

つまり、ユーザーオリエンテッドを追求すると、必ず大変なことをしなきゃいけない選択肢になるんです。でも、そこでCを実現するため必死で考えると、「こう工夫したら、よりシンプルに書けるぞ」というのが分かったりする。それが面白いわけです。

 

JavaScriptにのめり込めていないということは、まだあなたがそういう気持ちの良いプログラミングを経験できていないからかもしれない。jQueryくらいになると、とてもキレイですよね。それは、コードの一行、一文字に意味があるからなんだけど、最初はなぜあんなコード進行になっているのか分からない。

 

でも、しつこく見つめていくと、ある時気付くんですよ。「ああ、ここはこういう理由でこうなのか」と。

 

分かり始めたら面白くて、気付いたらハマっていく。そういうものだと思いますよ。それにJavaScriptはこれからの可能性が大きいし、まだ世界的に見ても「良いJavaScriptを書ける人」が不足しています。やっぱりオススメしたいと思います。

 

国内で上場するより米進出して投資を受けた方が良いかもしれない

Q. 最近話題になるWebサービスは、ほとんどアメリカの会社ばかりが生んでいる気がします。なぜ日本からそういうサービスが生まれないのか、その理由をどう考えていますか?

 

日本企業が世界で戦うためのステップについて、mixiを事例に出しながら独自の主張を展開

日本企業が世界で戦うためのステップについて、mixiを事例に出しながら独自の主張を展開

とても良い質問ですね、あと1時間くらい話しましょうか(笑)。

 

この問題を考える上で、わたしは『mixi』がモデルケースになると考えています。わたしの目には、『mixi』の現状はとても残念に映っていて、端的に言えば国内で上場するよりもアメリカへ進出してVCなどから投資を受けていたら、今ごろ世界的な企業になっていたんじゃないか、と思うからです。

 

企業の成長を考えれば、ある時点で大きな出資を得なければいけなくなるので、その手法として上場というのも十分アリなんですが、やっぱり日本国内でいったん上場したなら、その後は確実に利益を上げていくことを要求されてしまう。

 

それならばいっそ渡米して、優れた投資家に評価してもらう方が、グローバルにスケールするという観点ではいろいろチャレンジできるわけです。

 

アメリカで成功できれば、それはイコール「世界で成功した」ということになるのが現状のIT業界。ですから、今多くのベンチャーの人たちがアメリカに行く選択肢を持っているのは良いことだと思いますし、これから日本の企業がちゃんと世界的に成功できるとも思っていますから、一緒に期待しましょうよ。

 

日本って、テクノロジーの側面では何も悲観することがないくらい、やっぱり進んでいるんです。『mixi』しかり、『iモード』しかり、RFIDしかり、日本は素晴らしいサービスをすでに先取りして生んでいる。

 

アメリカ人が普通に「成功する」と口にする時、それが当たり前に「世界で」という前提で語られているように、今後は日本の人たちも普通に「世界で成功する」ことを目指せば、必ずチャンスをものにできると信じています。

 

文/森川直樹

UI研究の第一人者・増井俊之が目指す「コロンブス指数」の高い発明とは?【連載:匠たちの視点-増井俊之】

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プロフィール

慶應義塾大学 環境情報学部 教授
増井俊之氏

1959年生まれ。ユーザーインターフェースの研究者。東京大学大学院を修了後、富士通半導体事業部に入社。以後、シャープ、米カーネギーメロン大学、ソニーコンピュータサイエンス研究所、産業技術総合研究所、Appleなどで働く。2009年より現職。携帯電話に搭載される日本語予測変換システム『POBox』や、iPhoneの日本語入力システムの開発者として知られる

「理想的なインターフェイスってどんなものだと思います?」

そんな問いかけにどう答えるか困っていると、慶應義塾大学環境情報学部の増井俊之教授は、少し間を置いて、自身が考えるユーザーインターフェースの本質について教えてくれた。

「泥酔していても使えること。それが大事だと思うんです」

「泥酔していても~」とは、使い方に頭を悩ませたり、身体的な能力の差や言葉、文化の違いによらず、誰にでも簡単に使えるということ。これが、増井教授の考える、優れたユニバーサルデザインを体現したインターフェースである。

多くの携帯電話や情報端末に取り入れられた日本語予測入力システムや、iPhoneの日本語入力システムなど、長年にわたって情報機器と人間の間を取り持つインターフェースの研究に労力を費やしてきた増井教授ならではの考察と言えるだろう。

「たくさんプログラムを書いて物事を解決するのは好きじゃない」

そして、増井教授の守備範囲は、わずか数インチの液晶画面に収まりきるものではない。

例えば、と言って増井教授がポケットから取り出したのは、一台のAndroid端末。その端末をあるカードの上に置くと、起動音とともにボリューム状のコントローラーが画面に表示され、端末の微妙な回転に合わせて画面上のコントローラーが回転。ゲージも自在に増減する。

増井教授のもう一つの研究テーマである「実世界指向GUI」の即席デモンストレーションだ。

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課題を単に解決するのではなく、解決の美しさやシンプルさを追求することを理想に掲げる増井氏

「不思議に見えるかもしれませんが、特に複雑なことをしているわけじゃないんです。種明かしをしちゃうと、SuicaやTaspoのようなICカードの情報を、Andoroid側のNFCリーダーで読み取って操作しているだけ。使っているのもJavaScriptとブラウザだけですから簡単です」

増井教授は以前、これと同じ仕組みとCDパッケージを使ってプレゼンテーションを行ったことがあった。テーブルのある位置にCDのパッケージを置くと、自動的に音楽が再生され、さらにそのパッケージを回転させると音量が加減できる。この様子を見た観客たちは、まるで魔法でも見るような面持ちだったという。

「そもそも大量のデータを力業で解析していたり、たくさんプログラムを書いて物事を解決するのって、あんまり好きじゃないんです。そういうのってオシャレじゃないでしょう?(笑)。僕が好きなのは、大きな問題を複雑に解くのではなく、面倒なことや不便なことをちょっとした手間で解決すること。そっちの方が性に合っているんです」

自らが理想とするシステムは、「コロンブス指数が高いシステム」と呼んでいる。「コロンブス指数」とは、得られる感動や解決方法を、システムの複雑さで割ったもの。つまりこの値が高いほど、「コロンブスの卵」的な喜びに満ちた創造になるわけだ。

「どんなに酔っていても使えるのは『泥酔指数』が高いシステム。ユーザーの使い勝手を考える上ではこっちの指数もすごく大事なんですよ」

増井教授はユーモアを交えながらそう力説する。

標準化以前の「カンブリア大爆発」を経験した青年時代

「小学校の終わりから高校にかけては、アナログシンセサイザーなんかを自作するような電子工作少年でした。高校になってしばらくしたころ、『トランジスタ技術』を読んでいたら、『マイコン』というものの存在を知り自分でも作ってみようと思ったわけです」

自身の幼少期をこう話す。当時はキットなどなく、自分でICチップや必要な部品を一つ一つ手に入れて、イチから作らなければならなかった。

「もちろん、プログラムするにしても今みたいにキーボードやモニターはありません。トグルスイッチを使ってメモリに直接マシン語を書き込む、そんなことをやっていましたね」

電子工作少年だった増井少年が、マイコンとの出合いをきっかけにソフトウエアの世界に引き寄せられるまでには、それほど時間は掛からなかった。

大学、大学院で電子工学を学ぶ過程で、ますますソフトウエアの魅力に引き込まれていった増井氏は、卒業後、富士通に入社する。しかし、配属先に望んでいた仕事はなかった。入社から2年後、増井氏は念願のソフトウエアの世界に飛び込べく、シャープへの転職を決意。この時代から、現在に通じる予測インターフェースや検索システムなどの研究に取り組むようになった。

「シャープに移って最初の仕事は、UNIXに載せるウィンドウシステムの開発でした。当時はまだ今のように開発環境もメソッドも整備されておらず、標準も確立されていない時代です。何事もゼロから作らなければなりませんでした」

CPUもメモリも制約だらけで不自由と言えば不自由だったが、確立されたルールがない分、「コンピュータの世界に無限の可能性が感じられた」と当時を振り返る。

「生物の歴史で言えば、ちょうど『カンブリア大爆発』みたいな状況でしょうか。大変でしたけどすごく楽しかったのを覚えています」

ただ、ほとんど無限の可能性があるかに見えたコンピュータの世界だったが、その多くは子孫を残すことなく、歴史の闇に消えていってしまった。

「ウィンドウのデザインは、Macintoshの前身にあたるLisaあたりからほとんど変わっていません。もはやウィンドウシステムはもうこれ以上大きな進化はしないと言うことなんでしょうね。昔は『こんなウィンドウシステムを考えた』なんて情報がよく耳に入ってきたものですが、今はそんなことを言う人は誰もいなくなりました。もっと進化できたはずなのに、もはや前提の一つになってしまった。とても残念なことだと思います」

技術に携わる者にとって、頭を悩ませる領域が小さくなることは、必ずしも良いことばかりではない。前提という名の既成概念が幅を利かせると、新しい発想はしづらくなる。増井教授はそれを憂えているようだった。
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CPUの構造を知らなくても開発できる便利さと不幸

高スペックなコンピュータを誰もが所有し、高速インターネット回線で世界中に接続していることが常態化している今、知りたいこと、欲しいものは即座に手に入れられる時代になった。

開発環境はかつてないほど充実し、ネットをあたれば必要なコードを入手することさえも容易だ。効率化は目に見えて進んでおり、良いこと尽くめのようにも見えるが、長年この世界に携わってきた増井教授の目にはメリット以外のものも映っている。

「基礎的な素養を身に付けないまま開発できてしまうことが、かえって心配です。確かにCPUの構造を知らなくてもアプリは作れますが、発想の豊かさとか開発力の面で、すぐに壁にぶつかってしまうんじゃないかと憂慮しているんです」

素養の乏しさゆえ、ボロが出るのはもしかしたら何年も先になるかもしれない。それがかえって恐ろしいとも感じている。

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開発の基礎を知らない技術者が増加している今こそ、原点に立ち返って学ぶことの大切さを語る

「よく、人からどうしたら発想力が高まるのか? と聞かれるんですが、何時間も考えた末に出てきた答えや、数時間のブレストで導き出した答えって実はあんまり信用していないんです」

たくさんの文献を読み、数多くの人と接した上で考えたことが、何カ月か後にポコッと出てくるアイデアの方が筋が良い――。こうした状況を作るには、インプットを充実させておかないと上手くいかないという。

「質もそうですが、たくさんの幅広い知識に触れることが必要ですし、理解するには基礎的な素養も問われるんです」

長期間、モノづくりにかかわり続けていきたいと思えば、アイデアの枯渇は命取りになる。上部レイヤーの華やかな部分だけでなく、その背景にある周辺技術について学んでおくのは、息の長い開発者になるための必要条件といえるだろう。

目先の面白さだけを追いかけていても、生き残るのは難しいはずだ。

「慣れ親しんでいるから」というだけでまかり通る世界を駆逐したい

富士通から転職したシャープで、ソフトウエアを実装することの難しさと面白さを知り、それ以降のライフワークともなる予測インターフェースや検索システムの研究に出会った増井教授は、シャープ在職期間中にカーネギーメロン大学の客員研究員など、海外生活も経験。帰国後もソニーコンピュータサイエンス研究所や産業技術総合研究所、そして再びアメリカにわたりAppleで活躍するなど、現職に就任するまでの間、めまぐるしく職場を変えてきた。

人生の転機と呼べる出来事はたくさんあったというが、そのきっかけはたいてい、相手側からのアプローチによってもたらされたという。

「シャープにいた時は奈良の天理にある研究所にいたのですが、ちょっと自分には刺激が少な過ぎて、それで理由を見つけてはちょくちょく東京に行っていたんです(笑)。あんまり深い考えなしに動いてきたように思う部分もあるのですが、今改めて考えてみると、そうやって多くの人に出会ったことで、いろいろな方から誘いを受けることができたのかもしれません」

こうした経験から増井教授は、今の若い開発者は内にこもらず、勉強会でもイベントでも、どんどん足を運ぶべきだと考える。見識や人脈を広げる第一歩になると思うからだ。

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慣れ親しんでいる物事にも、イノベーションの可能性は大いにある。そう信じて研究を行う

でも、参加するだけに満足するのでは意味がない。自ら進んで「発表すること」にも積極的であってほしいと言う。「発表すること」は、「観る」、「聞く」以上の成長をもたらしてくれるからだ。

「僕らの仕事は、世の中の人が見過ごしている不便さを解消すること。早い段階で良いものを出していかないと、昔から慣れ親しんでいるというだけの理由で、世間に不便なものをはびこらせてしまうことにもなりかねません。わたしのかかわったiPhoneの日本語入力システムだって、決してベストな入力方法とは言えませんし、今後も良くないインターフェースが現れたらちゃんと対抗策を提案しないといけないと思っています」

「技術の進歩には終わりはないんです」。そう締めくくった増井教授の胸には、環境や人から与えられる刺激を自らの創造力に転化させ続けなければならないという矜持がある。問題は、そうした場に身を置き続ける強い意思があるかどうか。

選択肢が増え、開発への障壁が低くなった今、開発者の覚悟が試される時代に突入してきた。

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴

打算はアカン!エンジニアとして生きていくヒントは「Back to the Basic」にある【対談:法林浩之×宮本久仁男】

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市場や技術の流れが、めまぐるしく変わるIT業界において、専門領域の技術者として己を磨くには、どうすればいいのか。ITイベンターとして幅広い人脈を持つ法林浩之氏が、それぞれの技術領域において親交の深いベテランエンジニアとの対話を通し、生涯技術者を目指す20代の若者に贈る「3つのメッセージ」を掘り下げる。

ITイベンター・法林浩之のトップエンジニア交遊録

日本UNIXユーザ会(jus) 幹事・フリーランスエンジニア
法林浩之(ほうりん・ひろゆき)

大阪大学大学院修士課程修了後、1992年、ソニーに入社。社内ネットワークの管理などを担当。同時に、日本UNIXユーザ会の中心メンバーとして勉強会・イベントの運営に携わった。ソニー退社後、インターネット総合研究所を経て、2008年に独立。現在は、フリーランスエンジニアとしての活動と並行して、多彩なITイベントの企画・運営も行っている。2012年には、「日本OSS貢献者賞」を受賞

今回の対戦相手

株式会社NTTデータ 品質保証部情報 セキュリティ推進室 NTTDATA-CERT シニアエキスパート
宮本 久仁男

1991年、NTTデータに入社。研究開発部門や技術部門などで勤務し、セキュリティ分野の知識を磨く。2004年以降、Microsoft MVPを受賞。2011年には情報セキュリティ大学院大学博士後期課程を修了,博士(情報学)の学位を授与された。最近では『実践Metasploit―ペネトレーションテストによる脆弱性評価』(オライリージャパン刊)の監訳を担当するなど、著述活動も幅広く展開中。後進の育成も積極的に行なっており、セキュリティキャンプ2004から講師を、今年のセキュリティキャンプ中央大会2012では講師WGリーダーを務めている


法林 今回お招きしたのは、セキュリティの分野で名高いエンジニア・宮本久仁男さんです。セキュリティといっても幅広いと思うんですが、ご専門は何になるんでしょうか。

宮本 名高いと思ったことはないんですが(笑),そこそこ知られてはいる気はします.僕はプラットフォーム周りのキャリアが長いので、システム基盤やインフラ、ネットワークなどのセキュリティが専門ですね。

法林 実は宮本さん、海外で行われていたカンファレンスから戻ってきたばかりなんですよね?

HITCON

先日台湾で開催された「HITCON2012」では、同氏のほかに2名の日本人技術者が登壇した

宮本 はい。セキュリティ分野のカンファレンスである「HITCON2012」に出ていたため、昨日まで台湾にいました。去年、はじめて参加したイベントなのですが、ただ単に聞きに行くだけではもったいないということで、今年はネタを投稿し,採択いただけたので登壇もしてきました。

法林 どんなテーマでプレゼンテーションをされたんですか?

宮本 僕がプレゼンしたのは、普通のユーザープログラムから仮想マシンモニターの存在を感じることができないかという取り組み。一体誰得なんだというテーマではあるんですが(笑)、僕はこれが面白いと思ったんですよね。

法林 宮本さんは新卒でNTTデータに入社した時から、セキュリティを専門にしてたんですか?

宮本 いや、最初はセキュリティとは全く関係のない仕事をしてましたよ。当時は、ITセキュリティという分野はあまり認識されていなかったか、もの凄くニッチな分野と見られていたと考えてます。

法林 宮本さんが入社したのは、今から20年以上前ですか。確かに当時は、「ITセキュリティ」って概念自体、あまり広く認識されてはいませんでしたよね。

宮本 セコムや綜合警備保障といった警備会社が、警備に関するソリューションを提供していました。でも、「ITセキュリティ」については,今ほど多くは研究されていなかったように思います。まぁ、あの頃はセキュリティなどとわざわざ言わず、情報を守る仕組みを当たり前のように実装していたんですよね。今ほど高度ではありませんが.

法林 宮本さんは、徐々にセキュリティ関連の仕事に足を突っ込んでいったわけですが、最初のきっかけは何だったんでしょう?

宮本 僕は昔から、社外でフリーソフトウエアやオープンソース関連の活動をしています。その一環で、技術評論社の雑誌『SoftwareDesign』で、「Zebedee」という暗号化ソフトを紹介したことがあるんです。2001年くらいのことでしたね。

法林 あぁ、VPNみたいな働きをするソフトですよね! 僕も使ったことがありますよ。

宮本 その記事を見た方から声を掛けていただき、セキュリティ関連コミュニティの方々と接点ができたんです。そこから、いろいろなコミュニティに出入りさせてもらうようになりましたね。また、本業でシステム開発や運用をする時に、セキュリティについて本を読んだりすることも増えていました。そんなこんなで、セキュリティにより深く興味を持つようになったんです。それ以前にも、必要に迫られてファイアウォールのようなものを構成したり、作ったシステムの脆弱性を見つけてパッチあてたりというのもやってましたね。

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「セキュリティ」と一言に言っても、分野は幅広い。その中で宮本氏がどの分野で活躍するのか興味深いと法林氏は言う

法林 一般のエンジニアには、セキュリティに対して関心の高い人と、そうでない人がいますよね。どこで、その違いが生まれると思いますか?

宮本 性格かな(笑)。表に出る性格というより、奥に秘めた慎重さあたりが影響している気がしますね。セキュリティエンジニアは、ネットなども気を付けて使ってる人が多いように感じます。例えば僕は、仕事に関係したことは絶対にツイッターなどには書かないし、プライバシーに深く関わることもあまりつぶやきません。また、スマホを使う時も、GPSを使う機会は絞り込むようにしています。

法林 なるほど。ただ、あまりに警戒すると道具を使えなくなっちゃいますよね。

宮本 そうですね。セキュリティを意識しすぎると窮屈になるので、その辺はうまく切り分けるようにしてます。例えば、「IPアドレスがばれるのが嫌だから、ネットは使わない」なんてことになったら、何もできなくなっちゃう(笑)。取れるリスクは取り、取れないリスクは極力避けるという感じですね。

法林 さて、そんなセキュリティエンジニアである宮本さんから、若手エンジニアに伝えたいメッセージとは何でしょうか。

宮本 はい。僕が挙げたいのは、次の3点です。

【1】 セキュリティ分野に得意分野を掛け合わせる
【2】 打算はNG!お金になること以外に自己投資できるか
【3】 原理原則を常に意識する

(次ページに続く)

「好きなこと=軸」を「セキュリティ」に組み合わせれば武器になる

法林 では、まずは最初に挙げていただいた「セキュリティ分野に得意分野を掛け合わせる」について語ってもらいましょう。

宮本 セキュリティって、もの凄く広い概念だと思うんですよ。その全体像を説明するのは、どんな人にだってムリなんじゃないかな。ただ、何か言葉を付け足すと、グッと意味がつかみやすくなるんですよね。例えば、頭に言葉を足して「ネットワークセキュリティ」「情報セキュリティ」にするとか、後ろに足して「セキュリティマネジメント」にするとか。

法林 なるほど、「ネットワークセキュリティ」なら、通信の安全について論じてるんだって、具体的にイメージできますよね。

宮本 セキュリティ単体では、もの凄く分かりづらい。でも、特定の分野のセキュリティなら、理解することも実行することも分かりやすくなります。だからセキュリティエンジニアを目指す若い人には、セキュリティ以外の軸を持つことを勧めたいですね。その上で、「自分の得意分野×セキュリティ」と掛け合わせれば、武器にできると思います。

法林 自分の軸ですか。例えば、どんなものが考えられますか?

宮本 何でも良いと思うんですよ。OSが好きな人は「OSセキュリティ」、Linuxなら「Linuxセキュリティ」、Windowsなら「Windowsセキュリティ」といった具合に、好みに合わせて考えれば良い。すると、自分のやっていることがフィットする分野が見つかるんじゃないかな。

法林 宮本さんの場合は、それがプラットフォームだったんですね。

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「セキュリティ」に組み合わせる領域は自由。自分の専門領域のセキュリティ分野に興味を持つことが、セキュリティエンジニアへの第一歩だと言う

宮本 そうですね。僕はネットワークもOSも好きで、自分でいろいろ調べたり、プログラムを作ったりもしてます。ただ、OSって歴史が古くて、メインフレームを使ってた昔から研究し尽くされてるんですよね。また、関連技術として仮想マシンも研究は行き届いてますから、新しいネタを見つけるのが大変です。

法林 仮想マシンって、広く使われるようになったのは最近というイメージがあるんですが。

宮本 実はメインフレーム時代から、仮想マシンって使われているんですよ。IBMのメインフレームには「LPAR」という分割法があるんですが、これってもろに仮想化技術なんですよね。あとは過去のプログラム資産を動かすための技術も仮想化技術です。こっちのほうが起源は古いかも。

法林 あぁ、確かにそうですね。

宮本 ただ、そうは言っても、7~8年くらい前までの仮想化技術はニッチでしたよね。それが主流になってきたのは、クラウドが流行り始めてから。

法林 ずっと仮想化技術に親しんできた宮本さんとしては、どんな気持ちでした?

宮本 メインストリームが近寄ってきて、「おいおい、一体何が起こってるんだよ」って感じでした(笑)。

法林 ネットワークやOSという軸があり、それをセキュリティに結びつけられたから、流行が押し寄せてきた時に武器にできたわけですね。

やりたいことに熱中し、時代が追いついてくれるのが理想

法林 今、セキュリティや仮想マシンっていうのは注目されている分野です。でも宮本さんは、流行を追った結果、この分野にたどり着いたわけじゃないんですね。

宮本 そうですね。好きなことをして遊んでいるうちに、自然にたどり着いたという感じです。会社から言われたことだけをやってたら、こうはなってなかったでしょうね。

法林 この対談に出ていただいている皆さんは、だいたいそんなタイプ(笑)。自分のやりたいことに熱中してたら、いつの間にか、ある分野のエキスパートになっているというパターンです。ところで、これって2番目のメッセージ「打算はNG!お金になること以外に自己投資できるか」につながる話ですね。

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「注目されるかも」という打算的な気持ちでは、長く続かない。まずは「好きかどうか」が重要だと、二人は話す

宮本 おっしゃる通りです。お金になるかならないかなんて打算的なことは、当時は全く意識していませんでした。エンジニアにとって、「いくら稼げるか」という観点は大事です。ただ、目先のお金が多少稼げても、長い目で見ると、キャリアの足しにはならないという技術だってある。

法林 需要が大きい分野の技術ばかりを追いかけ、エンジニアとしての価値を高めることをおろそかにすると、まずいことになりますからね。

宮本 はい。どんな技術が自分のキャリアにとってプラスになるか。そこは、鼻をきかせなきゃいけないでしょうね。経営者なら目の前の利益を追い求める必要もあるかもしれませんが、エンジニアなら、時には直接お金につながらない分野でも、積極的に自己投資すべきなんじゃないですかね。

法林 関心のある技術に夢中になるうちに、時代が追いついてくる。そんな宮本さんの在り方は、エンジニアにとって一種の理想ですねぇ。いわば、草むらを好き勝手に歩いていたら、いつの間にか、自分の通った道が「けもの道」になって、どんどん舗装されていくみたいな。

宮本 むしろ、僕はこれまで「けもの道」しか通ってこなかったような気もしますが(笑)。ともかく、打算ではなく、やりたいことを目指して自己投資することが、長い目で見れば成長につながるはずです。
(次ページに続く)

つまづいたら、原理原則に立ち返る

法林 3番目のメッセージは、「原理原則を常に意識する」ですか。これ、どういう意味なんでしょう?

宮本 常に、本質的な部分に立ち戻って考えろという意味ですね。エンジニアって、「誰かが~といってたからこうなんだ」とか、「これはこういう風に動くはずなんだ」って固定概念にとりつかれちゃったらキツイ。解決出来るものも出来なくなる。

法林 分かります。いつでも、知識や思考を更新し続ける努力をしなきゃいけないんですよね。

宮本 はい。例えば、プログラムがうまく動かなかった時、なあなあで済ませず、徹底的にデバッグするのがエンジニアだと思うんです。そういえば、大学院大学で研究していた時、書いたプログラムが意図通りに動かないことがありました。その時は「高級言語+アセンブラ」を使って書いてたんですが、原因を突き止めるため、コンパイルした後のバイナリを逆アセンブルしました。「俺、なんでこんなことしなきゃいけないんだろ?」って思いながら(笑)。そうしたらなんと、書いたはずのコードが一部消えていました(笑)。どうやら、コンパイラの最適化が悪さをしてたようでした。

法林
 ほほう。苦闘の末に原因が見つかったわけですね。

宮本 壁にぶつかったら、できる範囲で構わないから、自力で調べてみるのが大事ですよね。そうして原因が分かれば、知識が身につくだけじゃなく、良い経験も得られます。疑問はほったらかしにせず、徹底的に掘ってみるといい。

法林 若いエンジニアの中には、疑問があっても「それくらいどうでもいいじゃん」と考える人もいるかもしれませんね。

宮本 そういう安直な考え方をすると、一事が万事、そうなってしまう気がするんですよ。トヨタ自動車に、「なぜなぜ5回」という手法がありますよね。問題が起こった時に5回も「なぜ?」と自問自答して、真の原因まで考え抜くやり方です。これ、わたしも大好きなんですよ。どうしてそうなるのか、原理原則の部分に戻って考えなければ、「何となく、こういう事だろう」というレベルで終わってしまいます。

法林 なるほど。宮本さんが、何かを徹底的に調べ上げた経験を教えてもらえますか。

宮本 そうですね、例えばマイクロソフトがWindows2000でIPsecという暗号化規格をサポートした時、どんなものと接続できるのか、あれこれ試してみましたね。その時テストしたのは、Windows2000、Linux、FreeBSD、PGPnetあたりだったかなぁ。

法林 ネットワークの世界では、相互接続性の検証って重要ですからね。しかし、そのためにいろんな機器を接続して確かめるっていう徹底ぶりは、やっぱり凄いなあ。徹底してブラックボックスを解明しようとする姿勢、若い人にはぜひ見習って欲しい点ですね。

情報は寂しがり屋。自己投資をし、情報収集している人に集まる

法林 宮本さんは若かった頃、3年後、5年後を見据えた努力ってされてましたか?

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自身の入社当時を振り返り、「良い先輩・上司に恵まれていた」と語る宮本氏

宮本 社会人になったばかりのころは、そんな余裕などありませんでした。職場では気を張ってばかりいたので、帰宅したらすぐに眠る毎日だったなあ。でも、大学時代からコンピュータに触れるのが好きだったので、余裕を持って働けるようになったら、いつの間にか個人的に研究を再開していたという感じでしたね。

当時は研究部門で働いていたので、周囲には素晴らしい上司・先輩も多かった。その方々に、いろいろ教えてもらえました。

法林 良い話ですねぇ。

宮本 ただ、当時の仕事の教え方が、今も正しい訳じゃありません。仕事全般に言えることだと思いますが、時代の流れに合わせて、やり方は常に更新していく必要があると思います。でも、自分の軸がきちんとあり、原理原則に立ち戻る努力をしていれば、どんな場所でも活躍できるはずです。

法林 うんうん。

宮本 だからといって、それを常に表に出していいかというと、それは別の話ですけどね。例えば1日で終わらせなければならない仕事があるのに、「原理原則に立ち返りたいから3日掛かります」とは言えませんから。そんな時は、要求されたレベルの仕事を1日で終わらせつつ,さらに原理原則まで立ち戻る必要があるならば,極端な話自分の時間を2日分使って自己投資・自己研鑽しなければならないんです。そういえば、少し前に竹迫良範さんが「お金を知識に替えるのが、一番良い投資」だと言われてましたね。

法林 それ、僕がモデレーターを務めた、エンジニアtypeのイベントですね。知識はインフレが起きても目減りしないし、災害が起こってもすぐ持ち出せる財産だというお話でした。

宮本 これ、正しいと思います。知りたいことがあったら、お金と時間を使って知識を得る。それは、素晴らしい自己投資ですよね。また、情報ってお金と似ていると思うんです。ほら、よく「お金は寂しがり屋」って言うじゃないですか。

法林 あぁ、お金は、お金を持っている人のところに集まるってヤツですね。

宮本 情報も同じで、寂しがり屋だと思うんです。だから、勉強して情報を集めている人のところに、情報は自然と集まってくるのではないかと。

法林 なるほど!そうかもしれませんね。でも、情報は集めるだけでいいんでしょうか?

宮本 いや、自分が情報を持っていることを示すには、発信することも大事ですよね。僕も雑誌の記事や、ブログやツイッターを書いています。いろいろな機会を見つけ、吸収したものをまとめることは、エンジニアにとって大事なこと。もちろん、初心者の頃は情報を受け取るだけで良いんですよ。でも、ある程度「俺もやれるかも?」という実感が得られたら、どんどん書けば良いと思うんです。

法林
 自分が考えたことに、他の人が反応してくれるのは良い経験ですよね。

宮本 はい。他の人とやりとりすることで、自分が持っていた知識が何倍にも価値のあるものになることもよくあります。情報を集め、アレンジし,自分の考えも交えながら発信する。それだけでも、エンジニアは大きく成長できるはずです。

取材・文/白谷輝英 撮影/小禄卓也(編集部)

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